こんにちは、decoponです。
「レビュー出すの、ちょっと怖いな…」
そう思ったこと、ありませんか?
私はあります。というか、今まさにそうです。
Slackの公開チャンネルにレビュー指摘が流れるたび、
「また指摘されてる…って思われてないかな」
「このコメント、ちょっと言い方キツくない?」
そんなモヤモヤが積もって、やる気がごっそり削られていきました。
この記事では、「レビュー指摘が公開チャットで丸見え」問題について、
・なぜそれがつらいのか
・どんな構造が背景にあるのか
・どうすれば少しラクになるのか
を、自分の体験をもとに整理してみました。
「レビュー文化、ちょっと見直したいな」と思っている方のヒントになれば嬉しいです。
なぜ“公開レビュー”がつらいのか
レビューの内容そのものよりも、
「みんなに見られている」ことがしんどい──そんな感覚、ありませんか?
私が感じた“つらさ”を言語化してみると、こんな構造がありました:
状況 | 感じること |
---|---|
指摘が全員に見える | 「またあの人、指摘されてる」と思われそうで不安になる |
指摘が断定的・冷たい | 内容より“言い方”に傷つく |
自分だけが目立ってる気がする | 「恥ずかしい」「評価が下がったかも」と感じる |
レビューは本来、「品質を一緒に上げるための対話」 のはず。
でも、公開チャットでのやりとりが“晒し”のように感じられると、
その本来の目的が見えなくなってしまうこともあるんですよね。
📓 自分を守るための工夫
レビュー文化はすぐには変わらないかもしれない。
でも、その中でも「自分の心を守る」ことはできます。
私が実践している or 試してみたい工夫をご紹介します。
✅ レビュー依頼時に“意図”を添える
レビューって、コードやドキュメントだけじゃなく、文脈を共有するだけでも指摘のトーンが変わることがあります。
例:
このテスト仕様書は〇〇の仕様変更に対応したもので、△△のパターンを重視しました。
他に網羅すべき観点などがあればご指摘いただけると助かります。
→ “書いた側も考えてる” ことが伝わるだけで、「観点わかってますか?」みたいな指摘は減るかも。
✅ レビューコメントを“即・自己否定”しない
「また指摘された…」ではなく、
“これは〇〇という視点からのコメントかもしれない”
“この指摘、やや曖昧だけど自分なりに意図を汲み取ってみよう”
と一歩引いて解釈するクセをつけると、モヤモヤのダメージが減ります。
✅ 愚痴れる場所をあらかじめ確保しておく
大事なのは 「レビューで凹んだときに、安心して出せる場所」 があること。
同期、フレンド、AI、Qiitaの下書きでもいい。
ひとりで抱えないだけで、かなりラクになります。
「レビューされること」=「評価されること」じゃない。
「成長中だからこそレビューを受けてる」
と、自分に言い聞かせながら、今日も提出ボタンを押してます。
🧁 おわりに:レビュー文化、ちょっと見直してみませんか?
レビューで指摘されることは、決して「ダメな人」だからではありません。
むしろ、「ちゃんと書こうとしている人」だからこそ、指摘が集まりやすいという側面もあります。
でも、
- 指摘が公開チャットで丸見えだったり
- 言い方が断定的だったり
- 文化として“指摘される側の心理”が軽視されていたりすると、
「学びの場」だったはずのレビューが、「心を削る場」になってしまうこともあるんですよね。
🌱 レビュー文化を“育てる文化”に変えるために
私たち一人ひとりができることは、小さくても確かにあります。
-
指摘は「提案」ベースで書く
→ 「〇〇の観点もあるかも?」と、対話の余地を残す -
良かった点も一緒に伝える
→ 「この部分、すごく丁寧で読みやすかったです」だけで、救われる人がいます -
レビュー依頼時に“意図”を添える
→ 「この観点を重視して書きました」と伝えることで、誤解を減らせる -
“レビューされる=信頼されている”という文化を育てる
→ 指摘されることは、恥ではなく「一緒に良くしよう」のサイン
💬 最後に
この記事を書いたのは、
「レビューがつらい」と感じた自分を責めたくなかったからです。
そして、同じように感じている誰かがいたら、
「それ、あなただけじゃないよ」と伝えたかったからです。
レビュー文化は、変えられます。
“指摘する側”も“される側”も、安心して学び合える場にしていけたらいいなと思っています。
もしこの記事が少しでも共感されたら、
「レビュー文化、ちょっと見直してみようか」と
チームで話すきっかけになれば嬉しいです🍵