読書メモ 『西洋美術史』
- 世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」
- ダイヤモンド社
- 2017/10/5
- 木村泰司
- https://www.amazon.co.jp/dp/B075K2CN69/
メモ
- 2020/07
ギリシャ神話とキリスト教
「神」中心の世界観はどのように生まれたのか?
ギリシャ美術
なぜ、古代彫像は「裸」だったのか?
「男性美」を追求した古代ギリシャの価値観
- 人間の姿
- 神から授かったもの
- 美しい人間の姿 = 神々が喜ぶもの
- 美 = 善 という信念、価値観
- 美男コンテスト
- 紀元前6世紀末以降
- 美男 = 神への捧げもの
- ギリシャでは兵役で選挙権が得られる
- アルカイック時代 (前600年 - 前400年)
- 古典、規範の基礎を作った時代
- 支えがない独立像、クーロス像
- クラシック時代 (前480年 - 前323年)
- ギリシャ美術の完成
古代ギリシャの発展と美術の変化
- クラシック時代 (前480年 - 前323年)
- 西洋の美の規範、古典
- 紀元前5世紀
- 崇高、荘重な彫像
- 紀元前4世紀
- 享楽的、優美、8頭身、小顔
- プラクシテレス (紀元前4世紀)
- 彫刻家
- 「幼いディオニューソスを抱くヘルメス」
- 「クニドスのアプロディーテー」
- 女神像
- 等身大、裸体
- 表情の乏しさ
- 感情をあらわにすることを慎む
- パトス
- ヘレニズム時代 (前323年 - 前30年)
- ヘレニズム文化
- 個性、写実主義
- 礼拝 → 鑑賞の対象、美術品化
- ローマ人による大量コピー
- 後世に伝わる
ローマ美術
ローマ帝国の反映と、帝国特有の美術の発達
- 前30年のローマ領
- イタリア全土、ギリシャ、カルタゴ、エジプト
- 五賢帝時代 (96年 - 180年)
- ローマ美術
- ギリシャ美術の輸入、模刻
- 蝋製 → ブロンズ、大理石
- 頭部像、胸像
- 個人、容貌、写実性
- ギリシャと異なり裸体像、全身像定着せず
- 全裸で運動する習慣がない
- 「パンテオン」 (128年)
- 392年 キリスト教がローマ帝国国教化
- 写実主義 → 象徴主義
- ローマ美術
宗教美術、ロマネスク
キリスト教社会がやってきた
- 宗教美術
- 目で見る聖書
- ローマ教会
- ロマネスク (11世紀後半 - 13世紀)
- 教会、修道院のための様式
- 石造り
- 半円アーチ
- 精巧、稚拙、おどろおどろしい、大袈裟
- 躍動感、空想力、幻想的
- ロマネスク (11世紀後半 - 13世紀)
- 1000年 終末思想
- 死、最後の審判
- 巡礼ブームによる都市発展
- 宗教美術の洗練
- ゴシック美術の芽生え
ゴシック美術
フランス王家の思惑と新たな「神の家」
- シュジュール (1081年頃 - 1151年)
- サン=ドニ修道院長
- サン=ドニ大聖堂
- フランク王家、フランス王家の墓所
- フランスにとって特別な地
- 建て替え (1144年)
- ゴシック様式の誕生
- ゴシック様式
- フランス王の維新、権力
- 都市人口集中に対応する巨大な大聖堂の建て替え
- フライング・バットレス
- ステンドグラス
- 光 = 神
- 神の神秘
- 鮮やかな配色
- 国際ゴシック様式
- 北方、イタリアの伝統が融合
- 写実主義、細密、装飾的、幻想的、繊細、優美
- 地上世界、自然世界、現世
- 「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」 (15世紀)
- ランブール兄弟 (15世紀初頭)
- 百年戦争
- フランス美術発展の停滞
- ルネサンスへ
ルネサンスの始まり、そして絵画の時代へ
絵画に表れるヨーロッパ都市経済の発展
ルネサンス
西洋洋画の古典となった3人の巨匠
- 「人間」の地位向上、尊重
- 絶対的な神に対する人間の独立
- 人間中心の視線
- ジョット・ディ・ボンドーネ (1267年頃 - 1337年)
- スクロヴェーニ礼拝堂壁画 「ユダの接吻」 (1305年頃)
- 演劇的、感情表現、人間性、「現代的」
