はじめに
「Google は世界でも有数の“ハードウェアメーカー”だが、自社向けにしか使わないため市場シェアには現れない」ちょっと前(GCPがまだGoogle Cloud ではなくGoogle Cloud Platform と呼ばれていたころ)に Google の営業さんから聞いた話ですが――本稿はこの仮説を、一次情報と技術史から検証します。
あわせて、なぜ検索エンジン企業がハードウェアに踏み込んだのか、eスポーツで評価される低レイテンシの背景、米国での独禁法裁判(Chrome を手放すのか?)の最新状況を、エグゼクティブにも伝わる構造化でまとめます。
1.Googleの強さと考え方
- Google は「倉庫規模コンピュータ(WSC)」の思想で、サーバー/ラック/ネットワーク/チップまで“面で最適化”することで、TCO・電力・レイテンシを同時に最適化してきた。このため、外販の“売上シェア”には出ないが、台数規模は世界有数の調達/設計勢力に属する(ハイパースケールカテゴリ)。(pages.cs.wisc.edu, Google Cloud, TrendForce)
- バックボーンの太さは業界最大級。点ではなく“面”で閉域に近い経路を保つ Premium Tier、“約200超のエッジロケーション”、“200万マイル超の点灯済みファイバ/33本の海底ケーブル投資”が低ジッタ/低損失経路を支える。(Google Cloud)
- eスポーツ/対戦ゲームでは、GCP Premium Tier でレイテンシが5〜10%改善した事例が公式に公開されている(Game Insight『Guns of Boom』)。(Google Cloud)
- 米国独禁法訴訟(2025年9月)では、Chrome の売却命令は回避。一方で独占的“排他契約”は制限、一部検索データの共有を義務化(監督委員会付き)などの行動是正が命じられた。(opb)
2.元々検索の会社がなぜハードウェアまで作るのか
2-1.物理限界と TCO 最適化
TCO:総所有コスト(Total Cost of Ownership)
- WSC(Warehouse-Scale Computer)=「データセンター全体を1台の計算機として設計」する発想。個々のサーバーより全体最適のほうがコスト/電力/信頼性/レイテンシで有利。(pages.cs.wisc.edu)
2-2.ソフト/ハード協調最適化
- TPU(AI処理専用チップ、ASIC)はGPUよりさらにAIに特化、推論/学習で桁違いの性能/電力効率を実現し、サービス体験とコストに直結。チップ→ネット→ラック→オーケストレーションまで同時最適できるのは内製の強み。(Stanford University, arXiv)
2-3.電力・冷却・電源系の革新
- 48V ラック/UPS(無停電電源装置) を含む電源アーキテクチャをスケールで実運用。機械学習等の高電力ワークロードに合わせ、ラック/配電を含めてチューニング。(Google Cloud)
2-4.ネットワークを“製品”としてつくる
- DC 内部の Jupiter(データセンターファブリック)、DC 間の B4(SDN WAN)などを自設計/自動化してコスト/消費電力/帯域/信頼性を継続改善。(research.google, コンピュータサイエンス)
2-5.サプライチェーン/地政学リスク対応
- ハイパースケーラー向け“ODM(Original Design Manufacturing、一貫した製造請負) Direct”という巨大カテゴリが増加。Google などの自社設計+ODM生産は一般市場シェアに出にくいが、実出荷は世界サーバー市場の中核を占める潮流。(my.idc.com, TrendForce)
3.「世界有数の“つくる”会社」の根拠(エビデンス)
- 内部ネットワークの10年スパン改善(Jupiter Evolving):帯域5倍/設備投資30%/電力41%削減等、光回路スイッチ+SDNでの生産レベル最適化を公表。(research.google, Stanford University)
- 広域 SDN(B4):自社アプリ〜サーバ〜LAN〜WANまで制御した“面”の最適化で、従来のオーバープロビジョニング依存を刷新。(コンピュータサイエンス, research.google)
- 電源アーキテクチャの標準化(OCP 参加):48V ラック設計を“スケール導入”した実運用を公開。(Google Cloud)
