はじめに
大学卒業後に日本的な外資系企業でキャリアをスタートしてから、いくつかの企業を経験した後、現在は純粋な日本の就労環境の中で生きています。
新卒で勤めた企業は自己都合で退社をさせてもらい、その後はリーマンショックだったり、東日本大震災などの影響があるなどいろいろな状況を経験しました。
最近の動向について思うところがあるので書き残しておくことにしました。
転職者が多いといわれるIT業界ですが、総務省統計局労働⼒⼈⼝統計室の資料によると一般的な転職者は全体の5%程度のようです。正規雇用者でみると3%台ですから、家庭の事情等本人の意思だけが理由ではない者もいる事を考えると、一般的には転職はまだ珍しいといえます。
IPAのDX人材白書2023によればIT企業の転職者比率は17%で、一般企業は9%となっているので、限られたサンプルによる調査ですがIT企業における転職は日本の中では比較的頻度は高いといえます。
しかし、この程度ではエンジニアを転職市場に放り出せば自動的にマッチングが行なわれると期待するほどには流動性があるとはいえません。
欧米のようになるべきだとは思いませんが、対照的で良い検討材料にはなると思いますので、資料を読みながら、どういう変化が望ましいのか考えてみたいと思います。
結論
私の意見は次のようなものです。
- 日本の現状は終身雇用に偏り過ぎているので是正することは必要
- ITエンジニア自身が日々の業務以外の経験を得て知識・技能を高める努力をするべきで、雇用側も協力するべき
- ITエンジニアの人材提供は(いわゆる日本の労働組合ではない)ギルド型の職工組合のような機関が担うべきで、その観点から現状でITエンジニアを抱える組織は個々人の能力向上にも責任を持つべき
ここから先の文章は必ずしもこの結論に辿り着かないかもしれませんが考えをつらつらと書き残しておきたいと思います。
職業としてITエンジニアを選択する人も多くいると思います。
ITエンジニアには趣味の延長線上で仕事をしているようにみえる人達がいると思います。趣味が仕事の人は強いですし、そういう人には敵わないと思う人もいるでしょう。
しかしここでは休日を犠牲にして勉強するべきだという主張をするつもりはありません。プライベートを犠牲にして働けというつもりもありません。
プロフェッショナルである以上は自分の持っている知識・スキルを単純に提供するということではなく、それらに加えて必要な対象領域の知識や適切な技術・技能を習得するための努力をするべきです。
趣味とプロフェッショナルの境界線は、仕事の目標を達成するために必要な努力をしているかどうかにあると思っているからです。
この観点では技術力が高いからといってプロフェッショナルであるとは限りませんし、これまでは個人の努力に依存してきて雇用者側のサポートが脆弱なまま放置されてきたと思っています。
特殊な日本の就労環境
海外との比較によって日本のIT企業の就労環境は特殊だということが2013年頃から一般に認知されています。
- ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国 (谷島 宣之,日経BP,2013)
- IT人材白書2016 - EUと英独仏と日本におけるIT企業とそれ以外の企業に所属するIT人材の割合 (p.99,IPA,2016)
また経済産業省のIT人材に関する各国比較調査では、ITスキル標準レベルの各国比較調査で日本ではレベル4以上の高度IT人材の割合が他国と比較して低いことが明かになっています。
日本で高度IT人材の割り合いが低いと判断された要因には、次のような背景の存在が考えられます。
- 新卒採用により定期的にレベル1・2の人材が参入してくる
- 技術力や実務能力が評価されて安定しているため、レベルを高める必要がない
- 潜在的なスキルレベルは高いが、資格取得などで客観的に証明する必要がない
調査が実態を正確に反映していない可能性はありますが、それは全体を否定するほどとは考えにくいと思います。
様々な要因があると思いますが、それでもレベル3以下の人材が6割を越えている状況は新卒採用・終身雇用といった日本固有の環境が、技術者の成長という観点からはポジティブな影響を与えていない可能性を示していると思います。
IPAの統計資料をみても高度情報の資格を取得している人数はかなり低い状況です。
実務ができて勉強すれば取得できて当然といわれる資格ですが、140万人以上いるといわれるITエンジニア人口の内、累計で100万人程度しか情報処理技術者試験に合格している人はいません。
見積りは難しいですが1/3〜1/4は重複して資格を保有しているのではないでしょうか。別の調査では65%程度が何等かのIT系資格保有者ということなので情報処理技術者に限ればIT人口に占める資格の取得率は50%程度の水準だと思われます。
