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囲碁AI「アルファ碁」vs イ・セドル九段の対局からヒントが見える

Last updated at Posted at 2020-03-14

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「囲碁知らず」だった―今でも囲碁知らずの―私

小学校に入る前から中学、高校までの時間を振り返ってみると、私と同年代で似たような環境で育った方なら共感されるのではないかと思うのですが、両親の配慮とサポートのおかげで様々な習い事をしていた記憶があります。

小学校に入る前からピアノやテコンドー、スケートなどを習い始め、小学校に入ってからも毎年季節ごとに、テニスや卓球、スキー、絵画など色んなことを長い間習いました。才能に恵まれないせいか、どれも一定以上のレベルに達したり、業とすることはできませんでしたが、今でも、子どもの頃様々な経験をしているから音楽や美術などに興味を持っているのではないかと思います。

ところが、私と同じ年頃の友達がよく習っていたと覚えている囲碁や将棋は、なぜか習おうとしませんでした。特に「囲碁」の場合は、何だか「英才」だけが長く続けられる習い事というイメージがあってか、両親からも「囲碁」を誘われたことはありませんでした。(「元気でいてくれればいい」と思ったのでしょうか。^^)

私は大学に進学してから、学科やサークルの部室に、たまに(私は大学生活にそれほど熱心な学生ではなかったのです。^▽^;)寄ってみると、先輩や同級生、後輩が集まって囲碁を打っているのを見かけたのですが、それでも「私も囲碁を始めてみようか」とか「面白そうだから一度習ってみようか」と思ったことはありませんでした。

その後も囲碁といえば私に思い浮かぶのは、時々ニュースや新聞紙面を飾っていた世界的に知られている韓国囲碁棋士の曺薫鉉(チョ・フンヒョン)、李昌鎬(イ・チャンホ)、日本の井山裕太、そして有名な囲碁漫画である「ヒカルの碁」くらいで、それ以上興味を持つことはありませんでした。

しかし、「囲碁」は一つの文化としてアジア諸国の人々に広く親しまれていて、深く根付いているものです。特に、日本において囲碁は江戸時代から芸道と文化として数百年も受け継がれてきた伝統に支えられ、「ヒカルの碁」以降、数多くの子供囲碁教室が運営され全国規模の囲碁大会が開催されています。また、有名大学で設けている「囲碁特技者選考」も、教育熱心な親の囲碁に対する依然として高い関心につながっていると思います。私の個人的な経験からみても、世間話や仕事に関する話で、囲碁用語に例えられて会話が交わされる場面も多々あります。「復碁する」、「布石を置く」、「定石」、「ダメ詰まり」、「大石死せず」など、時事用語として使われる囲碁用語も少なくないですね。

2016年アルファ碁vsイ・セドル九段の対決

このように囲碁を身近なものに感じているアジアの人々にとって、2016年3月のアルファ碁とイ・セドル九段の対局(正式名称:Google Deepmind Challenge Matchは、「自信」と「好奇心」で始まり「衝撃」と「混乱」で終わった、もしかしたら感情のジェットコースターのようなイベントだったかもしれません。

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私も当時、すでに「人工知能」というトピックにかなり興味を(表面的な興味に過ぎませんでしたが)持つようになっていたので、全ての対局を興味深く見ていました。

第1局から第3局の衝撃の3連敗の後白石を持ったイ・セドル九段は、多くの人に「神の一手」と呼ばれる白78手で勝機をつかみ、ついに第4局で勝利を収めました。(当時、78手目について聞かれたイ・セドル九段は、「その手を打った理由は、そこしか打つところがなかったからだ。その手以外はなかった。そのような称賛を受けると、かえって戸惑う。」と話したが、2019年11月に囲碁界引退を発表し、インタビューで「実は、78手目は姑息な手だった。 正確に受けると通じない手だから、今も中国の囲碁AIの「絶芸」にバグができるように、アルファ碁にも一種のバグがあったのでは」と話しています)。イ・セドル九段のこの勝利は、 囲碁AIを相手にした人類の唯一の勝利となっています。最後の対局ではアラファ碁とイ・セドル九段の白熱した攻防が続きましたが、結局、イ・セドル九段の敗北で終わります。

この歴史的な人工知能と人間の囲碁対局が4対1という劇的なスコアに終わった後、多数のマスコミやメディア、専門家らは、この戦いの意味について様々な意見を出しましたが、今でも人口に膾炙される人工知能発展の歴史に残る出来事となっています。

