僕自身は、勉強会を9年ぐらい続けてきた。勉強会は直接お金にはなっていないが、僕も人間なので、生活するのにお金が必要である。やっぱりお金がほしいと思ってしまう。
勉強会を毎日のように続けてきたが、勉強会が直接お金になるのは違和感がある。参加者からお金を取れるかと言うと、普通にプログラミング初心者がお金を持っているとは限らない。お金持っている人だけがプログラミングを習得できる世界は、なにか歪んでいる気がする。
じゃあ、公金などを入れるべきかと言うと、僕もやってて思うけど、それもちょっと違和感がある。
公金を交付する人が勉強会をちゃんと監視できるかと言うと、それは無理だし、公金交付のための書類地獄は少し辛いと思う。使い方間違えると問題になる。「正しく」使わないといけないが、それが生産的とは限らない。
初心者も公金を交付する人も両方共通するのは、正しくインセンティブ設定をできるとは限らないということだ。正しくインセンティブ設定されないと、世界は余計に荒廃してしまう。寄付も同じである。その寄付は正しく使われているだろうか。寄付ドナーは、マーケティング戦略に影響されやすい。つまり、寄付などだと、実際の人助けより寄付ドナーへのマーケティングが優先される可能性がある。
これってオープンソースソフトウェアとお金の問題と似ている気がする。
では、僕としてはどうしたら良いと思うか、やっぱり勉強会は「能力証明」として使われるのが正しい気がする。それは部分的には(全面的に?)ポジショントークを含んでいるが、例えば、僕に関しては、勉強会を続けてきたということは、「何かの能力が確実に高い」ということである。それは技術能力とは限らないが。
それはオープンソースも似た側面があって、オープンソースのコントリビュータは、「何かの知識を確実に持っている」
それはネット上に動かぬ証拠として残る。
で、その、「確実に持っているなにかの知識や能力」のために、企業や顧客はある程度待遇に上乗せする合理性ができる。学位と同じ、ジョブマーケットシグナリングである。人的資本の育成も若干混じっているが。
それが、勉強会やオープンソース開発におけるインセンティブであっても良いのかなと思う。
「能力証明」がインセンティブの良い点は、インセンティブがかなり遅延して供給されるという点である。つまり、勉強会をかなり続けてから供給される。(多分1年ぐらい?)勉強会の場合、インセンティブが即金なのは有害である。
ということで、勉強会の主が、勉強会を続けていくには、勉強会に理解あるオープンソース系の会社を探すことが重要かもしれません。僕も無職状況でやってましたが、僕が考える以上に世の人は、無職に対して否定的な感情がある。
勉強会そのものでお金にしたくないというのも、無職や野良が世間で評価が低いということがある。お金をもらうと無職期間が伸びる。是非はともかく、やはり雇われは世間(日本)で評価が高い。まあこういう状況だから誰も起業しないでみんなサラリーマンやるんですけど。
結局のところ、お金が欲しいと言うより、無職が嫌だという話になる。
ちなみにプロプライエタリの企業と勉強会は両立が難しいかもしれない。今どきはオープンソース技術をどこのIT企業も使っていると思うので、そこら辺はわからないが。
ということで、理工学勉強会やってます。僕以外の人があんまり初心者にちゃんと教えたがる人が少ないので、そこら辺もしんどいです。