こんにちは、arcadia13です。
ふと思ったことがあり、そのことについて雑記をします。
生み出す側の責任
小説家・東野圭吾さんの「ガリレオシリーズ」をご存知でしょうか。
主人公である天才物理学者・湯川学が、大学時代の友人である刑事・草薙俊平の依頼を受け、一見すると超常現象とも受け取れる不可解な事件を、科学を用いて解決していく連作シリーズです。
2007年および2013年には、これを原作とした福山雅治さん主演のテレビドラマ(フジテレビ製作)が放送されました。さらには、映画が3本も作られていて(2022年現在)本当に人気な作品なのでしょう。
ここで取り上げたいのは、2007年放送のテレビドラマ第1シーズン9話「転写る/爆ぜる 前編・悪魔が仕掛けた連続殺人」です。
難解な殺人事件が起こったのですが、その現場には大量の家電製品が不法投棄されていました。蛇足ですが、家電製品は謎解きのヒントになっています。
依頼を受けた湯川が現場へ調査に行くと、そこで偶然、不法投棄された家電製品をボランティアで回収に来ていたおじいさんと遭います。
湯川は成り行きでおじいさんを手伝うことになり、そのままある場所へと運んでいきます。そこは、色んなゴミを集める工場のような場所でした。
ゴミ袋、家電製品、家具が山のように積まれており、その光景を目にした湯川は思わず「これは酷いですね」と言葉を漏らします。
湯川は「人間の生活を豊かにするのが科学の目的の一つ」と考えていますが、その科学が生み出した一面を見せつけられたのです。
おじいさんは言います。学者は本などで知識を得ていても、現実の光景を見る機会はそれほど多くない。例え現地調査に来ても、現状を改善してくれるわけでもない1。
そして、おじいさんは最後にこう言いました。
”でも俺はみんなにいつもこう言うんだ。こうすれば世の中が便利になるとか、こんな道具があればいいって考えるだけじゃ駄目だってな。もちろん捨てる人間が悪いんだよ。けど学者先生なら、こんなもん作ったらゴミは増えるんじゃねえか、世の中悪くなるんじゃねえっかって、一緒に考えてくれよ。それが本当に頭のいい奴ってもんだろ?”
湯川はおじいさんの全くの正論に「仰る通りです」と肯定するしかありませんでした。
さて、私がこのエピソードを初めて見たのは子供の時でした。
当時はほとんど意味が分からなくて、漠然とゴミの山があるのが酷いと感じた程度でした。
しかし今になって思うのは、科学をIT技術に置き換えれば、そのまま私にも当てはまる内容だと痛感しました。
私はエンジニアの卵です。いずれ、IT技術を駆使して生み出す側の人間になります。
私はIT技術が人々の生活を豊かにする存在だと考えています。決して、誰かの生命や財産を奪うものであってはなりません。
だからこそ、こういう負の面が生まれる可能性を忘れてはならない。そして、なるべく負の面が生まれないような方法を考える。
生み出す側の責任が私もあるんだなと。
かなり理想論ですが、それでも心構えにして損はないでしょう。
エゴになってないだろうか
生み出す側の責任と関連して私が意識しているのが「エゴ」です。
コトバンクで調べてみると、以下のようでした。
精選版 日本国語大辞典より引用
[1]
① 認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我。
② フロイトの用語。感覚の刺激や肉体的要求の知覚と、身体運動との間を調節する心理装置。自己保存の役割を果たす。自我。
③ 自分本位の考え方や態度。また、そういう考え方の人。エゴイスト。エゴイズム。
[2] 〘形動〙 「エゴイスティック」の略。
私は③の意味で使っています。
世の中のため、誰かのために何かを生み出す。それ自体は素晴らしい考えだと思います。
しかし本当にそれが世の中の、誰かの役に立つのか。
生み出す側に立つ人間は、そのことを常に問い続けなければならないと私は思います。
でないと、世間は受け入れてくれないと思うんですよ。
自分が役立つと考えていても、買う人が役に立たないと考えたら、その時点で厳しいんじゃないかなぁ。
以上、雑記でした。
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もちろんその研究をする学者もいるでしょうが、現場は待ってくれません。それに現場の意見としては正しい部分もあります。 ↩