本記事について
これから転職を考える方の参考になればと思い、転職の経緯をまとめたものです。
はじめに
2022年3月でBtoCの化粧品通販会社を退職しました。
勤続8年。入社から退職までデータ分析を行う部署に所属していました。
これまででやってきたこと
-
販促/啓蒙施策の企画・実行支援・効果検証
マス広告、テレマーケティング、DM、チラシ、会報誌、SMS施策などの企画立案、実行支援、効果検証を行いました。 2014年の入社当時はデータ抽出・検証が主な業務でしたが、翌年2015年後半あたりから、徐々に企画にも関わるようになりました。 掲載商品や価格、クリエイティブデザイン、ノベルティなどの組み合わせによるレスポンス、購入後の継続率の違いなどの分析を行いました。それまでデザインの知識は皆無だったのですが、広告制作チームや広告代理店からどのような目論見のクリエイティブなのかを伺い知ることで、仮説の幅が広がりました。 -
定型帳票の作成
定期購入顧客の残存、休止、解約分析を可視化するための帳票や販促施策の効果を可視化するための帳票を作成しました。 入社当時はOutputがExcelでしたが、BIツール導入と共に帳票の統廃合も行いました。 社内で活用してもらえるよう、説明会を重ね、要望や問い合わせを集約して何度も改修をしたおかげで、施策の企画や効果検証の決定打になったという声をもらえたことはとても嬉しかったです。
-
データ分析環境整備
システム改修要件整理やテーブル定義書の改修を行いました。 2014年の入社当時から、分析用の中間テーブルが無く、BIツール内でETL処理を行うなど、 力技でなんとかしていましたが、2016年のCTI導入に伴い、整備を急がなくてはなりませんでした。システム部門やマーケティング部門へのヒアリングや調整を行いながら、コールセンターシステムのUI改善提案を行うため、仕様、要件の整理を行いました。システム部門を経由してではあったものの、依頼しているSIerからもらう見積もりを元に、自社で内製できる部分とお金をかけてSIerに依頼する部分を切り分けした経験は学びが多かったです。 -
購入制度の刷新
サブスクリプション顧客向けの購入制度改善を目的とした企画の立案・実行・効果検証を行い、 Push型の施策ではなくPull型の施策を企画・立案・実行し、 その後のLTV向上に貢献しました。 入社当時から売上偏重が強い文化型のでPull型の施策がうまく行ったときは喜びが大きかったです。 -
受発注予測
過剰在庫削減を目的とした、商品や販促物、同梱チラシの受発注予測を行いました。商品の在庫管理をしていた部署をなんとか助けたいという思いと、営業の気合の発注による無駄を無くしたいという思いで、PJを推進していました。部分的ではあるものの、過剰在庫削減に貢献できたことはとても良い経験になりました。 -
予算作成
年間の予算作成を行い、予算達成のための目標設定・年間販促計画の立案なども担当しました。 入社当初は予算と目標のダブルスタンダードでかなりストレッチの効いた目標設定になっていました。予算を分解して商品単位の目標設定を行い、営業サイドに現実味のある予算だと思ってもらうことで夢の数字ではなく、現実的な予算に変わっていきました。 -
自社アプリの改善
お問い合わせフォームの改善を目的としたチャットボットの開発〜実装し、 コールセンターのお問い合わせ入電を削減することに成功しました。 プログラミング未経験からJavascriptやhtml、cssを使って実装・リリースでき、それが実績に繋がったことが自分の自信になりました。 -
社内研修
データ利活用を促進するため、データ分析の知識向上やBIツールの活用促進を 目的とした社内向けセミナーの講師を行いました。元々、分析や数字に興味がない人に興味を持ってもらいたいという思いがあり、クイズやワークなどを取り入れ楽しみながらコンテンツを作ることができました。 -
人事制度変更
この後に書く、家族に起こった出来事に関連しますが、フルタイムで働く必要があったため、在宅勤務制度を作りました。入社当時は在宅勤務制度がない、出社が前提の古い体質でしたが、家庭の事情によりフルタイムで働き、家庭と仕事の両方を頑張りたいと伝えた結果、新型コロナウイルスによる感染防止以外の理由で、在宅勤務が認められるようになりました。
転職を決意したきっかけ
転職を決意したきっかけ
は2つあります。1つは主人の病気でした。
2019年4月に盲腸で入院した際、類上皮血管内皮腫という希少癌であることがわかりました。
大きな大学病院に転院しましたが、担当の医師からは大学病院でも過去3例しかなく、症例が少ないため、
予後もあまりわかっていない、特効薬もなく、外科的療法のみが有効という説明を受けました。
さらにその4月後、肺のリンパ節に別の癌が見つかりました。
