こんにちは、エンジニア2号です。
こちらの記事は金属加工プラットフォームを開発・運用するCatallaxyのCatallaxy Advent Calendar 2021の第23日目の記事となります!
エンジニア界隈ではもっぱら心理的安全性を高める取り組みが注目を浴びています。
心理的安全性が高い職場だと生産性が上がりますし、何より仕事をしていて楽しいです。
そもそも心理的安全性とはなんでしょうか?
「心理的安全性」とは、他者からの反応に怯えたり、羞恥心を感じたりすることなく、自然体の自分をさらけ出すことができる状態を意味する。
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=2122
時はコロナの時代。リモートワークも特別ではなくなりました。
業務中の会話はあれど、意識して取り組まないとたわいない雑談などもなくなってしまい他の社員との距離もどんどん離れてしまいます。
エンジニアの場合、ヘタをすると全く一切誰とも会話せずに一日が終わってしまうということもあるかもしれません。
そんな日が長く続くと自分が孤立しているような気持ちがしてきて、だんだんと自然体でいられなくなってきます。
こうなると組織全体の心理的安全性も下がっていってしまいます。
コロナの中、今までの飲み会や集まりといった多人数が参加するレクリエーションも難しい状況です。
オフィスに出勤することもなく、レクリエーションもできない今、組織のみなが自然体の自分をさらけ出せるような心理的安全性の高い環境にするはどうすればいいでしょうか?
私は、誰かが見ていてくれるという実感が一つの鍵なのではないかと考えています。
私は以前某テーマパークで働いていました。
そこではリスペクトカードという文化がありました。
それは約1ヶ月ほど特定の期間中に、日々の業務の中で素敵だなと思った誰かの行動に対してリスペクトメッセージを書いて送るという文化です。
テーマパークでは様々なことが起こります。
次にやらなければいけないことがあって時間が押している状態で、小さい子が迷子になって不安そうに佇んでいるのを見つけたり、またある時は、中国語、英語、日本語で同時に3人に質問されたり。
1日の業務が終わると事務所で疲れてぐったりとしている人もいます。
そんな時に「いつもどんなときでも笑顔をたやさずに対応していて素敵です」という言葉がもらえたらどうでしょうか?
自分が心がけている小さな頑張りをちゃんと見ている人がいる。ちゃんと褒めてくれる人がいる。
「パンクしそうだったときに、サッと手伝ってくれて本当に助かりました。ありがとうございます」。
感謝の言葉をもらうと、とても忙しかった日でもそれだけで心がウキウキしてくる気がします。
リスペクトカードが送られると、もらった人の始業のタイミングでメッセージが読み上げられて、リーダーからカードが手渡しされます。多い時には1日に何枚もカードをもらうこともあります。
実際に私もリスペクトカードをもらって本当に元気になりました。自分がやってきたことは間違っていなかったんだと報われた気持ちになりました。今でもそれらは大切に保管しています。
やはり心を開いて自然体の自分をさらけ出せるようになるには、誰かがちゃんと自分のことを見ていてくれている、自分が認められているという感覚が重要なのではないでしょうか。
弊社Catallaxyにもリスペクトメッセージという文化があります。
これは3ヶ月のクオーターごとに全社員がお互いに日頃の感謝の気持ちをリスペクトメッセージに込めて送り合うという文化です。
つい先日もリスペクトメッセージの交換が行われました。
そこにはエンジニアだけでなく他の部署の人たちもメッセージを書いてくれています。
会社という組織の中で、ただの歯車としてではなく一人の人間として認められているという実感は、何にも変えがたいものです。
そうやって認められているからこそ、自分の思ったことを素直に言える自然体になれるのだと思います。
心理的安全性を向上させるための取り組みはたくさんありますが、その中でもこういったリスペクトや感謝を伝え合うという施策はとても有効だと、この会社に入ってさらに確信を強めました。
会社だけでなく個人としてもこれは変わらないでしょう。
私は時に感謝を忘れてしまい当たり前だと思ってしまう悪い癖があります。
だから個人的にも「ありがとうカード」という単語帳を作っています。暗記するときに使う単語帳カードに日々ありがとうと思ったことを書いて、誕生日に毎年パートナーに渡すようにしています。
ありがとうを伝えることも、ありがとうと伝えられることも、同じくらい嬉しいものですね。
皆さんも何か心理的安全性を高める施策をやろうと思った時は、弊社のようなリスペクトメッセージの取り組みをやってみるのもいいかもしれません。
誰かから感謝されている実感というのが、この社会に生きる理由の一つかもしれませんね。