- スクロヴェーニ礼拝堂壁画 「ユダの接吻」 (1305年頃)
- ジョット・ディ・ボンドーネ (1267年頃 - 1337年)
- 盛期ルネサンス (1495年 - 1527年) の三大巨匠
- レイナルド・ダ・ヴィンチ (1452年 - 1519年)
- 自称 軍事技術者
- 彫刻、絵画
- ラファエロ・サンティ (1483年 - 1520年)
- 画家、建築家
- 西洋絵画の方向性を決定づけた、西洋絵画の古典・規範
- ミケランジェロ・ブオナローティ (1475年 - 1564年)
- 彫刻家、画家、建築家、空間デザイナー
- システィーナ礼拝堂 天井画 「アダムの創造」 (1511年頃)
- 独自の解釈、見解
- 商品 → 芸術品、職人 → 芸術家
- レイナルド・ダ・ヴィンチ (1452年 - 1519年)
- 宗教改革、英国国教会誕生、ローマ劫掠
- 盛期ルネサンス 終焉
- マニエリスム 誕生
- マニエリスム
- ミケランジェロ・ブオナローティ
- システィーナ礼拝堂 祭壇画 「最後の審判」 (1541年)
- 混沌、不安感、画家たち特有の様式美、装飾的、作為的
- ロッソ・フィオレンティーノ (1495年 - 1540年)
- パルミジャニーノ (1503年 - 1540年)
- アニョーロ・ブロンズィーノ (1503年 - 1572年)
- ジョルジュ・ヴァザーリ (1511年 - 1574年)
- 「ゲッセマネの祈り」 (1570年頃)
- ミケランジェロ・ブオナローティ
- 宗教美術改革
- わかりやすさ、厳粛な表現を求める
- マニエリスムの終焉
北方ルネサンス
都市経済の発展がもたらした芸術のイノベーション
- 北方ルネサンス
- ネーデルランド絵画
- ブルゴーニュ公国下 ネーデルランド 発
- 中世・ゴシック、神中心の精神世界
- 現実を重視
- 写実性の高い室内描写
- 油彩技法、写実性、風景、静物、横顔像、斜め横顔3/4正面像
- レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リサ」はネーデルランド絵画の影響
- シンボリズム
- 白百合 = 純潔
- 水盤、タオル = 純潔
- ロウソクの火 = 神
- 犬 = 貞節
- ヤン・ファン・エイク (1395年頃 - 1441年)
- 油彩画技術の第一人者
- 自分の作品に最初にサインを記した画家
- 「宰相ロランの聖母」 (1435年頃)
- 宝冠、宝石、衣装の生地、タイルの写実性
- ヘントの祭壇画 アダム エヴァ (1432年)
- 人間らしい肉体
- ロヒール・ファン・デル・ウェイデン (1399年 - 1464年)
- ロベルト・カンピン (1375年頃 - 1444年)
市民階級への戒めの絵画
- シャルル公 (1433年 - 1477年) 戦死
- マリー・ド・ブルゴーニュ 継承
- ブルゴーニュ公国領 → ハプスブルグ領
- ブルッヘ 衰退
- アントウェルペン 発展
- 国際貿易都市
- クウェンティン・マサイス (1465年 - 1530年)
- 「両替商とその妻」 (1514年)
- 風俗画、職業上の公正なモラルを訴える
- 「両替商とその妻」 (1514年)
ネーデルランドの混乱
- 北ネーデルランド
- ヒエロニムス・ボス (1450年頃 - 1516年)
- 罪深く愚かな人々、地獄、奇想的、独創性
- 人間社会風刺、聖職者批判
- プロテスタント台頭、宗教問題、オランダ独立の予兆
- ピーテル・ブリューゲル(父) (1525年頃 - 1569年)
- イタリアを訪れ絵画を学ぶ
- 農民画家、都会人、学識高い教養人、富裕層に対する戒め、反面教師として農民を描く
- 宗教的、政治的混乱、
- スペイン領ネーデルランドの混乱
- 「バベルの塔」 (1563年頃)
- ローマのコロッセオがモデル
- 古代ローマのキリスト教徒迫害の象徴
- 支配者スペインのプロテスタント弾圧を批判
- ローマのコロッセオがモデル
- 「ゴルゴダの丘への行進」 (1564年)
- 「幼児虐殺」 (1567年頃)
- 「足なえたち」 (1568年)
- ヒエロニムス・ボス (1450年頃 - 1516年)
