駆け出しエンジニアという単語は死語になってしまいましたか?
左様ですか。つまり私がおじさんになってしまったということですね。
さてこの業界、歩けばいろんなところにいろんなバックグランドを持つ人がたくさんいるわけです。
昔バンドやってました、アパレルで働いていました、公務員でしたetc...
そんな自分も類に漏れずここの中に入るわけです。
そんな私が今やエンジニアリングマネージャーをやっています。
「自分のエンジニアとしてのキャリアを振り返ろう!」というキャンペーンを見つけたので少々長いですがこれまでを振り返りたいと思います。
これから未経験からエンジニアを目指す方、今まさに異業種から転職してきてエンジニアとしてのキャリアを歩まれている方。
私の経験はかなり外れ値の可能性もありますが笑
それでも頑張っている皆さんにこんなキャリアもあるんだよと見せてあげられたらと思い記事を書いています。
まとめ
つらつら書いてたらだいぶ長くなりました。
適度に読み飛ばしてほしいのですが結局どんなことを書いているか今北産業でまとめておきます。
- ゲームセンターで働いてからエンジニアになりました
- SESからキャリアスタート
- 今はエンジニアリングマネージャーをしています
伝えたいこと
- エンジニアになることはゴールじゃない
- 好機はいつでもあなたの目の前にぶら下がってございます(謎の老婆風)
- 異業種から転職しても努力し続ければ活躍できる
- 1000万円稼ぐのはそんなに簡単じゃありません!
なぜエンジニアを目指したのか
ゲームセンターを辞めた理由
自分はゲームセンターの店長をしていました。
そしてあれは忘れもしない2017年5月。
転機はゴールデンウィーク明けにやってきました。
当時の私は副店長になりそろそろ2年となる頃合い。
クレーンゲームコーナーをメイン担当とし、ガンガン売り上げを取っていた頃です。
「最近担当マネージャーから関東勤務希望だよね?と念押しされているしそろそろ店長昇格かな」
そんなことを考えていたら一本の電話が鳴りました。
本社から。
緊張しながら電話に出ます。
相手は統括マネージャー、担当マネージャーより偉い人です。
二、三言あいさつを交わした後に次のように言われました。
「ちょっと青森で店長やってくれない?」
「は?(猫ミームばりの勢いで)」
当時私は色々ありまして関東勤務を希望していましたが、なんと青森での勤務となりました。
しがないサラリーマンの私です。
断れるわけもありません。
こうして青森に飛ぶ私。
しかしその裏で四国の店舗から関東にいった店長が。
その事実を知る青森に赴任した私。
「ほーん、そうくるか。こんな会社辞めてやろう」
ここから先はすぐでした。
商業高校出身の私は、「プログラミング」「会計」という2つの選択肢で転職先を探し転職活動を始めます。
当然ながらこれは会社に対する報復の転職です。
私は嫌味ったらしく店長赴任後すぐに店舗の悪い場所を改善し一気に店舗売上を全店2位にします(全店会議で表彰される予定がこのあと退職連絡したので逆に来ないでくれと言われたのもいい思い出です)。
その合間で都内へ夜行バスで通い転職活動を行い無事内定をもらいました。
その後の引き継ぎ、引っ越しなども含めて激動の4ヶ月でした。
(赴任後転職を決めていたのでほとんどの段ボールを開けなかったので荷造りがなかったのは救いでした)
最後人事には私の勤務希望地が一切伝わってなかったようで統括マネージャーと共に謝罪されました。
全てはあの忌々しい担当マネージャーのせいだったわけです。
残念だったな!有能な人材(自称)を放出したわけだ!
