こんにちは。
一応「理物女子」と称することができるタイプの人間がこの記事を書いています。
最近YouTubeで話題のあの人とは違う人です。実験ではお世話になりました。
只今「今年のPhys.Labのアドカレはいつにも増してやばい」と友人たちが談笑している横でこの記事を書いております。Phys.Labのアドカレ、「特に今週がやばい」と聞き及んでおりますので、ぜひ既に公開されている記事も含め色々とご覧になってください。
そんな中でジェンダー関連のトピックで乱入したいと思います。無理にふざけても盛大に滑りそうなので、素で書きますね。
東京大学、女子率が少ないので女子を増やそう!というムーブメントが進んでいますね。また、「Diversity&Inclusion」という標語も掲げられています。多様性を尊重しよう!という主旨らしいです。
当方、理学部物理学科の女子率は、異常に低いです。約70人の物理学科生の中で約6人が女性です。他者のセクシュアリティを勝手に類推することも公開することも重大なタブーですから「およそ」です。ちなみに「6人」という数字でも、弊学科ではなかなか稀に見る多さだそうです。って教授がおっしゃっていました。衝撃。
理学部の他の学科もそうですが、女性は本当に少ない。女性同士の交流を!ということなのか、最近理学部で「女子学生交流会」というものが開かれるようになりました。参加対象者は、女子学生・男女参画に興味のある男性、とのこと。え、男性も可能なのか...? と、結構ザワついたようですが、この定義には、私は割と賛成。性別とは男女の2種類のみ存在するわけではないですしね。自らに「女性」という要素を持つと感じることができる人ならば誰でも出入りできる場所であって欲しいです。
(ところで、男女参画というと、世の中の性別が2種類しかないみたいで、とても悲しいのですよね...。実際はグラデーションのようになっていて、本当に多様でcolorfulなのがセクシュアリティなのだと思っています。この2つは決して矛盾する概念ではないのだが、同時に議論するのがとても難しいと感じています。悔しいなあ。)
ところで、「『女性』という特徴がマイノリティである」この学科で、その当事者の居心地はどうなのでしょうか。
まず、私の感想としては「まあ別にそんなに困らんな」です。
我らが物理学科の同期がたむろする部屋を覗くと、オンラインゲームをしながら常軌を逸した叫び声を上げる人や、3000ピースのジグソーパズルに熱中する人、なぜか4つあるステゴザウルスのぬいぐるみを積み上げる人、ホワイトボードに友人の名前を書きまくる人など、非常にやb...楽しい人たちを観測することができます。
物理学科に入って1年と少し、「常識って、一体どう定義すればいいんですかね?」というぐらいには常識というものを失いました(元から無かっただろうテメェは!というツッコミは無視しておきますね、特に私の中学・高校同期の皆様)。
で、肝心のジェンダーに関しては、あまり困っていません。女性だからと言って顕に下げられたり、誤解を受けたりするようなこともない。きっと「私って女性なんだな〜〜〜!」と感じるようなことがないのだから、本当に困っていないのだと思います。順応しちゃったとかではなくて。
単に、物理に性別は関係ない、というのをごく普通に体現している友人に恵まれているのだと思います。そもそも染色体依存性のある物理量なんて発見されてませんし、性別によって学びたい学問を学ぶ機会が奪われること自体、異常事態なんですが。
一方で、やはりこんな声も聞くのです。
友人は言いました、「女性が少ないのは、やっぱりしんどいんだよ」と。
女子学生で集まってご飯を食べると、こんな話がメインになることもあります。
「あの研究室って女性いたっけ?」
「どうだろう、いなかった気がする」
「うーーん、それはきついなあ」
先ほど「そんなに困っていないなあ」とか言っておいてアレですが、これ結構研究室を選ぶ上での重要事項になってしまう気がします。ちなみに、不本意です、もちろん。もっと気楽に研究分野を選びたい。
自分で選んだ分野を突き進めばいいじゃないか、周りの目など気にせずに!なんて言葉が聞こえてきそうですが、正直、そう簡単にはいかない気がします。
「あのね、僕は『何を研究するか』よりも『誰と研究するか』の方が大事だと思うんだよ」
そう話してくれた教授のことを思い出します。確かにそうなんです。物理(に限らず学問というもの全般かもしれない)においては「議論すること」がとても重要らしいのです。私も最近になってじわじわと感じつつあります。
性別というのは、思っている以上に重要なアイデンティティで、同じ性別の人でまとまってコミュニティが形成されていることが多い。個人的意見ですが、それはごく自然と起こりうることでしょう。既に形成されたコミュニティを解体してみんなで仲良くしよう!というのをDiversityともInclusionとも呼びたくはありません。
だから、自分とは違うアイデンティティを持つコミュニティに飛び込んでいくのは、ものすごく勇気がいる。それがその人にとってどれほどの負担になるのかは、やはりその人によって異なるのです。
そこで費やす時間や精神力を、本当は物理を追求することに使いたいのです。
でも、そうもいかないなあ、しんどいなあと思っている人がいるのも、事実なのです。
私は幼い頃から理系分野ばかりに熱中してきて、女性だからという理由でそれを妨げられたことがありません。しかし、周りには、性別によって自分の学びたい分野を諦めることになってしまった人が、確かにいるのです。そして、そんなに少ない例じゃない。
どこか遠い国の話でもなくて、多分、この記事を読んでいる人の半径数m圏内でも起こっていることなのです。
どうか、性別によって学問を諦めるような現状がなくなって欲しいと願います。
理学部物理学科、楽しいです。入ってよかったと心から思います(テスト期間以外は)。
そして、この文章を読んだ方が、性別関係なく、物理学に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
では、真面目な話、おしまい。
読んでくださりありがとうございました。