- AI アクセラレータの世代更新(TPU v1→v4→Ironwood ほか):推論/学習のクラウド実運用と光スイッチによる大規模結合を査読論文/公式ブログで明示。(arXiv, blog.google)
※「外販の市場シェア」では見えにくいものの、“台数×スケール”の実態はハイパースケールの中核に位置しています。ODM Direct の伸びを示すデータが根拠と言えるでしょう。(my.idc.com, TrendForce)
4.バックボーンの太さと低レイテンシ(eスポーツ視点)
- Premium Tier:Google の低レイテンシで信頼性の高いグローバルネットワークでトラフィックを搬送。一般インターネット経路よりジッタ/損失/遅延の振れが小さい設計。(Google Cloud)
- エッジ/海底/ファイバ規模:“約202のエッジロケーション”+“33本の海底ケーブル投資”+“点灯済みファイバ約200万マイル”を公開。42リージョン/127ゾーンの到達性も示す。(Google Cloud, blog.google)
- 実測ベースの事例:Game Insight は Premium Tier 採用でレイテンシ5〜10%改善、グローバルな対戦/配信を支えると報告。FACEIT も GKE で展開速度/安定性/コストを改善。(Google Cloud)
5.ケースで学ぶ
5-1.事例
- Guns of Boom(Game Insight):Premium Tier で5〜10%遅延短縮、ゼロダウンタイム移行、Sustained Use などで最大約20%コスト削減。(Google Cloud)
5-2.原理
- “自前の広域+エッジ”にワークロードを“合わせる”(経路制御/Anycast/エッジ終端/グローバルLB)ことで、対戦の公平性(ジッタ抑制)と開発者の運用負荷を同時に下げる。(Google Cloud)
5-3.設計指針
- Premium Tier+GKE/Compute Engine+Global LB+Cloud CDNを基本線に、リージョン/ゾーン分散と観測(Operations)を初手で整える。(Google Cloud)
6.最新の規制動向:Chrome は手放さずに済むか
- 2025/9/2 付近の連邦地裁判断:Chrome/Android の分離・売却は不要。一方で独占的“排他契約”の禁止、特定の検索データの第三者共有(監督付き/広告データは除外)などの行動是正を命令。“デフォルト有償設定”自体は全面禁止にならず。(opb)
- 示唆:構造分離(売却)を回避したため、Google 側のネットワーク/ハード/ソフトの垂直最適化は継続可能。一方、データ共有の設計とプライバシー配慮が新しい実務ハードルに。(opb)
7.今後の戦略シナリオ(2026〜2028)
- 低レイテンシ“面”の外販拡大:Cloud WAN/Partner Edge/Private Service Connectの組み合わせで企業 WAN のクラウド内包を推進。Google 自前ネットの“商品化”が進む。(blog.google)
- 推論特化ハードのクラウド提供:Ironwood(推論世代 TPU)をクラウド規模で提供、大規模推論の単価/遅延を押し下げる。(blog.google)
- 規制準拠アーキテクチャ:データ共有+プライバシー保護の技術実装を標準化(監督委員会下での匿名化/アクセス制御)。(opb)
リスク/トレードオフ:データ共有による競合の台頭、プライバシー/コンプラの実装コスト、海底ケーブル/電力のCapEx偏重。代替案として相互運用 API/フェデレーションの拡充で“囲い込みに依存しない”競争力を模索。
8.ステークホルダー分析(抜粋)
ステークホルダー | 期待価値 | 懸念 |
---|---|---|
ユーザー/ゲーマー | 低レイテンシ/高安定の体験 | 料金/個人情報 |
開発者/スタジオ | グローバル即時配信/運用容易性 | ベンダーロックイン |
規制当局 | 公正競争/データの可用性 | プライバシー/監視 |
供給網/電力事業者 | 長期需要/共同投資 | 地政学/環境負荷 |
競合 CSP | 相互運用/相互接続 | 黒子化(ネット裏側の収益化) |
(Premium Tier/エッジ/海底線規模、行動是正の要件は上記の期待/懸念を規定)(Google Cloud, opb)
9.仮説 → 根拠/データ → 再検証 → 示唆・次のアクション