ベンダー系資格が悪いとはいいませんが、ほとんどの資格は求められる能力がかなり特化していて、能力というよりは知識中心で問題解決能力を確認する目的はかなり限定的だという印象です。
仕事を続ける中において、その能力の客観的な証明を求められないというのは日本のITエンジニアの特徴ではないでしょうか。
特殊な日本の産業構造
IPA人材白書2015(p.29,p.90)では業界が多重下請構造であること、組み込み系技術者は情報通信産業よりも製造業に在籍した方が高い給与を得ている事が指摘されています。
組み込み系技術者が製造業に所属していることが問題なのではなく、日本においては製造業の従業員が高い給与を得る構造があります。
IT企業と思われている大企業も製造業に分類されている場合があります。
そしてIT系企業には規模の大きな製造業の中で下請けとして存在しているものが一定数いる可能性について指摘されています。
これは特定の企業との結び付きが強く、競争的環境にいない、あるいはコスト圧力が強く賃金や利益を上げにくいIT企業の存在を示唆しています。
日本には多くのIT企業が存在しますが、ソフトウェア工学分野の調査研究では、製造業を含めた日本の傾向として比較的高い技術力は保持しているものの、革新的なサービス・製品を生み出す能力に欠けているといった指摘がされています。
つまり日本のIT企業のいくらかは新しい技術を習得し、独自性のある製品・サービスを開発するといったモチベーションに乏しく、低廉なコストで安定して動作する枯れた技術を求めるニーズに対応しようとする企業である可能性があります。
低廉なコストで顧客のニーズを満たすこと自体は良いことです。
しかし公の文書で低位安定
と揶揄されないように企業価値を高める努力が必要です。
特殊な日本の就職状況
日本では大学で何を学んだのかとは無関係に、様々な企業へ就職している状況に違和感を持たないと思います。
学問というものは企業が求める能力の育成を目的とするものではありませんから、自身の専門性とは関係なく、高い給与水準や理想的な就労環境を求めて規模の大きな企業への就職を目指すという考え方は当然だと思います。
その時にまったくの門外漢であったとしても「興味がある」、「頑張ります」といった自己アピールによって就職できるという状況に違和感を感じない人も多くいるでしょう。
「新卒チケット」という言葉もあり、これには人物本位の選考をする良い部分もあると思います。
一方で就職活動を大学受験のように捉えて面接対応をテクニックで乗り越えられるという間違ったメッセージを若者に与える可能性があります。
IPA人材白書2016では約50%のIT企業が事業規模に関わらず新卒IT人材の卒業学科にこだわらないと回答しています。
多重下請け構造にあるIT企業であれば、知識・技能よりも頭数を揃える事の方が大切になるかもしれません。
とはいえ公共事業を受注したい企業であれば、入札資格を満たすために情報処理技術者資格を持つ従業員の数を増やそうという努力はしているでしょう。
最初に就業する企業という場所が非常に重要な日本において、技術職が見込みだけで採用される場合があるということには違和感を感じます。
最初の入口はどうであれば、ITエンジニアとして生きるのであれば自分の技術・技能について責任を持つ必要はあると思います。同時に自己責任で片づけてはいけないことだとも思います。
ITエンジニアにとってのスキルアップと昇給・昇進
欧米諸国では大学や類似の教育機関で身に付けた知識・スキルによって就職していく、スキルアップしていくということが一般的です。そして同時に昇給や昇進を実現していきます。
もちろん専門性に沿った就職先が潤沢にあるわけではありませんから、大学在学時に実績を作るためインターンシップや就労支援プログラムに参加してスタート地点に立つといった活動が必要です。
自身の成長に敏感な欧米とは異なり、日本では情報処理技術者試験などの資格取得には取り組むものの、そこから自身の知識・スキルを磨いていく意識や、そのための環境は整備されていないと思います。
これは終身雇用や年功序列といった考えがベースになり、自身の能力と昇給・昇進との関連が必ずしも明確ではないことが影響していると思います。
また日本では業務に直接関係するベンダー系資格を取得する方が金銭面のサポートなどがあり意欲は高いでしょう。公共事業を受注するような企業では応用情技術者や高度情報処理技術者資格の取得が推奨されていると思います。
そこで企業の要求を達成したところで満足する場合もあると思います。
多くのベンダー系資格や応用情報技術者資格はレベル3ですから、前述のデータは日本の状況を的確に反映していると思います。
