概要
ある記事が8/21出た。
ITが面白い時代はすでに終わっているし変化も遅くなった - きしだのHatena
Xで流れてきて、ああこれは反論記事をだれか出すだろうなぁと思った。出てきた。
両方ともワカル。わかるけど、なんか違うんよね。
違和感
まず自分のバックグラウンドを知ってもらいたい。未だ30にもなっていない一応若い部類に入る方だと思っている。初めて触ったPCはWindows Meだし、PCスペックがアレゲすぎてDamm Small Linuxを入れたり遊んだ。大学でアプリ開発して遊んで、NWを勉強し、そして今は電気だの空調をやっている。そのバックグラウンドをもって思うことがある。
この議論は現時点で不毛だ。と思う。
ITというデカい主語
議論をする際は論点を明確にしないといけない。
ことIT、情報技術においては各人のバックグラウンドと会話するレイヤによって世界が変わる。と思う。
情報技術を嗜む者には、電気工学から、電子工学から、電話屋から、計算機屋から、他分野のシミュレーション屋から、そして職業エンジニアとして様々な側面を持つ人同士で会話する。
先述の記事で描かれているのはどちらかというと、 上から下までgeekな部分だ。そしてその反論として描かれているのはアプリ層の話だ。これでは話が噛み合わないのも必然ではないかと思える。
時勢と便利さ
kis氏は大まかに”時勢”を述べている。そしてそれが成熟していく様を俯瞰して、成熟することによる「つまらなさ」を指摘している。
他方で反論しているryushi氏はその成熟があってからの便利さ、現代の良さを強調し、「つまらない」わけではない。としている。
前者はその時代の勢いや世情を語っているのに対し、後者は時代の便利さやITがもつ機能を語っている。
ベクトルが違いすぎやしないだろうか。つまらなさ、おもしろさを語るのに機能を語るのはちょっと違うんじゃないか、そんな気がしてくる。
いまのITはつまらないか、おもしろいか
滔々に話しているといつまでたっても終わらない。
ので、 不毛だというのは棚に上げて、 まずは2つの視点を分析したい。
もちろん僕は今ITがおもしろいからこの業界に住んでいるのであって、しかしながらつまらなさもなんとなくはわかる。
といってもBASICや電算機の時代の人間ではないので、ミレニアム以前はITの歴史を紐解く趣味ベースとなるが。
いまのITはつまらない
ハードウェアの成熟
これはレイヤが下がれば下がれるほど感じやすいと思う。
アプリを維持するためのインフラとして徹するには枯れるしかないからだ。
今ではCPUの脆弱性云々で話題になることがあるが、爆熱CPUだのオーバークロックすると楽しいCPUだの、DDR2のメモリ相性問題だの、そういうのはなくなってきただろうし、様々なプロトコルも成熟し、あとはスケーリングとセキュリティ周りの問題を潰している。といったところのように思える。これはkis氏の仰る下記の部分にもかかるだろう。
結局のところITというのは新しいハードをどう動かして社会に実装していくかというものなので、新しいハードが出ないとどうしようもないのです。けれどもだいたい飽和してしまった。
黎明期というワクワク
黎明、夜明け、これほどITにとって甘美な響きもなかなかない。
NIFTY-Serveや草の根BBSからWindows 95やPC/AT互換機、そしてインターネットとWorld Wide Web、電子メイル、ホームページ文化さまざまなものが生まれ、ActionScriptやMIDI※といった技術が生まれ、Yahoo!、Mixi、YouTube、Google Map、ニコニコ動画、Twitterといったいろいろなものがはじまり、その裏側ではAngularJSやjQueryやCoffeeScriptが生まれ、インターネットはさらにたのしいものになっていった。
追記
※MIDIはもっと昔からあると指摘を受けた(エゴサは得意なのだ :yay: )
Wikipediaによると、1981年からあるらしい。
お仕事をされていた方は、きっと、Perlやシェルで組んだり、今の技術の下地となる様々なアプリケーションにコミットしたのだと思う。
なにかをはじめるというのはとても大変なことなんだろうなと思うし、先人の方々の偉業があって今がある。その黎明期はきっとワクワクしたものだろうが、今、インターネットは成熟し、それらのサービスは当たり前に存在するものになった。
これ以上何を求めるのか。果て無き欲望が新たなサービスを生ませ続けるが、きっとあの黎明期ほどの勢いはもうないだろうとそう思うのかもしれない。
世間でいえばきっと80年代バブルや高度経済成長がそれにあたるのだろう。
ITの高度経済成長期はもう恐らく終わったのだ。
成熟した果てにあるもの
そして我々は今ここに立っている。さてあるものといえば、AI、AI、AIばかりだ。AI、あえてLLMと呼ぶが、これは非常に便利だ。便利すぎる。だから面白くない。
ブラックボックスに突っ込むと答えが出てくる。もちろん事前にファインチューニングやPEFTやらハイパーパラメータを弄ったりして精度を上げることは必要だろう。だけどそれさえやってしまえば、IOしか見ることのできない代物だ。ド・モルガンが好きな人にとっては面白みもないだろう。たぶん(少なくとも、僕はリカレントだの、畳み込みニューラルだの、Transformerだの実は未だによくわからないが、機械学習は楽しいと思えた)。
