人間であれば誰しも「しくじったこと」が一度はあると思います。
あなたがエンジニアとして「しくじったこと」で思い浮かぶものは、どんな内容でしょう?
を思い浮かべてのポエムです...。もちろん具体的な誰かの顔をイメージする記事ではないですが、社会人も 20 年そこそこになると「余計なこといっちゃったなー」とか、「うわあああ! (頭の中で後悔)」とか、後になって胸にチクっとくる場面を、(割と)(これでも)(幾度となく) 経験しています。
本番サーバー60台のホスト名を全部 cat にしてしまった話 #Linux - Qiita とか、WHERE 句を付けずに DELETE 文を流すとかも記憶のどっかにあるけど、言うて対システムの失敗は「(せいぜい数週間) 頑張れば」どうにかリカバリできることの方が多いのではと感じます。
一番修復に時間を要するとか最悪修復不可能になる「しくじり」、そういう意味だと一番「しくじったこと」とは、対人関係的な話に帰結してくるのではないかな???、と思ったりしています。
とくに私、ひとに「寄り添う」とか「共感する」って言葉、なんか逆に嘘くさくて、あまり腹落ちしていませんでした。
想定読者
- 「寄り添う」とか「共感する」って言葉に共感できない。「完全に理解した」に至りやすい勘違いしがちな性質の人 (筆者)
- 仕事に慣れてきたころの人 (筆者)
- 筆者の失敗談を笑っておきたい人
以下に説明する 例 等々は、直近ではなく私の 10 年そこそこの軽い昔を思い出したり本の読書感想文として多少付け加えたりしながら例示しているものですのでどうかご安心ください ()。
先にまとめ
いくら対人関係といえど「寄り添わなきゃ」「共感しなきゃ」、って難しいですよね。よもや、自分自身にトゲついた言葉が向けられていたりしたらなおさらです。
そんな中ですが 「その人がそう行動している原因に着目すればよい」 に気づいたところ、それは自分の中ですごくしっくりきまして、その考え方ならば大事にできる、したい気がしています。
先に種明かしをしてしまうとこの考え方は クレーム対応 最強の話しかた という本を何気なく手に取って、この IT 業界のサバイバル術に変換して自分なりに再構築して咀嚼した結果、まとめたようなところがあります。ご興味のある方は先に上のリンクを参考に頂ければさいわいです。
ポイント
対人関係で良く言われる「人の気持ちに寄り添いなさい」「共感しなさい」
それ...
- 寄り添わなくていい!共感できないこともあって当然!
- でも「その人がそう行動している 原因 に着目する」でいい。
- 「ありがとう」だけ言っておけばいい。
- すると、その人の気持ちは結局は、自分にも返ってくる。
しくじらないために ... 無理に寄り添わなくていい!
だって
- 明らかに間違ってるじゃん
- 認識不足じゃん
- 勉強不足じゃん
- そんなことも知らないの
そういう気持ちの時「寄り添う」ってなかなか難しいです。特に自分が仕事に慣れてきた頃、「完全に理解した」に至っているころ、あるいは後輩を持つ頃、こういう気持ちに陥りやすい気がします。しかしこれが しくじり の元なのだわな、などと感じます。
その人の行動の「原因」に着目する
実は人の行動には意外と、以下のような原因が考えられるかもしれません。
- 森ではなく木を見て勘違いしている
- あるところでそう聞いた
- 聞く場所がわからない
- 単に愚痴を聞いてほしい
- 心やプライドを傷つけられるできごとがあった
- 期待を裏切られるできごとがあった
- 分かっているけどそうせざるを得ない
等々
その人の行動と「原因」例えば
例: なんかわからないけど突然エラーが起こる! ... とか質問をされる
「ちょっと何言ってるかわかんない」
の顔になる前に、こんな原因がないか
- 森ではなく木を見て勘違いしている。例えば「突然この数値が増えた」→ 見てるメトリクスあってる?とか例外的に何かしたこと忘れている?とか
- それ以前の自分 (筆者) の説明が長すぎる 3 行目までしか読めていないとか
- そこまでの手続きが複雑すぎて咀嚼できていないとか
どうしてもの前提条件や、提示されていた説明が悪かったりすることが原因で、質問をされることもあります。
例: いつの時代のいつの話 ... とも分からないような質問をされる
先の例とも似ますが
- Wiki にこう書いてあった!
- 先輩がそう言っていた!
- あるプロジェクトでそう聞いた
なぜだか偉い人、他部署のうわさや情報源が錯綜して全く分からない質問をされることもあります。何なら大昔の自分が書いたドキュメントを見て、そう言われることもあるかもしれません。
例: 何故だか聞く場所が違う、場にそぐわない ... 質問をされる
「その質問、なんでこのチャネルでしとるん」と思いつつも
- 聞く場所がわからなかった
- 誰に聞いたらいいか、社内の導線が分からなかった
会社というのはさながら渋谷駅、新宿駅のようなものです。どこをどう歩けば外に出られるのか分からない人も出て当然です。
例: 「そこは自分で考えろーーー!」 ... と感じる質問をされる
「エラーが出るんです」
→ エラーに答え書いてあるやん みたいなやつ
- 単に愚痴を聞いてほしい
- 質問じゃなくて、単に愚痴を言いたかっただけということもあるでしょう
- 他に心やプライドを傷つけられるできごとがあった
- 期待を裏切られるできごとがあった
たまたまその時のつぶやきが自分に向いただけ。全部が全部自分に向けられた言葉だと思わなくて良いこともあります。
例: 明らかにルールを破って〇〇している
- 分かっているけどそうせざるを得ない (土下座)
レビューを経ずにコミットしちゃった (?) とか、誰もその時に頼める人がいなかったとか、そういう状況がやむなくそうさせたなど。街にゴミ箱が無いからどうしても道端に置いたとか。けして良いことではないが、原因があることもある。
まとめ: 原因 に着目してみると、わりと寄り添える
私が人に「寄り添う」ことに感じていた違和感の原因は、「だってそれ明らかに相手が正しくないじゃん」という表面的な見方だったように思います。正しくないことに「寄り添う」って、自分がなんだかウソをついているようで、正しくない気がしちゃいますよね。
たしかに相手は表面的には「正しくない」質問をしてきているかもしれませんが、相手がよほどの悪意あるものではない限り、行動には割とそれなりの原因があるのだなと感じます。特に仕事に慣れてくるころこそ、初心に戻って「原因」に着目してみるという考え方は意外とお勧めです。
そして
- 「ありがとう」は言っておけばいい。
- その人の気持ちも結局は、自分に返ってくる。
その上で、なんだかんだ言って自分に質問してくれているとか、レビューを頼んでくれることに「ありがとう」を言えるってとてつもなく大事なことだなと感じています。「こちらこそ、対応ありがとう... 🥺」そう相手に接していれば大概は相手も魚心水心になる。とおもいます。いずれにしても自分が受け止め方を変えていく方が早い。
ほか参考: フルリモートで相手に気持ちよく仕事をしてもらうためのコツあれこれ
対人関係でしくじりがちの覚えのある方にどこかしら共感いただけたらうれしいです。