本記事では、技術情報の発信に関わる知見を共有することを目的として、書籍「荒木飛呂彦の漫画術」で「王道漫画の描き方」として示された情報発信のためのベストプラクティスを紹介します。
#皆の悩み事としての「情報発信の難しさ」
技術情報の発信において、情報の受け手の心を掴むのは容易なことではありません。「記事を投稿しても誰にも読んでもらえない」、もしくは「プレゼンテーションを行っても聴講者と目が合わない」というような事態に直面することは日常茶飯事で、私たち技術者の悩みの種となっています。
その一方で、他者に向けた情報発信の難しさに翻弄されているのは、私たちのような技術者には限られません。例えば、社員に対して指示を伝達する立場にある企業経営者や、読者に対して記事を発信する立場にある新聞記者の方々なども、似たような悩みを抱えていることでしょう。
そして、情報発信を通じて読み手や聞き手の心を掴むという行為に関して、(おそらく)最もシビアな状況に晒されているのが漫画家の方々です1。そのように考えると、シビアな環境で、「如何に読者を獲得するか?」という死活問題を解くために磨かれた漫画執筆のためのベストプラクティスは、様々な分野での情報発信のために広く参考となるはずです。
#「荒木飛呂彦の漫画術」から学ぶ情報発信のベストプラクティス
##「荒木飛呂彦の漫画術」とは?
広く人気を集める漫画家である荒木飛呂彦2先生(以下、「荒木先生」)が、自らが修めた漫画執筆のベストプラクティスを書籍としてまとめたものが、今回の記事で紹介の対象とする「荒木飛呂彦の漫画術」です。この書籍において、荒木先生は以下のように述べています。
「王道漫画の描き方」は漫画に限らず、もっと普遍的なハウツーであるようにも思います。(中略)その意味で、「漫画の王道」は漫画を描きたい人だけではなく、もっと普遍的なものとして知られるべきなのかも知れません。
出典:荒木飛呂彦の漫画術
そして、この記事では、上述した荒木先生のコメントを踏まえる形で、「王道漫画の描き方」のエッセンスを、情報発信のための普遍的なベストプラクティスとして示すことを試みます。
##荒木先生の3つの教え
書籍「荒木飛呂彦の漫画術」には、漫画の執筆を題材とした、情報発信のための広範、かつ多彩なベストプラクティスが提示されています。そして、書籍で紹介されたベストプラクティスの要点として、以下に示す3点を強調することが出来ます。
- 荒木先生の教え(その1): 情報発信の「導入」を大切にする
- 荒木先生の教え(その2): 情報発信を「基本四大構造」を用いて捉える
- 荒木先生の教え(その3): 自らが信じる情報発信の「テーマ」を大切にする
その上で、本記事の以降のパートでは、上記した3通りの「荒木先生の教え」のそれぞれに注目した解説を行います。
##情報発信の「導入」を大切にする
荒木先生は、情報発信の「導入」で読者の興味を繋ぎ止めることの大切さについて、自らの実感を題材として以下のように述べています。
デビューしたときに一番恐れていたのは、編集部に作品を持っていったとき、受け取った編集者が原稿を袋からちょっと出しただけで、一ページもめくりもせずに、また袋に戻してしまう、ということでした。
出典:荒木飛呂彦の漫画術
情報発信の「導入」で読者の興味を繋ぎ止めるためには、発信する情報の冒頭部分の構成に工夫を凝らさなければなりません。ここで、荒木先生が示す、読者の興味を繋ぎとめるためのコツを要約すると、以下の3点にまとめられます。
- 最初の1コマ目に「5W1H」要素を含めること
- 最初の1ページ目を漫画全体の「予告」として扱うこと
- 限られた紙面に効率よく情報を盛り込むこと
この、荒木先生による「3つのコツ」を技術情報発信の文脈に当てはめてみると、科学論文でのアブストラクト記述の作法と類似していることに気づかされます。技術情報発信の一種としての科学論文での「導入」にあたる、アブストラクト記述にあたっての基本的な作法は、以下に示す3点に要約されます。
- その論文で取り上げる論点、および論点が成立する背景を示すこと
- 取り上げた論点に対する、その論文ならではのアプローチの方法を示すこと
- アブストラクトは簡潔に記述すること(文字数制限が課されている場合も多い)