ヴェネツィア派
自由の都で咲き誇ったもうひとつのルネサンス
- フィレンツェ派
- デッサン派 ディセーニョ
- ヴェネツィア派
- 色彩派 コロリート
- ヴェネツィア
- 「アドリア海の真珠」
- ヴェネツィア共和国 首都
- 西ローマ帝国滅亡後に発展
- 東方貿易の中継地
- マルコ・ポーロ の出身地
- 16世紀に国力、経済衰退
- 多くの娼婦、享楽的
- ヴェネツィア・ルネサンス
- ヴェネツィア絵画
- 感覚的に訴える絵画
- 高価な顔料
- 宗教の自由
- 政教分離
- 官能性、享楽世
- 言論の自由
- 印刷業の発展
- ジョルジョーネ (1477年頃 - 1510年)
- 「嵐(テンペスタ)」 (1508年頃)
- 多くの謎
- 主題不明
- 「嵐(テンペスタ)」 (1508年頃)
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ (1488年 - 1576年)
- 色彩の魔術師
- 歴史画、肖像画
- ローマ教皇、スペイン王に庇護される
- 官能的な女性像
- 「フローラ」 (1515年頃)
- 「ウルビーノのヴィーナス」 (1538年頃)
- ティントレット (1518年 - 1594年)
- 大胆な遠近法、人体の短縮法、強烈なコントラストによる明暗法
- パオロ・ヴェロネーゼ (1528年 - 1588年)
- 享楽的、世俗性
- 「レヴィ家の饗宴」 (1573年)
- 主題は「最後の晩餐」
- 享楽的な宴会
- 異端審問所の召喚するも言い逃れる
- ヴェネツィア絵画
- 絵画芸術熱が18世紀に再燃
- 観光都市
- 都市景観図
- カナレット (1697年 - 1768年)
- イギリス貴族に人気
- ジョージ3世もコレクター
- ロイヤル・コレクションが膨大に所蔵
- フランチェスコ・グアルディ (1712年 - 1793年)
- 景観画家
- 叙情性、実物と空想の融合、奇想的(カプリッチョ)
- 「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の眺め」 (1775年頃)
- ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ (1696年 - 1770年)
- ヴェネツィア派最後の巨匠
- 演劇性、快活な空間表現、流麗な色彩、優美・闊達な筆さばき
- フレスコ画装飾、宮廷装飾
- 「ヒュアキントスの死」 (1753年頃)
バロック
カトリックvsプロテスタントが生み出した新たな宗教美術
プロテスタントの誕生
- 宗教戦争
- サン・ピエトロ大聖堂改装工事がきっかけ
- ローマ教皇の贖宥状(免罪符)販売による資金調達
- 北ヨーロッパが離反
- マルティン・ルター (1483年 - 1546年) による批判
- プロテスタントの誕生
- ヘンリー8世による英国国教会誕生
- 聖像破壊運動 イコノクラスム
- ローマ教皇のネポティズム(縁故主義、世襲)、聖職者の堕落
- プロテスタンティズム = 「聖書にこそ価値がある」
宗教美術を否定するプロテスタントと構成するカトリック
- カトリック教会の信者・収入激減
- 布教伝導
- フランシスコ・ザビエル 来日
- ローマ教皇庁改革
- 自己革新運動(対抗宗教改革)
- 宗教美術は偶像ではない
- 美術の力に頼る
- わかりやすさ、高尚さ
- マニエリスム → バロック美術
- 感情、感覚、信仰心に訴える、非識字層への対応
- 聖人画
- メディア戦略、宗教画 = 目で見る聖書
カラヴァッジョの革新的なアプローチ
- イタリアバロック美術 17世紀
- ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ (1571年 - 1610年)
- フランチェスコ・デル・モンテ枢機卿の庇護
- マダーマ宮殿居住
- 「法悦の聖フランチェスコ」 (1595年頃)
- 宗教画、官能的、光と影、強いコントラスト
- 神 = 光
- 聖マタイ三部作
- 革新的、挑発的
- カラヴァジェスキ
- 若い画家の追従者たち
- 「聖母の死」 (1606年頃)