イ・セドル九段から学ぶ, 人工知能への向き合い方

その後、Netflixでたまたま、「AlphaGo」というドキュメンタリー映画を見たのですが、このドキュメンタリーをじっくり見ているうちに、人間のイ・セドル九段を相手に人工知能のアルファ碁が勝利したこと、そしてこれから人工知能と人間の関係についてどう受け止めるべきかなどについて、改めて気づかされました。きっかけは、イ・セドル九段が第5局の対戦まで終えた後、ドキュメンタリー制作者とのインタビューで発したコメントでした。

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「(第2局でアルファ碁が打った 37手を見て考えたのは)アルファ碁は、実は確率的計算をしてただ勝つためのマシンに過ぎないと思っていたが、その手を見た瞬間、違うな、アルファ碁も十分創意的だ、 囲碁の美しさをちゃんと表す手で、しかも創意的な手だ(ということだ。)」

「非常に驚いた、私たちが考えていた囲碁における創意性も結局は一定の枠にとらわれていたのではないかと思えて、囲碁界に大きな変化をもたらす(きっかけになりそうだ。)そんな気がした。今回の経験でより成熟できたと思うから、これをちゃんとまとめてこれからもっと発展できるようにしたい。(アルファ碁との対局後)碁を打つ理由を(新たに)見つけたというか、さらには、本当に囲碁をやってよかったと思えるくらい忘れられない瞬間、忘れられない経験だった。」

アルファ碁とイ・セドル九段の大局以降、対戦結果そのものに対する、そして人工知能と人間の未来に対する数多くの分析記事が「人間と機械の対決」という枠の中で、人間が人工知能に置き換えられるといった多少ディストピア的な観点の記事を量産したり、または「それでもイ・セドル九段の一勝は、まだ人工知能が人間を圧倒したわけではないことを意味する」などと、人々をなだめるような記事を出されている最中、対戦の「当事者」であり「敗北者」と言えるイ・セドル九段のコメントには大きな衝撃と刺激を受けました。

科学技術の歴史について深い洞察は持っていませんが、大きな流れから見ると、技術は人間という存在が持つ様々な物理的、精神的な制約を超えることで人類の繁栄の可能性を高める方向へ発展してきたと思います。18世紀の第1次産業革命、19世紀の第2次産業革命を経て開発された技術が人間の物理力に取って代わり、20世紀から現在に至るまで第3次産業革命期とそれ以降、数多くの新しい技術の発展を通じて人間の物理力だけでなく知力の限界もすさまじく広げられてきたと言っても過言ではないでしょう。

人工知能という技術は、過去のいかなる技術とも異なる人間固有の能力だと考えられてきた予測、判断、創意性などの領域で、私たちの限界を超えて新しい視覚、新しい観点を学べる機会になりうることを、まさにイ・セドル九段はアルファ碁との対局を通じて教えています。チェスの世界チャンピオン、カスパロフが1997年にIBMのスーパーコンピュータ「ディープブルー」に敗北した後も「機械は人間に勝てない」と大多数の人々が信じていた囲碁で、アルファ碁がイ・セドル九段を相手に勝利したことで、世界に対する人間の理解の枠を超えた新しい知恵を与える、人間と真の意味での「協業」ができる最初の技術が登場したというシグナルを発したのだと、私は理解しています。

カスパロフは「良い人と機械が力を合わせるなら、それが最善の組み合わせだ(agoodhumanplus amachine is the best combination)」と語っています。2016年3月、アルファ碁とイ・セドル九段の対局でアルファ碁の37手がイ・セドル九段の78手を引き出して、さらにイ・セドル九段に囲碁というゲームに対する新しい視点と地平について考えさせたのと同じような経験が、これから人工知能と共に生きていく皆さんと私たち皆もできることを期待します。

P.S. 私の友人でソウル科学技術大学校で科学技術史を教えているチェ・ヒョンソプ教授のアルファ碁ゴvsイ・セドル九段の対局に関するコラム「AIの一手、人類が進むべきもう一つのスタート地点に打つ(チェ・ヒョンソプのテクノロジーで見た世界)」、2017年TED Talksのカスパロフの講演「Don't fear intelligent machines. Work with them」、そしてドキュメンタリー映画「AlphaGo」も一度見ることをお勧めします。

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