転職時にやったこと
さて、こんな感じでエンジニアの道へと足を踏み入れたわけですが、当時の私は何もしていません。
はい、何もしていません。
何もしていないというのはどういうことかというと、募集要項を見て年齢と業種だけを見てマイナビかリクナビで選考応募するだけです。
「え?ポートフォリオ作ったり、資格取ったりしたんでしょ?業界研究もしたんだよね?」
いやいや何を言っているんですか、「何も」してませんよ。
ポートフォリオ?そんな言葉はエンジニアになってから初めて知りました。
なんなら職務経歴書だって転職活動をして初めて知ったくらいです。
資格はどんな資格があるかくらいは商業高校の授業で知っていました。
当時初級シスアドがなくなり、ITパスポートが新設タイミングだったと思います。
高2、3の頃ですね。
これは受けるつもりだったんですが受験料とテキスト代を払える金銭的な余裕がなかったので諦めました。
当時私が持っていたのは「日商簿記検定2級」と「普通自動車免許」のみです。
業界研究なんてものも全くしていません。
当時の私の思考は
「とりあえず内定出て入社して死ぬ気でやればなんとかなる」
です。
実際そんな感じなのでとりあえず募集要件だけ見て応募した形です。
Web系?ナニソレオイシイノ?
SES?ナニソレクエンノ?
そんなレベルです。
今転職活動されている方の方がよっぽど優秀だったと思います。
「それなら地頭がいいんでしょ?」
と思うじゃないですか?
残念ながら私は偏差値3Xのド底辺のドFランです。
高校も商業高校に入った理由が部活をやりたかったからです。
そんな私が地頭いいと思いますか?もっと優秀な方は世間にたくさんいますよ。
「じゃあ何が強みだったの?」
はい、私は店長までやっていたので面接に対してのメンタルだけは強かったです。
面接なんてものは要は「うちの会社のカルチャーとこの人合うだろうか」のすり合わせなんです。
落ちたら合わなかったというだけです。
別に話が上手くなくてもいいんです。
これまでやってきたことをちゃんと話す、これからどうしていきたいか、この2つに自分自身の芯が通っていて話せれば伝わるは分かっています。
高圧的な人、態度のでかい人が出てきたらこっちから願い下げなわけです。
そんな人と働きたくないですからね。
そんなこんなでエンジニアとしてのキャリアをスタートしました。
※ 当時と状況は全然違います、いい就職先を見つけたい方は真似しないでください!
今ポートフォリオを頑張って作っている方を見かけると本当にすごいなと感じます。
私なんかとだいぶ違う戦略でちゃんとキャリアスタートしようとしていてその努力は素晴らしいと思います。
補足
ちなみに2、3年前に私の弟がエンジニアになりました。
今も立派にエンジニアをやっていますが、その時はさすがにノープランはよくないので資格を取れと教えました。
取らせた資格は前職のもっちーさんが書いたこちらのノートのものです(大変お世話になりました)。
言った翌月くらいには「受かった」とか連絡してきたので、こいつは大丈夫だろうと思ってましたがその後無事エンジニアになったようです。
(実際彼は半年くらいで記載されているほぼ全ての資格をとっていました、恐ろしい)
SESから始めるエンジニア人生
私は幸運にも最初の会社が悪徳と言われるSESではなかったことが良かったと思っています。
いや、正確にいうとコールセンターオンリーで働いているという方もいたので、社長に気に入ってもらえたのが大きいのかもしれません。
また、2社目もSESでしたがこちらも非常にいい会社でした。
もちろん良くない会社もあると思いますが、少なくともそれはSESに限らず世の中どこにでもある話です。
そんな悪い会社はさっさと辞めることをお勧めします。
楽しいことやスキルアップになったこともたくさんあったので、その中でいくつか振り返りしてみます。
OFF JTという名の放置プレイ
ゲームセンターを退職し早2週間、10月で肌寒いなと思っていたら東京に来たらまだ暑かったことを覚えています。
OFF JTが始まりました。
OFF JTとか言っておけばだいぶ聞こえはいいですが実態はただの放置プレイ。
当時は横浜、相鉄線沿いに住んでいまして、そこから八丁堀のオフィスまで通っていました。
これまで車、もしくは徒歩圏内だったのが打って変わって通勤が地獄だったのを覚えています。