- 教会から受取拒否
- ボローニャ派
- 王立絵画彫刻アカデミー
- 1648年〜 フランス
- イタリア人画家陣
- カラッチ一族
- ボローニャ 美術学校アカデミア・デリ・インカミナーティ
- ラファエロ、古典主義
- 優美、豊かな色彩
- アンニーバレ・カラッチ (1560年 - 1609年)
- グイド・レーニ (1575年 - 1642年)
- 「ユウロペの誘拐」 (1639年)
- ドメニキーノ (1581年 - 1641年)
- 優美な理想主義、バロック的な流動性、演劇性
- カラヴァッジョの影響、劇的な明暗法
- 王立絵画彫刻アカデミー
対抗宗教改革の申し子ベルニーニ
- ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1598年 - 1680年)
- 建築家、彫刻家、広場、噴水
- バロック美術
- 教皇ウルバヌス8世の庇護
- 「ベルニーニはローマを必要とし、ローマはベルニーニを必要とする」
- 「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」
- 「サン・ピエトロ大聖堂天蓋」
- 「サン・ピエトロ大聖堂列柱廊」
- カトリックの首都として相応しいローマを演出
オランダ絵画
オランダ独立と市民に広がった日常の絵画
オランダ独立と市民階級の台頭
- 17世紀はオランダにとって「黄金の世紀」
- スペインからの独立 1648年
- スペイン領ネーデルランド共和国の独立戦争
- アムステルダムを中心とする文化の発展
- ヨーロッパ一の国際貿易都市
- 裕福な市民階級
- 邸宅向けのサイズの小さい絵画、肖像画、風俗画、風景画
- ジャンルのヒエラルキー
- 歴史画 > 肖像画 > 風俗画 > 風景画 > 静物画
- 風俗画
- 美徳、悪徳を描く
- 飲酒、節制、パイプ煙草、トランプ遊び
- 風景画
- 現実的な風景、写実性、帆船、港、海景画
- 静物画
- 人生の虚無感、空しさ、ヴァニタス
- シンボリズム
- 花、ろうそく、骸骨、懐中時計 = 節制、人生の儚さ
- 集団肖像画
- スペインからの独立 1648年
レンブラントとフェルメール
- レンブラント・ファン・レイン (1606年 - 1669年)
- オランダ美術史上最大の巨匠
- 肖像画、歴史画、版画
- 光と影の魔術師
- 「夜警」 (1642年)
- ヨハネス・フェルメール (1632年 - 1675年)
- 生涯作品数30数点
- 市民の日常を描いた風俗画
- 上品、節制、肉欲に対する戒め、静謐
- 1672年 第三次英蘭戦争
- オランダ経済停滞
- オランダ絵画黄金時代の終焉
"偉大なるフランス"誕生の裏側
フランスが美術大国になれた理由
フランス古典主義
絶対王政とルイ14世
17世紀 とは
- オランダの表現 : 「黄金の世紀」
- フランスの表現 : 「偉大なる世紀」、「グラン・シエクル」
- フランスの大きな発展
ルイ14世
- ルイ14世 (1638年 - 1715年、在位:1643年 - 1715年)
- フランス王
- 「太陽王」
- 1643年、5歳で王位継承
- 在位72年間
- 政治のみならず、美術までも中央集権化
- 王立絵画彫刻アカデミー 設立をサポート
- 王立絵画彫刻アカデミー
- 1648年 開設
- フランス芸術家主導
- 設立の目的
- 芸術先進国 イタリア を意識
- フランス美術界の閉塞感、品質低下の解消
- フランス美術家の地位向上
- アカデミーのお手本
- イタリア 「アカデミア・デル・ディぜーニョ」
- 1563年 設立
- フィレンツェ
- ジョルジョ・ヴァザーリ (1511年 - 1574年、画家、建築家、文筆家) 主幹
- イタリア 「アカデミア・ディ・サン・ルカ」
- 1577年 設立
- ローマ
- イタリア 「アカデミア・デル・ディぜーニョ」
フランス古典主義
- ニコラ・プッサン (1594年 - 1665年) の美術理論からなる
- 「プッサンを知らずして、フランスの美を語るなかれ」
- フランス美術の規範
- 知識人、文人画家
- 哲学性、知的な特質を伴う絵画・絵画理論