時間の経過によって昇給・昇進していく日本の環境は、職人的な性質を持つITエンジニアの生態からすればミスマッチが多いでしょう。
これが仕事に打ち込めるのであれば良い方向に動きますが、準委任契約や派遣で仕事の責任範囲が限定されてしまう状況では、能力を十分に発揮することができずミスマッチとなります。
このような背景の元で日本の雇用環境はどのような姿を目指すべきなのでしょうか。
徐々に進行しつつある産業構造の転換
先ほども言及したようにソフトウェア工学の観点では、欧米の開発手法が優れているとは結論付けることはできません。
むしろ日本の開発体制は良く知っている開発スタイルを繰り返すことで比較的高い品質と生産性を保っています。
そして同時に日本は革新的な製品を生み出していないことも指摘されています。
個人的にはJustSystemsの旧体制の元で開発されたxfy
は革新的な製品だったと思います。
発表された製品自体は機能や使い勝手が十分とは感じなかったのでビジネス面でうまくいかなかったのはしょうがないとは思うのですが、潜在的な可能性は高かったと思うだけに、いまでもとても残念に思います。
日本で革新的な製品が生まれないわけではありませんが、それが世の中に広まりにくい環境であるとはいえるのかもしれません。
これまで企業の多くはITを含む自社の技術領域ではない分野は外注によって対応してきました。
コンピュータはコピー機のように静的な機能を提供するデバイスとは異なるので、コンピュータ上でコピー機のような分かりやすい機能を持つアプリケーションが必要になりました。
本来のコンピュータのパワーは、さまざまな機能を搭載させることができるところにあるのですが、むしろそういった役割を発揮させないような限定的な機能を持ったアプリケーションの開発に投資をすることで、自分たちが理解できる程度にコンピュータの能力を縮退させて利用してきました。
しかしDXや生成AIなどの発展により、様々なデータを生み出すアプリケーションを連携させる必要性が高まっています。コンピュータの汎用的なパワーをそのまま利用しなければいけなくなりつつあります。
今後は一部の大都市圏を除いて、ゼネコン的にIT企業への外注を続けられる企業や組織の数は減少していくのではないでしょうか。
現在進行しているDX化の動きは内製開発を促す状況を生み出していて、企業側も自分たちで業務を改革していくというスタイルへの転換に気がつきつつあります。
とはいえ人材難は深刻ですからDXへの取り組みもしばらくは関係の深い子会社や下請け企業にその実質を担わせることになるでしょう。
この時に使われる請負契約は規模の大きな開発には向いていますが、中小規模の現場では個々の状況に合わせるカスタマイズの割合が大きくなると、増大する開発費の負担に耐えられません。
またDXが求めるアジャイル的に漸進的な変更を加えていく開発スタイルと、契約で納品物が定義される請負契約とは相性が抜群に悪くなり、負担しなければいけないコストはどこまでも増え続けるでしょう。
このコストを削減しようとすれば、クラウドの利用など汎用的な製品の利用を出来る限り増やしていくことは避けられないことのように思えます。
子会社や下請け企業が効率的に開発できた理由は、従業員が終身雇用で長期に渡って発注元である相手方会社の状況を把握できていたという環境要因もあるでしょう。
御用聞きが柔軟に動くことで成り立っていきた構造であれば、人材が流動化していく中で維持することが難しくなる形態であるように思えます。
DX化と便利だった御用聞きが使えなくなる、そういった事がクラウドサービスなどの汎用品の利用と欧米型の自社中心で開発するスタイルに変化していく転換点になるのではないでしょうか。
変化せざるを得ない企業の採用活動
欧米で開発された技術者資格の中には取得後も一定の研修や活動を求めるものがあります。
これはお金を支払えば維持できるような仕組みになってしまう危険性はあるものの、良く出来ていると思います。
また企業側も採用時には推薦者などへの確認を行うため、資格を維持しているからという表面的なことだけで評価するようなこともありません。
日本の「就職できれば定年まで務めることができる」という考えは、合理的な説明がつかないと思うのですが、広く受け入れられていると思います。
そのような視点では資格というものは、せいぜい就職するための道具か、昇給スピードを調整する程度の存在として認識されているように感じられます。
欧米で働くエンジニアが自身の成長に敏感な理由は、就職だけでなく社内での昇給・昇進や再就職などの際にその能力の証明が必要だからです。
実績を重視する欧米では時間の経過によって昇給するような仕組みがなく、若者、特に新卒の就職が一番大変だといわれています。