一緒に入社したのが他に2人。
出社して早々「スッキリわかるSQL入門」を渡されました。
「Redmineがあるのでそこで毎日日報を書いてください。カリキュラムはそこに載っているので本棚にある書籍を使ってください。何か聞きたいことがあればIPメッセンジャーで〜」
何を言っているか全くわかりません。
各単語は調べてなんとか理解できました。
SQLというものがなんなのか、なんの旨味があるのかは当時は全く分かっていませんでした。
そうこうしながら初日を終えて帰る時に私は気づいてしまいました。
「これってもしかしてお金もらいながら勉強できるの!?神では!?」
翌日からはお金をもらいながら勉強しているというのが非常に嬉しくどんどん学習を進めていったのを覚えています。
SQLから始まってドットインストールでHTMLとCSS、Gitをちょこっと触りました。
そのあとは「すっきりわかるJava入門」でプログラミングを始めました。
一番嫌だったのは「君はインフラも知った方がいいからCCNAの本読んでね」ということでした。
これだけはどんなにやっても理解できず、早々に挫折を味わいつつ適当にやったことを覚えています。
最後はSpring Bootで課題をやったのですが私は進みが非常に早かったようで最後は現場が決まるまで暇になり、課題に追加機能で認証機能つけたりと色々調べながらやったことを覚えています。
初めての現場、初めて会う先輩
OFF JTは人によって期間が違いますが、私の場合は2ヶ月ほどでした。
11月に入ってから2件ほど面談に行ったことを覚えています。
そこで初めて会う先輩。
当時の私は25,6です。
一回り以上上の40代の先輩でしたが私にプログラムの基礎をしっかりつけてくれた今でも尊敬している先輩です。
そんな先輩ともう1人別の先輩と一緒に現場へ入りました。
その日から客先に入る形です。
さすがに詳細は割愛しますが、その中でプロパーの人と一緒に色々進めお客様とも直接やりとりする機会をいただいたりしました。
コードを書くというよりは調査系がメイン、その中でわけもわからずこのツール使えるか調査してと言われてGraphDBを触ったことを覚えています。
「自分はこの業界ではまだど素人だから見て聞いていろんな仕事を覚えよう」
と思い色々とやったことを覚えています。
最終的にはプロパーの方にハードコードされた環境変数を一括置換するツールを作ってとお願いされJavaで作ったりしていました。
if文を大量にネストさせたコードを当時は書いていて先輩に「if文を何個も重ねてはいけないよ」と指摘をもらいそこからリーダブルコードという書籍に出会ったりしました。
ちなみにもう1人の先輩は私より早く退場になってしまいました。
「結果を出さなきゃ仕事がない厳しい世界だな」
なんてことを思ったのもこの現場での経験です。
1年目だけどリーダーに
そうこうして案件が終わり次の案件へ。
ここでの経験が私のエンジニア人生を変えた一つのポイントだったと思います。
こちらも詳細は書けないのですが、CをJavaにしてWeb化したいという案件でした。
私は当時の先輩と新卒の後輩と一緒に現場へ入りました。
が、入場と同時に会社が「名前の漢字を間違えて提出していた」とのことでPCが使えるようになるまでだいぶ時間がかかりました。
その間プリントアウトされた資料を眺めていることに。
正直ここですでに会社への不信感が芽生えていたと思います。
その後は設計書作成から始まりリーダーには仕事が早いと言ってもらえていました。
そんなこんなで私たちは外部連携機能を3人でやることになったのですがここで転機が訪れました。
「画面モックの作成で手が足りなくてお願いできない?」
ここで私が手を挙げたことから話は転がり始めます。
モックと言ってもHTML/CSS、あとはちょっと動きを出すためにJavaScriptを書く感じです。
正直CSSなんて雰囲気でやっていましたが、それでもそんなに難しいアニメーションをするわけではないので簡単です。
そこから私は共通的に使えるものは全員で共有するようにして個別に必要なものをコーディングしていくという仕組みづくりを始めました。
結果進捗の遅れを取り戻しそこでリーダーからの評価が一気に上がったのだと思います。
(そりゃあ、残業して他の人の作業まで巻き取ってるわけですからプロパーとしてはありがたい話なわけです笑)
