ジャーニーマン( @beajourneyman )です。
オーガナイゼーション参加記事としてキャリアについて書くのはなかなか難しいです。書き始めから筆が止まっています。ただ、伝えたいコトがあるので、書いてみます。
結論というかこの記事で言いたいコト
技術に少しでも興味があれば、経験は関係なく学び始めれば良い。エキスパートなキャリアがあって「今更初心者に戻れない症候群」の影響で幅が狭まるのは勿体無い。自分の興味関心に素直に従ってチャレンジしよう。
たまたま、Book&Appsの安達さんが、本稿と地続きなツイートをされていたので紹介します。そう、新しいコトを学び多様な経験をするのは、単純に楽しいのです。
結論に至った背景(昔語りです)
ベースのキャリア
未経験でIT業界に入り、新人研修を通してCOBOLプログラマー兼システムエンジニア(SE)になりました。ただ、プログラミングには楽しさは見出せず苦労していました。そんな中、当時の上司が案件の現場リーダーに指名してくれて、プロジェクトリーダー(PL)、プロジェクトマネージャ(PM)の道を歩みました。ベースはPM兼SEのキャリアです。
PM兼SEとして仕事をしてはいましたが、技術的なコトには興味関心が向かず、それまでの延長線上で学びは停滞していました。途中、サービスの拡販がミッションとなった時に、門外漢だった新規顧客開拓やビジネスグロース、リサーチ、マーケティング、プライシング、セールスなど、プロジェクトデリバリーの世界からは考えもしなかったビジネス側の世界を知りました。パブリッククラウドの存在を知ったのはその時です。ただ、技術者としての興味関心が枯れていた、また、広大なビジネス側の世界に強い興味が湧いていた状態だったので、クラウドの世界に飛び込むコトにはなりませんでした。
マーケターへロールチェンジ
その後、いくつかの偶然が重なり、マーケティングとPRを数年担当しました。大きな軸はコンテンツマーケティングで、オウンドメディアの編集長兼メインライター、公式SNSの運用をしていました。詳細は以下のQiitaに書いたので譲ります。その時の学びはとても良い体験でした。学びの対象のひとつにAWSのコミュニティマーケティングがありました。
その時点ではエンジニアリングではなく、マーケティング軸でAWSと出会っており、自分自身がクラウドをエンジニア軸で学ぶコトになるとは想像していませんでした。
さらなる転機
事情によりSEに戻りました。運用サービスを主体としたチームで日々の業務をしながら、アラート架電をロボットコールにする改善や自社ツールをBacklogに移行するプロジェクトなどの案件をいくつか担当しました。その後、大きな転機が訪れます。AWS基盤で稼働するシステムの維持保守・追加開発をするシステム開発部門へ異動になったのです。異動が決まって、CLFを目指すコトにしました。
受験を志した先には、マーケティング軸で出会った時には見えていなかった深淵なAWSの世界が広がっていました。ずっと技術から遠ざかっていた自分でしたが、その学びは新しい世界を知る楽しさを思い出させてくれました。
システム担当になって
移動後、しばらくして担当システムのPM兼SEとしてメイン担当になりました。PMでありクラウドアーキテクトでもあれば、きっともっと仕組みを良くできる、そんな未来を感じました。まだ1年経っていませんが、多数の改善施策をリリースし、担当システムが良くなっている実感を持てています。受験記録は書き切らずにお蔵入りしてしまっていますが、何んとかSAAも取得しました(非常に難しかったです!)。2度の資格受験を通して、クラウドがインフラ・アプリの垣根を溶かしているように、PMでも実務経験が前提となるアソシエイト以下のAWS認定は全部取っても良いと感じています。(私見ですがCLFはIPAのITパスポートもしくは初級システムアドミニストレーター、アソシエイト系は基本情報処理技術者に近いと思っています。)
そして、今更なる技術的成長に向けて、社内の仲間と共に学んでいます。やや浮いている懸念はありつつも楽しんでいます。そのグループへ飛び込むきっかけになった出来事は AWS GameDay 参加でした。結果、自分のできなさ加減を痛感しました。クラウド初心者としてゼロから技術を学び直す意識で歩き出しています。
結論を再掲します。
技術に少しでも興味があれば、経験は関係なく学び始めれば良い。エキスパートなキャリアがあって「今更初心者に戻れない症候群」の影響で幅が狭まるのは勿体無い。自分の興味関心に素直に従ってチャレンジしよう。
追記
本ブログが骨子として JAWS-UG 初心者支部 #59 で登壇したのでスライドをご紹介します。
以上です。