最近、端的にいうと「クソ記事を書くな」という投稿が話題になっている。
私としてはもっと気軽に記事が書けるようになることが結果としてゴミ記事が減ることにつながると考えているため、それについてまとめていきたいと思う。
ゴミ記事が多い理由と、その解決策
まずゴミ記事が目に入ることは、ゴミ記事の絶対量が多いことと全く関係がない。
- この世には検索でヒットする数よりはるかに多い記事が存在する
- Googleはユーザの行動を元に、どの記事を表示するかを決めている
したがって検索で良い記事をヒットさせるためには、
- 良い記事が評価されていない
- 良い記事を書ける人が少ない
- 良い記事を書ける人が書かない
これらの問題を解決する必要がある。
良い記事が評価されるために
今はほとんど統計で回っていて、数が多いほうが正解となる。
したがって良い記事かどうかは、「その記事を評価する読者の数」が重要になってきやすい。
そしてプログラミングブームの影響もあり「初心者」の母数が今増えてきている。
そのためか、初心者エンジニア向けの記事が評価されやすくなっているように感じる。
特に「未経験営業からプログラミング勉強始めました」といったような人々も増えており、「ディレクトリという単語を知らない」「コピペという単語を知らない」というレベルの人も多い。
そのため専門用語を使わず噛み砕いた表現を使う記事の方がより多くの人に支持され、結果として上位表示されやすくなっているように見える。
こういった背景から、「日本語の記事はレベルが低い」という感覚を覚える人がいると推測する。
解決策1:皆がどんどん記事を書く
結局のところ良い記事を評価させるためには読者のレベルを底上げし、良い記事を良いと思う人を増やす必要がある。
そのための手段は色々あると思うが、1つとして「記事を書く」ことが成長に繋がることは間違い無く、少なくともそれを否定するべきではないだろう。
解決策2:良い記事を評価する
良い記事として評価することは、個人でもできる。
たとえば「いいねをつける」「SNSやBlogで拡散する」などだ。
これによりQiitaやGoogleでの評価が高まり、人々の目につく確率が高くなる。
良い記事を書ける人を増やすために
例えば100人の村に、良い記事を書ける人が10人いたとする。
そこで90人のゴミ記事を書く人が書くのを辞めたとしても、良い記事は増えない。
これを日本語圏全体に広げて考えると、日本語圏全体で良い記事が書ける人を増やす必要があるということになる。
解決策1:皆がどんどん記事を書く
文章を書く能力がつくのももちろん、書くことで知識が体系化し理解が深まる側面もある。
したがって皆がどんどん記事を書くことが「良い記事を書ける人を増やす」ということにつながっていくわけだ。
これについては他記事でまとめられているため、詳細は省く。
解決策2:間違った記事があったら訂正してあげる
間違った記事があったときにそれを訂正してあげることも重要だ。
その記事を見て間違った理解をする人が減るのはもちろん、記事を書いた人の理解も深まるからだ。
弁証法的に議論が進んでいくことで、より良い答えを導き出せるようになることが重要である。
「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由
良い記事が書ける人に書いてもらうために
良い記事が書ける人が書かない理由は色々あるが、日本語圏全体の心理的安全性が低下すると書く意欲がなくなってしまうのではないだろうか。
どんな記事であっても、いざ書こうとすると何時間もかかってしまったりする。
それを世の中に出したときに、仮に「こんな記事を書くな」という空気感があると、記事を書くという意欲が失われてしまってもおかしくない。
「外にアウトプットをだす」という行為は心理的ハードルが高いため、そういう経験があると内に閉じてしまいがちになってしまうと推測する。
「いい会社にしても、それが外に伝わらないんです!!」
— 広木 大地/ エンジニアリング組織論への招待 (@hiroki_daichi) 2018年10月4日
本当に?
多くの場合、それって社内の人がぬるま湯にいて、社外を見てない
外に発表したりしないくらい自信がなく、オープンマインドがない。
いい人がいる会社がいい会社じゃない。常に学習してラーニングゾーンにいる会社がいい会社では? pic.twitter.com/mWLkbDHMxd
このツイートは社内の話だが、これは社外との相対的な話でもあるだろう。
仮に日本語圏全体が心理的安全性と責任の高い環境なのであれば、日本語圏全体がラーニングゾーンにいき、スキルレベルの底上げにも繋がってくるかもしれない。
解決策1:敬意を持つ
少なくとも「記事を書く」という時点で、基本的には誰かのために時間をかけて行なっている行為である。
良い記事には感謝をするべきだし、意見が対立したとしても安易に悪意を向けるべきではないんじゃないだろうか。
(もちろん批判するなということではない)
解決策2:良い記事を評価する
良いものを良いと評価することで、良いものを生み出せる人のモチベーションにもつながってくる。
そのため「いいねをつける」「SNSやBlogで拡散する」などで評価することは、結果として良い記事を増やすことにもつながってくるだろう。
おわりに
ということで、結局のところシンプルに**ゴミ記事が多いなら、日本語圏全体の技術力を底上げする必要があるんじゃないの?**という話だと思う。
そのためには個人個人が成長していく必要があり、「ゴミ記事を書くな」という空気感は形成するべきではないんじゃなかろうか。
とまあ長々と書いてきたけど、経験上「自分用メモ」みたいな内容でも役立ったことはなんどもあるので、みなさんどんどん記事を書いてくれると助かります。