- 裕福で、教養を伴う上流階級に対して私的な作品を提供
- 知性、理性に訴え感動させる
- 主題は高貴
- 色彩ではなく、知性と理性に訴えるフォルム、秩序、安定した構図
- 知的に絵を楽しむ
- フランス的と称される「明晰な精神と理性」が視覚化された芸術
- ルイ14世没とともにロココ時代に移行
ロココ
革命前夜のひとときの享楽
ロココ文化
- ルイ14世死去による宮廷生活からの開放
- 絶対王政化の厳格な文化の反動
- 繊細で華やか
- 「王の時代」→「貴族の時代」
- ルイ15世 (1710年 - 1774年、在位:1715年 - 1774年)
- 服装は淡く明るい色
- 宮廷人、パリのブルジョワジーもこれに倣う
- 男性の衣服もパステル調
- 贅沢、華美
- 音楽では、モーツァルトが生きた時代
ロココ絵画
- フランス古典主義に異を唱えるグループの発生
- 「ルーベンス派」 ←→ 「プッサン派」
- プッサン派
- デッサン派
- 理性
- ルーベンス派
- 色彩派
- 感性
- ピエール・ミニャール (1612年 - 1695年)
- 1690年 国王主席画家、王立絵画彫刻アカデミー会長 就任
- ルーベンス派 台頭の前兆
- 1690年 国王主席画家、王立絵画彫刻アカデミー会長 就任
- プッサン派
- 軽やか、優雅、貴族趣味
ロココ絵画の三大巨匠
- ジャン=アントワーヌ・ヴァトー (1684年 - 1721年)
- 享楽的、叙情性、甘美、繊細、感受性
- 「シテール島への巡礼」 (1717年)
- 雅宴画
- 雅宴画の弟子
- ジャン=バティスト・パテル (1695年 - 1736年)
- 享楽的、軽快、無邪気
- ニコラ・ランクレ (1690年 – 1743年)
- 享楽的、軽快、無邪気
- ジャン=バティスト・パテル (1695年 - 1736年)
- フランソワ・ブーシェ (1703年 - 1770年)
- 宮廷、上流社会、官能性
- ポンパドゥール夫人の庇護を受ける
- 国王主席画家
- ロココ絵画を代表する画家
- 後の印象派、ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841年 - 1919年) に多大な影響
- 「ディアナの水浴」 (1742年)
- ジャン=オノレ・フラゴナール (1732年 - 1806年)
- 明るい、快活、破廉恥、奔放
- 非アカデミー会員
- 「ぶらんこ」 (1767年)
フランス革命の予兆
- 物語性の強い教訓的な風俗画の登場
- 市民階級の台頭
- ジャン=バティスト・グルーズ (1725年 - 1805年)
- 風俗画
- 通俗的、感傷的、中産階級の価値観、市民階級層
- ジャン=バティスト・シメオン・シャルダン (1699年 - 1779年)
- 風俗画、静物画
- 市民社会の日常、迫真的、写実性、秩序、調和
- 「食前の祈り」 (1740年)
- 啓蒙主義者からの称賛
新古典主義、ロマン主義
皇帝ナポレオンによるイメージ戦略
フランス革命
- 1789年 〜
- 市民階級
- 地位向上、自由
- 民衆
- 重税、貧困、怨嗟
- 1793年 ルイ16世、マリー=アントワネットの処刑
- 共和制の始まり
新古典主義
- ジャック=ルイ・ダヴィッド (1748年 - 1825年)
- 「ホラティウス兄弟の誓い」 (1785年)
- 「ブルートゥスの家に息子たちの遺体を運ぶ警士たち」 (1789年)
- ルイ16世処刑に賛成票
ナポレオン・ボナパルト
- ナポレオン・ボナパルト (1769年 - 1821年)
- フランス革命の混乱を収束、軍事独裁政権を樹立
- 「皇帝」という称号を利用する
- 古代ローマ将軍を強く意識
- ナポレオン1世 (在位 : 1804年 - 1814年、1815年)
- イメージ戦略に建築や美術を利用
- ジャック=ルイ・ダヴィッド
- 「ボナパルトのアルプス超え」 (1801年)
- 多数複製して拡散
- 政治家ポスターの役割
- 実際の峠越えにはラバを利用した
- 多数複製して拡散
- 「皇帝ナポレオンの聖別式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式」 (1807年)