kis氏の言う通りあらゆるライブラリがそろって、ラップされており、なにかしら直接制御したり、アルゴリズムを弄ったりというのはなくなってきたように思える。
ライブラリやツールも、欲しいものはだいたいすでにあるという状況。オープンソースにコミットしようにもすでに巨大になりすぎてさわれない。
大学時代にNS3(Network Simulator 3)を触っていた時には、自分でプロトコルを作り、HELLOやネイバー確立を定義していったのはとても楽しかった。自分の提案したアイデアが実装になっていった。こういう感情はどっちかというと、きっと理論よりな感じなんだろう。ビジネスには向かない。
「新しいサービス」を作らないと世界が変わらない
「じゃあそれでなにを作るの?」というところが面白くならなければ、「作業のやりかたの話ばかりになってつまらん」というのは変わらない気がする。
まさにここらへんが話の軸で、便利すぎて、作りたいものが浮かばないのだ。”技術的観点”では、大体車輪の再発明になってしまうし、ブレイクスルーを期待できるものが少ないのだ。
これに対してryushi氏は次にように述べている
一部のマニアしか使ってなかったおもちゃであった時代はとうの昔に終わって、今や上下水道と同じくらいにインターネットは生活と切り離せないものになってる。
つまり、現代は人間側がインターネットに寄せてきてくれたので、ウェブで動作するアプリケーションを提供するだけで解決可能な社会課題が、それこそいくらでもあるんだよね。
これはまさにその通りだ。ビジネス機会という意味では今のITはまだまだやることがいっぱいある。
でも技術的にはこれ以上大きく変わることがないのだろう。
いまのITはおもしろい、けど。
山積する社会課題、飽和するインターネットのビジネス
前項述べた通り、まだまだやるべきことはいっぱいあるのだ。怠惰で欲望に実直な我々人類を支えてくれる社会課題解決システムというのは未だ生まれていない。これができれば大きな変革を生むかもしれない。
しかしながら社会課題を解決するというのは、あまりお金にならないことなのだ。社会課題を解決するプラットフォームには5億円程度を支給します。となるわけでもない。
なのであまりコレには期待していない。
安野氏がデジタル民主主義として様々な施策をされたが、衆愚・集団思考・デマゴーグといったものをどれだけシステム的に排除できるか、そのシステムはオープンである必要があるし、論理的正しさや文化的倫理的正しさをブレイクスルーになるレベルでシステムに反映することはまだできないだろう、と思っている。
代わりに今増えているのは大量のアプリケーションとサービスだ。みなさんのパスワードマネージャにはいくつのサイトのログイン情報が入っているだろう。
僕自身、selfHostedなジャンルが好きなので、自前でいろんなアプリを試したりすることはままある。あらゆるアプリやライブラリやサービスに awesome-* が付くほどだ。
ホームセンターにいって、ほぼ同じ機能をもった意匠の違う工具箱が大量においてあったら辟易してしまうだろう。ビジネス機会は平等に誰でもあるだろう。でも、そんなおきもちだ。
技術的詳細を詰めるのはおもしろい、裾野が広がった分マネジメントが必要になった
俺たちのJavaは幸いこういう事が高度に実現されているから安心して使ってられるわけだな。最近だと、Goはあっという間にこのレベルまで育ったわけで大変に素晴らしい。
NodeのGCはJavaに比べるとアホだけど、あんま重要な事を任せなければ可愛いもんよ。
上記のryushi氏の発言は本項で述べたい内容そのままだ。技術の細やかな部分が成熟していてやりたいところをしっかり実装する。これは楽しい。他方で下記の発言では、
UI作るフレームワークはもう何年もReact中心だよな。もう飽きたなんて思ってるやつは少数派だよ。そうでなけりゃ、useEffectの使い方解説するだけで、みんなが大喜びするわけねぇだろ。どいつもこいつも雑に使いやがって、おかしな使い方するから画面がチラついてしょうがねぇんだよ。
(DjangoやFlaskは...?)と思いつつも、まぁわかる。裾野が広がった分、アンチパターンも増えたし、今まで阿吽の呼吸でやり取りしていたところの会話にオーバーヘッドができた、みたいなこともあると思う。
技術的観点での楽しさというよりコレはマネジメント面での楽しさなのだが。
つまらないおもしろいのゼロサムではない
個人的にはこの考えだ。優柔不断といってもいいかもしれない。
前述した通り、ITというのは様々なバックグラウンドを持つ者が、様々な評価軸で会話する。
仮にX軸をOSI参照モデルベースの各人のバックグラウンドを軸として、Y軸を理論~実装~ビジネスという軸にする。その上でZ軸をつまらない~おもしろいの軸でプロットする。
この仮定をしたときにはじめてプロットで相関がみえてくるのではないかと思う。
そしてその相関の中でZ軸を切り出したものだけで、ゼロサムとみなしていいと思う。
簡単にはゼロサムとはいえないんじゃないかな。
まとめ、締め
なにを若造が。と思うかもしれないけど、いろいろ思うところがあったので、書いてみました。
IT業界は非常にIOが厳しい、求められる業界なのは確かであって、モチベーション維持するの中々に難しい。
Xでいろんな人が発言している通り、つまらないと感じる場合は軸を変えてみる、自分の軸に会うコミュニティや資料を追ってみる、そういったことが必要だろう、そう思いました。