量子コンピュータはその計算能力の高さから、実現が待望されている次世代の計算機である。量子コンピュータの開発は世界中で行われているが、実社会の問題へ応用するにはまだハードウェアの性能が足りない現状がある。特に、量子コンピュータでは物理的に発生してしまうエラーが計算能力を悪化させるため、エラーを訂正する技術である量子誤り訂正符号の実装が求められている。
本稿では、誤り訂正能力を有する量子コンピュータである誤り耐性量子コンピュータ(通称FTQC)について解説を行う。
量子コンピュータの分類
量子コンピュータは、実装されている量子ビット数や、量子ビットに生じるエラー率によって、考えられるユースケースが分類される。現在実現されている量子コンピュータでは、エラー率数%程度の量子ビットが数百個作られており、このような量子コンピュータはNISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum device)と呼ばれる。これまで様々な量子アルゴリズムが考案されているが、NISQはエラー率が高いため、その多くは実行することができない。しかし、古典コンピュータを組み合わせたハイブリッド量子アルゴリズムを用いることで、小規模な量子化学計算等、特定の問題を高速に解くことが期待されている。
量子計算におけるエラー率を下げるために、複数の量子ビットを用いて情報が保護された論理量子ビットを構成する、量子誤り訂正符号が理論的によく考えられている。量子誤り訂正符号を実装し、高度な量子アルゴリズムを実行できる量子コンピュータのことを、FTQC(Fault-Tolerant Quantum Computer)と呼ぶ。実用的な量子アルゴリズムを実行するためには、1%以下のエラー率と数百万量子ビットの実現が求められる。量子コンピュータのハードウェア開発では、これらの目標を達成するために、各種動作の高精度化や大規模化が行われている。
将来的にはFTQCの実現が望まれるが、一方でNISQとFTQCの間にはマシンスペックに大きなギャップがある。近年では、この中間領域での量子コンピュータのユースケースを考える潮流が生まれつつある。FTQCに至る過程における、量子誤り訂正符号が部分的に実現された数万量子ビット程度の量子コンピュータはearly-FTQCと呼ばれる。この領域においては、量子誤り訂正符号によるNISQアルゴリズムの大規模化により、実用的な問題に対して量子加速を達成することが期待されている。
FTQCでできること
FTQCではその誤り耐性から、現在の量子コンピュータでは実現できないような大規模な量子アルゴリズムを実行することができる。例えば、FTQCは現在広く用いられているRSA暗号を効率よく解読することができる。RSA暗号は非常に大きな数の素因数分解が古典コンピュータで効率よく解けないことが安全性を担保しており、スーパーコンピュータを用いてもその解読に1億年以上かかると見積もられている。一方で、量子コンピュータを用いるとRSA暗号の解読に8時間程度しか要さないと概算されている1。
他に、実用的な問題としては創薬や材料開発への応用が期待される。創薬や材料開発では、作成物の性質を予測するために量子力学を用いたシミュレーションが必須となる。現在では様々な近似を用いて計算量を削減することで、これらのシミュレーションを古典コンピュータで行っている。対して量子コンピュータは動作原理に量子力学を用いていることから、量子力学を用いたシミュレーションに長けている。そのため、現在用いられている近似を用いることなく、効率よく物質探索を行えることが期待される。
また、FTQCでは線形代数の計算を高速に行えることから、機械学習との相性の良さも指摘されている。近年のAIの発達は目覚ましいものがあるが、量子コンピュータが実現することにより、大規模データを用いた学習や、現在よりも高速にAIを動作させることが期待される。
FTQCに向けた取り組み
FTQC実現のインパクトの大きさから、FTQCの実現に向けた研究開発が産学問わずに行われている。FTQCの実現に向けて行うべきこととして、量子ビット数の増大・エラー率の低減・量子誤り訂正符号の実装が挙げられる。
量子ビット数に関しては、IBMが超伝導方式で1121量子ビット2、Atom Computingが中性原子方式を用いて1180量子ビットを達成している3他、エラー率も徐々に改善されている。量子誤り訂正符号の実装も研究が進んでおり、これまでの研究では数量子ビットの情報のみが保護されていたが、今年にハーバード大とQuEraが中性原子方式で48個の量子ビットの情報を保護することに成功した4。更に、この研究では量子誤り訂正符号を用いた量子アルゴリズムのパフォーマンス向上も実証しており、FTQCの有用性を示唆するような研究結果も得られている。
各社がFTQCに向けたロードマップを出しており、IBMは2029年までに200量子ビットの、QuEraは2026年までに100量子ビットの情報を保護できる量子誤り訂正符号の実装を目指すことを公表している56。
これらのロードマップからも、2030年頃までにearly-FTQCと呼べる量子コンピュータが実現することが期待されている。
まとめ
本稿では量子コンピュータの中でも重要な概念であるFTQCに関して概説した。FTQCは現在実現されている量子コンピュータであるNISQに比べて非常に高い計算能力を持つため、実社会の様々な問題への応用が期待されている。多くの大学・企業がFTQC実現に向けて研究を進めており、これからの動向も注視する必要がある。FTQCの実現に必要となる量子誤り訂正符号の詳細については、本稿では詳述できなかったため、別稿で言及したい。
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IBM Quantum Computing Blog | IBM Quantum System Two: the era of quantum utility is here ↩
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Quantum startup Atom Computing first to exceed 1,000 qubits - Atom Computing ↩
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Logical quantum processor based on reconfigurable atom arrays | Nature ↩
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QuEra Computing Releases a Groundbreaking Roadmap for Advanced Error-Corrected Quantum Computers, Pioneering the Next Frontier in Quantum Innovation ↩