- 1804年 パリでの戴冠式の様子
- ローマ教皇をパリまで呼び寄せる異例の対応
- 「ボナパルトのアルプス超え」 (1801年)
「理性」vs「感性」の再燃
- ナポレオン失脚
- ルイ18世 (1638年 - 1715年、在位:1643年 - 1715年)
- ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル (1780年 - 1867年)
- ジャック=ルイ・ダヴィッド の弟子
- 新古典主義を牽引
- 裸婦像、優美、女性的
- 「グランド・オダリスク」 (1814年)
- 新古典派、デッサン派
- テオドール・ジェリコー (1791年 - 1824年)
- 感情、感性、個性、人間の本質的な内面
- ロマン主義
- 同時代の事件
- 「メデューズ号の筏」 (1819年)
- 1816年 フランス海軍フリゲート艦メデューズ号の難破事故の際に起きた海上置き去り事件の様子
- 美術界から多くの批判を受ける
- 若手画家に多大な影響
- 32歳で早世
- ウジェーヌ・ドラクロワ (1798年 - 1863年)
- ルーベンス派、ロマン主義
- 流動的な構図、鮮烈な色彩、闊達な筆使い、多種多様な主題・ジャンル、圧倒的な情熱・劇場
- 神話画、宗教画、風俗画的人物像、裸婦画、風景画、静物画
- 「キオス島の虐殺」 (1824年)
- 「民衆を導く自由の女神」 (1830年)
- 七月革命が題材
- 観るものを圧倒し感情を鼓舞する
- アントワーヌ=ジャン・グロ (1771年 - 1835年)
- ナポレオンに同行
- ダヴィッド門下でありながら、色彩派、ロマン主義傾向、ルーベンスに傾倒
- 鮮烈な色彩
- アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオソン (1767年 - 1824年)
- ダヴィッド門下でありながらロマン主義傾向
- 様式的には新古典主義
- 官能性、物語性
- テオドール・シャセリオー (1819年 - 1856年)
- アングル門下ながら、師弟関係を解消
- アングルとドラクロワの融合を試みた
- ポール・ドラロッシュ (1797年 - 1856年)
- 様式的には新古典主義を保持
- 主題選びはロマン主義傾向
- 「レディー・ジェーン・グレイの処刑」 (1833年)
産業革命と近代美術の発展
近代社会はどう文化を変えたのか?
レアリスム
「格差」と「現実」を描く決意
- 第二聖帝時代
- 皇帝ナポレオン三世
- 近代化
- パリの近代都市化
- 労働者階級
- 平等、公正
- 社会主義運動
- 美術界の社会主義化
- ギュスターヴ・クールベ (1819年 - 1877年)
- 共和制民主主義者
- 美術界の問題児
- 「天使は描けない、なぜなら天使など見たことがないからだ」
- 写実主義、レアリスム
- 「石割人夫」 (1849年)
- 「オルナンの埋葬」 (1849年)
- 「画家のアトリエ」 (1855年)
- 貧困層、労働者、田舎の聖職者、農民
- 庶民を歴史画サイズで描く
- 現代、現実を描く
- 政治的、社会的、芸術的な思想
- 主題の近代化
- 後に印象派に引き継がれる
- 現代美術 = 垣根を取り払う
- エドゥアール・マネ (1832年 - 1883年)
- 美術界の問題児
- 近代絵画の父
- はっきりした輪郭、大胆な筆使い、平面的、単調な色面、激しい色彩
- 日本美術収集家、浮世絵の影響
- 二次元性の強調、単純化
- 何を描くのかではなく、どう描くのか
- 現代社会の本質
- 「鉄道」 (1873年)
- 親子間の冷めた情感、希薄な人間関係
- 「水浴」 (1863年)
- 「パリスの審判」から引用
- 観客に向いた視線
- 生々しい、現実的すぎる裸体、現実の女性
- 娼館、娼婦
- 主題、造形の革新性、前衛的な画家から崇拝
- 「オランピア」 (1863年)
- 「ウルビーノのヴィーナス」が着想源
- ヴィーナス → 高級娼婦
- 現実的すぎる裸体
- 堂々と観客に向いた視線
- 顧客から届いた花束
- 半分脱げたミュール