仮説 A:Google の“自前ハード+私設バックボーン”は、対戦ゲーム/配信におけるレイテンシ/ジッタで優位をつくる。
根拠:Premium Tier の設計、エッジ/海底/ファイバ規模、実測で5〜10%短縮の事例。(Google Cloud)
再検証:実運用で RTT/ジッタ/パケットロスを観測(多地点/時刻)。リージョン/エッジの切替で比較。
示唆/次アクション:Premium Tier を前提にGKE/Global LBで構成し、SLO をジッタ込みで策定。観測と自動切替(Traffic Director 等)を初期から仕込む。
仮説 B:“Chrome の売却回避”で垂直統合は続くが、データ共有ルールは製品設計に影響。
根拠:Chrome 売却は不要、排他契約の制限、データ共有義務の判示。(opb)
再検証:最終命令文の適用範囲/期間/技術委員会ガイドラインを継続トレース。
示唆/次アクション:検索/広告/AI のデータ境界を再設計。匿名化/差分プライバシー/アクセス監査を標準機能化。
仮説 C:TPU 世代更新は“推論の単価/遅延”を段階的に下げ、アプリ設計を変える。
根拠:TPU v4 の光スイッチ結合、Ironwood(推論世代)の大規模構成(256/9,216 チップ)オプション。(arXiv, blog.google)
再検証:実ジョブ(RAG/多人数セッション/マッチメイキング)のスループット/レイテンシ/単価で A/B。
示唆/次アクション:推論を“エッジ近傍+TPU ポッド”に再配置。QoS を観測→自動スケールで運用負荷を最小化。
10.なぜで深掘り
なぜ①:なぜ Google はハードウェアまで作るのか?
→ 検索/動画/マップ/AIの品質とコストは、ネット/サーバ/電源/チップの物理層で決まるため。(pages.cs.wisc.edu)
なぜ②:なぜ物理層が効くのか?
→ 遅延/ジッタ/障害/電力は設計と運用の両面で“面”の最適化が効くから(Jupiter/B4/48V/TPU)。(research.google, コンピュータサイエンス, Google Cloud)
なぜ③:なぜ“面の最適化”を他社に任せないのか?
→ 要件が過酷(規模/電力/地理/AI)で、部品最適の寄せ集めでは TCO と体験が頭打ちになるため。(arXiv)
なぜ④:なぜ eスポーツで評価されやすいのか?
→ Premium Tier+広域エッジで実測の遅延短縮が確認されており、公平性と体験に直結するから。(Google Cloud)
なぜ⑤:なぜ今も投資を続けるのか?
→ AI/配信/対戦は帯域×遅延×コストの複合戦。規制環境に対応しつつも、垂直最適は依然として競争優位の源泉だから。(opb)
おわりに
Google は「ソフトウェア会社」だけではなく「ハードウェア会社」でもあります。外販シェアには映らないものの、台数・ネット規模・電源・チップまで統合する力が体験とTCOを左右しています。
規制環境は厳しくなっていきますが、行動是正の範囲内で“面の最適化”を深化させていく――その帰結として、eスポーツ/生成AI/配信は今後とも低レイテンシ×大規模のメリットを受けられるでしょう。(Google Cloud, opb)
参考(主要出典)
- WSC 概念:The Datacenter as a Computer(Google/Morgan & Claypool, 2018)。(pages.cs.wisc.edu)
- Jupiter(DC ネット):SIGCOMM’22 “Jupiter Evolving”。(research.google)
- B4(SDN WAN):SIGCOMM’13 “B4: Experience with a Globally-Deployed SD-WAN”。(コンピュータサイエンス, research.google)
- 48V ラック/OCP:Google の OCP 参加発表。(Google Cloud)
- TPU v4/光スイッチ:arXiv 2023。(arXiv)
- Ironwood(推論世代 TPU):Google 公式発表。(blog.google)
- Premium Tier/エッジ数:Google Cloud 公式。(Google Cloud)
- “5〜10%レイテンシ改善”事例:Game Insight 公式ケース。(Google Cloud)
- Chrome 売却回避と是正:OPB(NPR)。(opb)