その後からリーダーからは、一緒に客先へ行って要件すり合わせしようと言ってもらえたり、ここの機能は任せたいなど言ってもらえました。
そして最終的にはWeb化チームは任せたいと言っていただき進捗管理なども行うようになりました。
(なぜかプロパーの新卒の教育も一緒にやることへ…)
そんなこんなで当時まだ1年目、そろそろ2年目に突入というタイミングでしたがリーダーとなりチームを技術で支えていくことになりました。
そして転職へ
ということをやりながら実は社内ではマネージャーという立場になっていました。
毎月開催される土曜日返上の謎の勉強会。
そこで私は先輩にコードを教えるという謎の状況に陥ってました。
そんな状況でも上がらぬ給与。
新卒とほぼ同額です。
こんなのでやっていけるわけないので、転職を決意します。
当時リーダーになった頃合いでTwitterアカウントを作っていました。
そこで転職しようかなとツイートしたところ声をかけてもらいます。
面接に行くとかなりいい雰囲気の担当、10分ほど話したあと社長が来て2、3質問をし後に
「君、内定!」
と言ってもらえました。
単価連動型で給与レンジも公開されています。
君ならこのくらいの単価で営業できそうだからこれくらいの給与になるよ、と具体的なことも言ってくれました。
ただ今ちょうどリーダーをやらせてもらって経験になると思うからどうしたらいいかと相談もしました。
「内定通知書は出すから半年後来てよ!その経験は今絶対しておくべきだよ」
と言ってもらえました。
今でもこのことは覚えています。
そんなこんなでエンジニアになって1年半、そのタイミングで転職しました。
RE:ゼロから始めるフロントエンドキャリア
ということで2社目にいきここでもいろんな経験を積みました。
この時の案件も色々学びは多いのですが、このタイミングで自身のキャリアチェンジも決意しました。
リーダーをやっていた案件ではJavaなら色々吸収しながらちゃんとした設計を行え、jUnitを使ったテストもかけています。
しかしWeb化案件ですからフロントエンドがついてくるわけです。
当時はjQueryを使って書いていましたが、ここのいいやり方が全くわからない状態です。
どうしたらいいコードになるのか、どうしたらいい設計になるのか、どのようにテストするのがいいのかなど知らないことが山ほどありました。
そんな中でよりフロントエンドの開発経験を積んでこの課題をクリアしていきたいという気持ちになりできる限りフロントエンドが触れる案件を選びました。
と言いつつも最初はReactNativeの案件でしたが笑
(めちゃくちゃ大炎上したなんとも言えない案件でした。)
React/Vue.jsといったフロントエンドのライブラリ・フレームワークを学びながら、Jestを使ったテストやStorybookの存在などを知っていくことになります。
もちろんその横でJavaを使ってAPIの開発もやっていました。
そんなこんなで1年経つか経たないかというところで一つの課題に当たり転職を考え始めます。
なぜSESを辞めたのか
SESは客先に仕事をしにいくといった特性上、熱意を持ってプロダクトを開発している人が少ない傾向にあります。
これは私の観測上の話でそういう人に当たったという可能性も高いです。
が、そういった方と一緒に仕事していくとどうしても熱量の差を感じて仕事がやりづらくなることは色々と出てきます。
具体ではとあるメンバーが障害を起こした時に、一緒に振り返りを行い人ではなく仕組みで解決しようと改善策を出したこともあります。
しかしそれを聞いた他のメンバーからは「仕組みを見直すとか面倒です」といった声が上がったこともありました。
ヒューマンエラーは絶対に起こりうるものでチェックリストなどの無駄なことを増やすのではなく仕組みで解決すべきだと何度もお話をしたのですが分かってもらえませんでした。
他にも不具合を隠そうとしたり、もっと効率化しようとしても止めてきたりとなんとも言えないことが多くありました。
また一番だったのはリリースできるような品質ではないアプリケーションを作っておき、
「お客さんが納得しないから開発が終わらない」
といったリーダーもいました。
正直ハッピーパスすら通ってないアプリをこれで納品しましたなんて言える品質ではないので、その発言はどうなの?と直接言ったりもしていました。
