Long, long ago.
プログラムはあくまで手段だ、大事なのはいかに人間の「業務」を達成するかだ、等と存在を軽視したかのような時代がありました。
一方
プログラムそのものが実は人間の「業務」を「いかに為すか」です。
にそのままヒントを得まして手を抜いたプログラムを書きました。
出力
root@0230359a1b81:~/opt# python3 te.py
1: パソコンで文章を書いいると、手書きに比べどこか心が込もっいないと感じることはないでしょうか
2: パソコンで文章を書いいると、手書きに比べどこか心が込もっいないと感じることはないでしょうか
3: パソコンで文章を書いいると、手書きに比べどこか心が込もっいないと感じることはないでしょうか
4: パソコンで文章を書いいると、書きに比べどこか心が込もっいないと感じることはないでしょうか
プログラム
te.py
import re
s = 'パソコンで文章を書いていると、手書きに比べてどこか心が込もっていないと感じることはないでしょうか'
# てを抜く
print('1: '+ s.replace('て', ''))
# てを抜く
print('2: '+ re.sub('て', '', s))
# 関数に頼らず、てを抜く
out = ''
for search in s:
if search == 'て':
continue;
out += search;
print('3: '+ out)
# てを抜くし、手を抜く
print('4: '+ s.translate(str.maketrans({'て': '', '手': ''})))
Now.
たのしくなければ続きません。
プログラムは手を抜かずに真心を込めていきたいです。
te.py
s = 'パソコンで文章を書いていると、手書きに比べてどこか心が込もっていないと感じることはないでしょうか'
for i in s:
print(i + "真心", end='')
パ真心ソ真心コ真心ン真心で真心文真心章真心を真心書真心い真心て真心い真心る真心と真心、真心手真心書真心き真心に真心比真心べ真心て真心ど真心こ真心か真心心真心が真心込真心も真心っ真心て真心い真心な真心い真心と真心感真心じ真心る真心こ真心と真心は真心な真心い真心で真心し真心ょ真心う真心か真心
土日こそたのしく純粋にプログラムに向き合いたいですねえ ...。
以上です~