つまり、漫画、および科学論文の執筆において、その「導入」を構成する上でのコツには相通ずるものがあります(下表)。
「導入」を構成する上でのコツ | 漫画の場合での対応 | 科学論文の場合での対応 |
---|---|---|
情報発信の「スタート地点」を明示する | 最初の1コマ目に「5W1H」要素を含める | 論点、および論点が成立する背景をアブストラクトに示す |
情報発信の「方向性」を示す | 最初の1ページ目を漫画全体の「予告」として扱う | 取り上げた論点へのアプローチをアブストラクトに示す |
「導入」を簡潔に保つ | 限られた紙面に効率よく情報を盛り込む | アブストラクトを簡潔に記述する |
逆に言うと、情報発信の「導入」で、発信する情報の「スタート地点」と「方向性」を「簡潔に」示せていないケースはNGであるとして捉えて良いでしょう。例えば、以下に示すようなNGパターンがQiita記事では多く見受けられます。
- 冒頭でいきなりコードを提示する
- 記事での本旨に関係しない自分語り(例:自己紹介)から記事を書き出す
- ディスクレーマー(免責事項)から記事を書き出す
##情報発信を「基本四大構造」を用いて捉える
以下に示す4つの要素が互いに影響を及ぼしあうことを通じて漫画は成立している、とする見解を、荒木先生が示しています。
- 「キャラクター」
- 「ストーリー」
- 「世界観」
- 「テーマ」
そして、荒木先生は、この見解を指して「基本四大構造」と呼称した上で、漫画を描くにあたって、「基本四大構造」に含まれる各要素のバランスを意識することが非常に重要であると訴えています。
本記事の筆者も、漫画の場合と同様に、技術情報は以下に示す個別の要素が互いに影響を及ぼしあうことにより成立していると考えます。
- 「技術」
- 「ストーリー」
- 「世界観(技術が活用される背景)」
- 「テーマ」
例えば、あるQiita記事(「Reactを使うとなぜjQueryが要らなくなるのか」)に「基本四大構造」を当てはめてみると、以下に示す記事構成を読み取ることが出来ます。
- 「キャラクター(技術)」: React(主人公)、jQuery(主人公のライバル)
- 「ストーリー」: プレーンオブジェクトからのDOMの構築
- 「世界観(技術が活用される背景)」: Webアプリケーションプレゼンテーション層実装での群雄割拠
- 「テーマ」: 二人のキャラクター(React、jQuery)の対決
一方で、技術情報の発信者自身が、技術情報が包含する「基本四大構造」の特定要素のみに注力して、他の要素をないがしろにしてしまうようなケース(例: 「ストーリー」の整合性のみに注意を集中してしまったがために、情報の受け手が共感出来るだけの「世界観」を示せていない)が生じることもあるでしょう。そのような、「基本四大構造」の特定要素への近視眼的な執着を避けるために、「基本四大構造」の各要素間でのバランスを意識した目配りが必要とされる訳です。
##自らが信じる情報発信の「テーマ」を大切にする
「テーマ」こそが「基本四大構造」の各要素を統括し、なおかつ繋ぐものであると荒木先生は捉えています。何故ならば、「テーマ」とは情報の発信者が表現したいこと、訴えたいことに相当するため、必然的に、「テーマ」に従う形で「キャラクター」、「ストーリー」、および「世界観」が導き出されるからです。
そうした考え方のもとで、テーマの選定に際して、「売れるか売れないか」という視点に囚われてしまうことを荒木先生は戒めています。
ヒットするかどうかに重要なのは、必ずしも売れそうな「テーマ」ではありません。自分が「これだ」と思うテーマならどんな「テーマ」であっても、作者自身の心を打つ「キャラクター」や「ストーリー」にのせていけば、絶対におもしろい作品となって、読者に受け入れられるはずです。
出典:荒木飛呂彦の漫画術
技術コミュニティにおける技術情報発信においては、情報発信を貫くテーマを選択するための裁量が(大抵の場合では)情報の発信者である私たち自身に与えられています。そして、私たちに対しては、そうした裁量を最大限に活用した上で、自らが「これだ」と思うテーマを選択することこそが求められているのではないでしょうか?