といったところで私は元々お店をよくする、売り上げを上げる、という使命をもって仕事をしていたバックグラウンドがあるので、この熱量の差は自身のモチベーションすらも下げる課題だと感じていました。
そうしていく中でもっと熱意持ったメンバーとプロダクトを作りたい、技術的にも切磋琢磨成長していきたいという思いが強くなり自社開発企業を探すようになりました。
エンジニアになって3年目に突入したタイミングです。
そしてスペースマーケットへ
転職活動を進めていく中で今の会社に出会いました。
当時はフロントエンドの経験もまだ1年経つか経たないかくらい、ただもっとこの分野を深めたいという気持ちはあったのでいくつかの会社とカジュアル面談を受けてたりもしました。
そんな中スペースマーケットと出会いあれよあれよと内定をいただきます。
正直技術課題もやりましたが大層ボロボロの出来でした、よく内定出たなと今でも信じられません笑
(しかもコロナ真っ只中)
当時参画していた案件からは何度も引き留めていただきましたが、そこを離れました。
しかし今でも前職には感謝しています。
転職してからは周りの皆さんのレベルが高く色々と吸収すべきことがあるということに気付かされました。
そしてまずは話についていく、そこから少しでも早く成果を上げるということを意識して仕事をしていました。
そうして気づくといつの間にかフロントエンドチームの中でもそこそこの技術力になっていったわけです。
そこからはあっという間でした、リーダーに抜擢されチームを持ち開発を推進していきます。
そして2023年からはマネージャーという役割をいただき、現在に至ります。
現在は採用であれこれしたりメンバーの成長にコミットしたりとだいぶ楽しいことをしています。
もちろんそれ以外にも開発もやっています。
これまでにやってきたこと
さて、ここまでざっと経歴を振り返ってみましたが最後に仕事以外でどんなことをやってきたか振り返ってみます。
就業後や休日の過ごし方
日によって結構バラバラです。
遊びに行くこともあれば家で本を読むことやコードを書くこともありました。
最近だと副業の仕事をしたりもしています。
そんなに毎日頑張っていません。
なんならエンジニアへ転職してすぐは給与が下がったこともあり、生活が厳しい時は内緒で派遣バイトをしていました。
ただコードを書く時は決まっていて設計書作成など仕事でコードを触らなかった時に気分転換としてやることがよくありました。
言語はJavaを基本としてJavaScriptやちょっとRailsを触ってみたりもしました。
最初の頃はAndroidアプリとかも作ったりしていましたね。
どんな本を読んだか?
私が最初に出会ったのは「アジャイルサムライ」です。
ちなみにこの本最近会社の輪読会で読んだりしています。
次に読んだのが「エンジニアの知的生産術」という本でした。
この2つの本を読んでタスクの進め方を学んで行ったと言っても過言ではないです。
最近は何かをアウトプットするために読書することが増えました。
マネージャーとしてこういう場合はどう考えるべきだろう、より組織を伸ばしていくにはどうしたらいいだろうとかですね。
エンジニアとしての仕事への向き合い方
異業種だから、エンジニアだから特別何かするという感覚は正直私にはありません。
これまでの社会人経験は十分役に立つはずです。
例えばそれはメールの打ち方かもしれません。
時には出勤したら挨拶するとかそんな小さいことだっていいわけです。
社会人として当たり前と思うことはずっと続けていくといいと思います。
ただしエンジニアはより専門性がある分野なので、なんとなくではどうにもならない仕事だと思います。
そこについてはちゃんと学ぶという姿勢を持つべきだと思います。
また年齢が特に関係というのもエンジニアでは顕著だと思います。
どんな相手にもリスペクトを持って一緒に仕事するという感覚を持つといいと思います。
さいごに
だいぶ長くなってしまいましたが本当はもっと色々あります。
スペースマーケットでも色々経験したことはたくさんあって正直今回は書ききれず主に異業種からの転職に方向性を合わせて筆を取ってみました。
今後はより組織の拡大にコミットしつつもまだまだコードもバリバリ書こうと思っています。
最後まで見てくれた方がいたらありがとうございました。
あなたを勇気づけられてたら嬉しく思います。