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SBLの歴史を振り返ろう

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SBLが誕生したのは2020年1月26日。この記事を投稿した時点でおおよそ1年の月日が過ぎており、当然その道のりには沢山の出来事が敷き詰められています。
今回はその歴史を紐解くことによって現在までの進化や各球団の努力などを見ていきましょう。

さて、最近始めたという人の中に初期のSBL球団にはなんとチームカラーが無かったということを知っている者は居るでしょうか?
20211203_005957.jpg

この写真が物語るように全て白黒で統一されていた為、つぶやき欄ではよく見ないと所属チームが分からないという地味にめんどくさい仕様だった。
幸い赤天狗が早期に対応した為404年度からはどの球団もオーナーがチームカラーを変えられるようになり今に繋がっている。
リコリス等は監督が交代する度にチームカラーを変えてるので比較的新規の人にも馴染みがあるんじゃないだろうか。

色について語ったところで次はDiscordやスプレッドシートと言った外部ツールについて語っていこう。
現在何かしらの外部ツールを使っているのは監督コメントで確認出来るだけで8球団と多数派を占めているが、当然初期から全て作られていた訳ではない。
例外として球団wikiは比較的早めに作られたり設立当時から作られたものもあるが、他のものはほぼ無かったと言えるでしょう。

では何故出来たのか?一つずつ理由を考えていってみる。

まず前提として、初期はBBLとの掛け持ち勢が半数以上占めていたのが上げられる。つまりは経験者、外部ツールを使わなくても元から育成のイロハを知っていた。

Discordが出来た理由としては単純にコミュニケーションツールとしての便利さや通知の是非などがある。正直に言ってしまえば、ケータイやつぶやきで育成を教えたり考えたりするのよりも楽である。
(ちなみに一番始めにDiscordを設立したのはリコリスだ)
また、対馬Discordではなげねこオーナー本人が対馬の製作者人口の裾野を広げるためと言う理由も挙げていた。
Screenshot_20211203-012905_Discord.jpg

ではスプレッドシートはどうだろうか?ここは掛け持ち勢が多かった前提が崩れたのが大きいと考えられる。
初期こそは初心者が少なく経験者が多かったので教える人の数が多い、監督の負担が少ないなどで充分初心者へ対応出来た。
しかし時が経つにつれ掛け持ち勢が減少し教える側の負担が増大、効率化の為に必要になったのだと思われる。
実際、各球団のスプシを見て練習計画を建てたり学んだりしたことのある人は多いんじゃなかろうか。

さてさて、次は球団自体のことを話そう。
現在αとβ合わせて12球団が活動しているが、過去には他の球団が存在しておりオーナーの都合等様々な理由で現在の球団へと引き継がれてきた。

有名所で言えば水野シーサーペンツ(現群馬ルシッドクォーツ)だろう
20211203_013756.jpg

最近にはビリーズの代理監督を務めた水野(製作者名:藤)さんがオーナー、監督として指揮を取っていた球団で368~549年度まで活動していた。
下記のTwitterにてかつての活動を垣間見る事が出来る
https://twitter.com/MIZUNO_Official?t=csp6KCryD-nrZpa3n9IDhg&s=09

他にインパクトのあった球団と言えばこの2球団だろう。
まずは長野ヨシイモバイルグラウス(現衛府フロンティアグラウス)だ。
球団Discordの爆破や複垢の大量入団、史上類を見ない勝率と当時大きく話題になった。当時の首脳陣たちの苦労は計り知れない。無事に球団を引き継げてホントに安堵した。
Screenshot_20211203-015007_Internet.jpg

次に紹介するのは宮崎フェニックス(現宮崎ジャパリフェニックス)。
MPhロゴ.png

403年度から418年度にかけてV16というとんでもない記録を達成しており、初期SBLの環境で当時まごうことなき最強球団であった。

以上3球団+現12球団が存在したことのある球団だ。
(リコリスの親会社等が変わったりはある)

さてさてさて、話題は変わりますが皆さんはCOMを見たことがあるでしょうか?
選手が足りない時に出てくる謎の助っ人…という認識も正しいですが、実は監督として活躍()することもあります。
監督が退任した際に他の製作者から応募が無かったらCOM監督が就任となるのですが、どの監督も後任が決まる前に辞めたりはまずしないですよね。つまりは、応募を忘れるというガバが発生した時に起きる事故なんです。
現在では三球団(グラウス、キャッツ、ドリフターズ)の犠牲により、監督が退任する直前のシーズンに応募するというのが認知されているので、最後に現れたのは407年度ドリフターズが最後になっています。

さてさてさてさて、BBLには記事というものがあり、それはこのゲームをより楽しくしてくれる要素の一つとなっています。ここでは昔はあったが今はない、面白い記事を紹介していこうと思います。

初めに紹介するのはならズ初代監督、takuyan氏による”ネッコレ”です。
痛快に、そして的確に選手を紹介しており、オチがしっかりと付いている為とても読みやすいです。また、一記事の文章量も少ないため今からでも全記事を読み返しやすくなっています。
https://bbl.webliru.com/information.php?info=sn&id=1433

続いては”表彰されない賞”、最高OPSや最多四球など、ゲーム側からは表彰されない隠れたタイトルを表彰してしまおうという記事で、過去数人がこの記事を書いていました。
https://bbl.webliru.com/information.php?info=sn&id=287

お次は”SBLを盛り上げたい”。GO!GO!SBLという名称で投稿されていたこの記事は、初期の停滞していたSBLを盛り上げる為に企画され、各球団の成績、選手人数、ネクストブレイク選手等を取り上げた各球団のまとめ記事的存在です。
https://bbl.webliru.com/information.php?info=sn&id=111

各球団のまとめ記事と関連しまして、続いてはDr.paper氏の”記録データあれこれ”です。
ゲーム上からは読み取る事が難しい細かなデータを掲載しており読みごたえは抜群。データ好きにはたまらない記事となっています。
https://bbl.webliru.com/information.php?info=sn&id=1501

これにて記事紹介は終わりますが、探せば探すだけ先人達の残した面白い記事が見つかります。練習消化の待ち時間なんかに探してみるのも、このゲームの楽しみ方かもしれません。

最後に、SBLは監督によって方針も変わるし、入団する球団も選ぶ事が出来るシステムです。
その為球団によっての戦力格差はどうしても起きることですし、過去にも幾度となく発生してきました。当然どの球団の方針もしっかり考えた結果のもので、そこに優劣はありません。
こういった戦力格差は時間で解決することもありますし、各チームに居る製作者が各々負けないよう、盛り上げようとして力を付けていくことで解決することもあります。
何度も言いますがチームの方針に優劣は無く、監督やコーチ陣はその目標に向かって悩みながらも責任を持って日々指揮を取っています。
こうして歴史を振り返る中で、自分なりのチームへの貢献方法やこのゲームについての楽しさを再発見出来れば幸いです。

以上、19日目の記事でした。

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