- シンボリックに尾を立てた黒猫
- ヌードへの侮辱
- 「笛を吹く少年」 (1866年)
- コントラストによる立体感
- くっきりとした輪郭
- 二次元性の強調
- 浮世絵的な色数の切り詰め
- 「フォリー・ベルジェールのバー」 (1882年)
- 最後の大作
- 虚ろな表情の女性店員
- 売春婦、陰の商売、当時の社会的現状
- 近代都市の人間の孤独、堕落
- 近代社会の闇、人生の断片
- 儚い浮世の一瞬の造形化
- ギュスターヴ・クールベ (1819年 - 1877年)
バルビゾン派
産業革命の時代に「田舎」の風景が流行った理由
- 都市化の反動による田園風景への郷愁、やすらぎ
- バルビゾン派 (1830年 - 1870年頃)
- テオドール・ルソー (1812年 - 1867年)
- バルビゾン村に移住
- 屋外で写生
- ジャン=バティスト・カミーユ・コロー (1796年 - 1875年)
- 歴史画的風景画
- 叙情的、詩情あふれる風景画
- 「モルトフォンテーヌの思い出」 (1864年)
- ジャン=フランソワ・ミレー (1814年 - 1875年)
- バルビゾン村に移住
- 大地と農民
- 貧しく敬虔な農民、写実的、崇高
- 「落穂拾い」 (1857年)
- 「晩鐘」 (1859年)
- プロテスタンティズムが強いアメリカで高く評価
- 後の印象派に大きな影響
- テオドール・ルソー (1812年 - 1867年)
印象派
なぜ、印象派は受け入れられなかったのか?
- 何を描くのかではなく、どう描くのか
- 印象派
- 異端的存在、前衛的すぎる、革新的
- 美の反逆児
- 対象の固有色ではなく光や大気に影響された色彩を描く
- 対象ではなく自分の視覚に忠実
- 受けた印象に忠実
- 視覚が捉えた瞬時性、主観的、感覚的
- 色彩分割(筆触分割)法
- 絵の具を混ぜない
- 細かい筆触で色を並べる
- 自然の微妙で繊細な光と色彩を映し出す
- 眩しいほど明るく筆触が目立った
- 印象派画家はブルジョア階級出身
- ブルジョア的、現代的
- 対するアカデミーは貴族的
- 浮世絵収集家が多い
- エドガー・ドガ (1834年 - 1917年)
- 「踊りの花形」 (1878年頃)
- クロード・モネ (1840年 - 1926年)
- 「ラ・グルヌイエール」 (1869年)
- 「印象・日の出」 (1872年)
- ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841年 - 1919年)
- 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 (1876年)
- アルフレッド・シスレー (1839年 - 1899年)
- ジャン・フレデリック・バジール (1841年 – 1870年)
- ベルト・モリゾ (1841年 - 1895年)
- グループ展の開催
- ポスト印象派
- 感情を造形的に表現、独自の造形性
- フィンセント・ファン・ゴッホ (1853年 - 1890年)
- ポール・セザンヌ (1839年 - 1906年)
- ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン (1848年 - 1903年)
- ニューヨークで印象派展
- アメリカでモネをはじめ印象派が人気
気付き
- 社会が美術に与える影響は小さくないとは思っていたが、宗教や政権という社会情勢が、想像以上に美術の方向性を左右し、美術を牽引していた
- 経済の繁栄 = 美術史上活性化
- 西洋美術で1800年ごろまでジャーナリスティックな題材がタブー視されていたとは、意外に近年まで保守的だったのだなと感じ、"自由"の価値を再確認した
ToDo
- 挙がった作品を美術館に探しに行き鑑賞し、説明の裏付けを感じ取りたい
感想
- 歴史教科書の文体は構造が非論理的で慣れるまでたいへん頭に入りづらく、読了にかなり時間をかけてしまった
- このレポートも、とてつもなく難産だった
- 学生時代に歴史が好きになれなかった理由を再確認できた気がする
- 1600年あたりからぐっと興味深い内容になり理解しやすくなった