キャリアブレイクという人生の中でも大きな決断をしました。実際にやってみると、とても自由であることを感じます。
仕事の意味の変化
キャリアブレイクをやってみて、来るべき未来、仕事の概念が変わっても、少なくとも自分は暇を持て余すことはないと思いました。未来は自分が働けなるかもしれません。それは年齢的なものもあれば、コンピューターの進化かもしれません。兎に角ここ数年で仕事の意味は大きく変わる可能性があります。昨日までの延長線上に明日がない――それは人類が何度も経験してきたことです。
目的がないとリスクが生じる
大きな変革が来た時に何をするか、変化に適用出来るか。それは来るべき時がこないと誰にも分かりません。その答えはまだ見えませんが、ひとつ確かなのは、時間を持て余すことが最大のリスクだということです。人には生きる目的が必要で、それがないと生きる意味を見失ってしまいます。多くの人にとって現状の生きる意味は「働くこと」にあると思います。
それでも未来は分からない
僕の場合、幸運にも「生きる意味」と「働く意味」がそう遠くない位置にあります。25年以上も、この生きがいを失うことなく続けてこれたのは、本当に恵まれていると感じます。会社でプログラムを組んで、家でもプログラムを組んで。この先も続けて行きたいし、出来るのであれば最後まで続けたいと思っています。しかし、AIの進化によってプログラマの未来は予測がつかなくなりつつあります。昨年までは「定年まで仕事があるだろう」と思っていましたが、今はそれも分かりません。
高橋留美子の話
高橋留美子さんの話に深い感銘を受けたことがあります。「もしマンガがなくなったらあなたは何をしていますか?」という質問に対して「世の中にマンガという概念がなくても、名前がついていなくても、私はマンガのような何かを描き続けていると思います」。これは本当に奇跡的な言葉だと思いました。そして、おこがましいですが、自分にも通じるものを感じました。プログラムがこの世から消えたとしても、僕は何かしらの形で「プログラミング的なこと」を続けるだろうと思います。それが僕の生き方であり、楽しみだからです。
才能を活かせる場所
もう一つ自分が好きな話をします。もし自分が世界で誰よりもある分野の才能を持っていたとして、それに気づかない人生を送っていたら。この妄想に対して僕の叔父が凄いことを言いました。「自分に才能がある状態でそれを活かせる場所に出会わないことはあり得ない。必ず出会う」これは本当にその通りだと思いました。
自分の才能
自分にプログラムの才能があるか。それは分かりません。いや、大体分かっています。自分は輝ける程の才能はないと思います。スキルで他人に負けたことは一杯あります。でも、僕からすると自分より凄い後輩が居たとしてもそれがプログラムを辞める理由にはなりません。僕は、プログラムを好きでい続ける才能には自信があります。
プログラミングという生きがい
自分にとってプログラムを書くことは、出来るからではなく、ただただ楽しいから続けています。専門学校時代、初めて画面に円を描くプログラムを組んだ時の感動は、今でも鮮明に覚えています。世の中にこんな楽しいことがあるんだと心の底から思いました。その感覚は今でも変わらず、これからも続いていくでしょう。
キャリアブレイクがもたらした新しい視点
キャリアブレイクが自分に何をもたらすのか、まだ分かりません。ただ一つ言えるのは、今までの延長線上ではない未来に繋がっていると思います。無限の可能性がある今、自分は何者でもない存在として、日々勉強し、人と会い、未来を探っています。これからどう生きるか、どのように糧を得ていくか。それが現在の最大の課題です。少しずつ未来の形が見え始めていますが、予測のつかない新しい何かが突然現れる可能性もあります。その変化を楽しみながら、これからの人生を歩んでいきたいと思います。
キャリアブレイクを勧めるか?
キャリアブレイクは素晴らしい体験です。しかし、人に積極的に勧めるかと問われれば、そうとは言い切れません。働き続ける方が多くのメリットを得られることも事実です。ただ、僕のように一度自分のキャリアを止めてみたいと思う人がいるならば、一歩踏み出してみる価値は十分にあります。それは想像以上に楽しい体験になるかもしれません。そして、もしその選択をしたならば、ぜひ教えてほしいです。その時には、どんな形であれ応援したいと思います。