現在も抗がん剤治療を続けていますが、体調の波が激しく、元気な時は普段と何も変わらず、仕事に行くことができ、食事も取れるほど元気なのですが、そうでない時は、急な発熱、浮腫み、全身に湿疹が出る、頭皮がかぶれるなどの症状が出るようになりました。家族会議の末、主人は仕事をセーブし、私が大黒柱となって働くという結論に至りました。病気がわかった当時、息子は1歳半。当時は在宅やフレックスタイムなどの制度がなかったため、働くスタイルを変えなければ家族も自分もダメになってしまうのではないか、という不安があり、すぐには難しくとも、働くスタイルを徐々に変えようという思いがありました。
もう1つは、自己研鑽を始めたことです。
2020年春、新型コロナウイルスの流行に伴い、家にいる時間が増えた頃、
万が一、新型コロナウイルスによる景気の低迷で、会社が潰れたらどうしよう、
勉強しておかなければ取り残されてしまうのではないか、という不安と家にいる時間を無駄にしたくないと言う思いがあり、
gaccoやschooなどのオンデマンド教材を利用して統計学や行動心理学の勉強を始めました。自己研鑽に力を入れ始めて3ヶ月程が過ぎた頃、学んだことをoutputしたいという気持ちが強くなりました。
教材で学んだことを自部署の若手社員へ共有したり、社内向けセミナーの登壇資料に盛り込むようになりました。
社内向けのセミナーが好評だったこともあり、
今すぐでなくてもいいから将来的に学んだことを活かしてキャリアチェンジしたいと思うようになっていました。
この時は明確にどのようなキャリアを目指すと言うのはなく、
今の仕事の延長で社員教育やマネジメントをするんだろうなと考えていました。
転機となったG’s ACADEMYへの入学
2021年4月、デジタルハリウッドが運営する起業家・エンジニア養成学校G’s ACADEMYへ入学しました。 過剰在庫削減を目的とした受発注予測のシステム構築をやってみたいという思いと仕事に飽きてしまっていて新しいことがやってみたい、という思いが 混在していた時期で、 分析ばかりしていたので目に見えて動くもので仕事の役に立つものを作ってみたいという思いがきっかけでした。 私が通ったのはDEVコースという、就業中の方向けの週末コースでしたが、 同期や先輩には会社経営者や医師、公務員、主婦、在学中に作ったプロダクトで起業した方など様々な方がいました。 色々な職業、立場、境遇の方に出会い、それぞれの思いや夢を知りました。 入学して3ヶ月後の2021年7月あたりには社会や組織について、深く考えるようになっていました。 私は在学中に作ったプロダクトで社内新規事業を目指していましたが、残念ながら社内では予算が降りず、実行に至りませんでした。 卒業後すぐ、アクセラレータプログラムに挑戦しましたが、1次選考を通過するも2次選考で落選しました。 しかし、自分の思いや作りたい世界を諦めたくないという思いがあり、起業は難しくとも、自分の思いと同じ思いを持つ人・場所で働きたいと考え、転職を決めました。
8年間勤めてよかったと思うこと
-
推進する力がついた
様々なPJに関わることで部門を横断して人に関わることが多く、案件によっては経営層とのやりとりがあり、経営層と現場、双方の意見を要約/集約することで、推進していく力が身についていきました。 -
チームで働く面白さを知った
元々何事も「一人でやったほうが早い」と思っている性格でしたが、 システム部門、営業部門、広告代理店などの外部パートナーと 一体になって企画を行うことで「みんなでやると想像もしなかったような景色が見える」 ということを学びました。 -
ありのままの自分で働けるようになった
私は無駄なことが嫌いで、違うと思うことははっきりいうタイプなので、経営層や上司には生意気に写っていたと思います。入社当時はそれを抑制し、わがままであってはならないと思っていました。しかし、上司から「生意気もスキル。はっきりいう人がいなければ進まない」と言っていただいたり、 自分を抑制せずとも他人が認めてくれる環境で働くことができ、多大なる配慮をいただいた上司、先輩方には心から感謝しています。
今後のキャリアについて
これまでのデータ分析と部門を横断してチーム作り、企画を推進してきた経験を活かし、2022年4月よりUXリサーチャーとして転職することになりました。将来的なキャリアについてはUXリサーチャーなのかデータアナリストなのか、また別の何かなのかは明確に決めていませんが、明確に決めず、何もないところから新しい道を切り開いていく方が私らしいと思っています。ただし、人生のテーマとしている「もったいないをなくす」だけブレないようにします。UXリサーチャーの仕事については改めて記事を書こうと思っています。
最後に
長文になりましたが、ここでは書ききれないほど感謝をお伝えしたいエピソードがあります。 8年間で出会ったすべての皆様、本当にありがとうございました。