最近の日本では本格的な就職活動前のインターンシップが必須のようになってきていますが、まだお客様扱いされていたり、見学やオリエンテーションのような活動をする場合も多いようです。
また在学中に就職活動を行うというのは、無職の期間がなくなるため効率的だとは思いますが、学修を妨げていることも事実で、卒業後に就職活動をスタートさせるべきだという意見は根強くあります。
卒業後の収入のない期間を問題にする意見はありそうですが、失業保険の適用など方法はあるはずです。
電子情報通信学会から「大学・大学院生の教育機会を尊重した求人スタイルへの移行」の名称で改善を求める会長声明が出されています。
日本でのインターンシップは就労体験を含んでいたとしても人柄・気質の確認といった側面が強いのではないでしょうか。
欧米ではあらかじめ夏休みにインターンシップの実務で成果を残し、キャリアを証明できるようにしておかないと、経験豊富な先輩エンジニアと同じ選考レーンで戦うことができません。
これは弊害もあり、インターンシップを指導する側も当然そのような状況を知っているので、過酷な労働を求めることが問題になっているケースも報告されています。
もちろん欧米でも大学によってキャリアを築くために授業で企業とタイアップをしたり、研究室の共同研究によって得られる推薦などもあるはずですが、新卒専用の選考レーンが整備されている日本とはベースが違います。
日本はどちらかというと高校名や大学名から受験でどの程度の能力を発揮したか予測した上で、人柄やこれからの可能性について求める部分がまだ大きいのではないでしょうか。
能力が足りなければ後から仕事で学んだり資格を取ればいいじゃないか、という優しさ企業が従業員の面倒をみる覚悟があった時代は良く機能したと思います。
これからは余裕のなくなった企業が、ある程度の実績を求め始めるか、自社での獲得は諦めて人材派遣会社に頼るか、いずれにしてもITエンジニア個人は就労のために実績が求められるようになると思います。
残念ながら実績を求めるようになっても、多重下請け構造の中にいるITエンジニアは、その上位に移るためのキャリアパスが新卒採用のようには整備されているとはいえず、スキルがあってもかつて発注先であったことから採用しないといった企業もそれなりにありそうな気はします。
とはいえ、そんな状況も時間が経つことで次第に整理され、属性よりも既に発揮された実力を重視するようになるのではないでしょうか。
終身雇用は悪いのか?
終身雇用は経済が停滞した環境下では企業の体力を消耗し続けるため解雇しやすい環境を整えようという議論があります。
欧米では一般的なのだから日本でも導入しようという短絡的な思考が透けてみえそうす。
残念ながら欧米でも、契約途中での解雇は基本的には認められないはずです。
これからの企業の成長には自社のビジネスを熟知している人材と、自社のために技術を奮ってくれる人材とのバランスが重要だと思いますが、現状では終身雇用型の人材がほとんどを占めている状況です。
このバランサーとしてアウトソーシングが利用されるようになりました。場合によっては自社の社員を転籍させたJVを作ってアウトソーシング契約をすることさえあったわけです。
しかしアウトソーシングは欧米型の契約文化によるかなりドライな関係で、自社のために技術を如何なく発揮してくれる人材に巡り合うことは難しいでしょう。
相手方は当然に利益を上乗せして、損をしないような範囲でしか仕事ができません。
プロであれば当然に期待を上回る仕事をするべきですが、JVのような形態ではモチベーションは上がりにくいでしょう。
最初は新鮮だったかもしれませんが終身雇用で従業員を揃えている旧態然とした形態であれば、経年によって必然として行き詰まってしまいます。
アウトソーシングに満足できなければ、自社で人材を揃えなければいけませんが、新たに雇用する場合は期待外れの可能性も考えなければいけませんし、他の従業員を解雇しなければいけない場合も当然に想定されますが、その後に入ってきた従業員との関係性は最初からギクシャクしたものになるでしょう。
これまでは配置転換で乗り切ってきたかもしれませんが、IT技術は素人の低い生産性では長時間労働に繋りやすいものです。興味があれば楽しく乗り切れるかもしれませんが、単純な業務命令では最終的には労災にもつながることさえあるかもしれません。
自社を熟知している社員と技術に特化した社員のバランスを取るために解雇を認める人事施策は理解できますし、いまの日本には必要でしょう。
終身雇用からの転換と難しさ
ある程度の企業の新陳代謝を促す施策を完全に否定することはナンセンスです。
同時に既存の雇用関係についても従業員が特権意識を持たないような修正と意識の変革が必要でしょう。
しかし、いまのままでは減益になったから辞めさせたい人間を選んで解雇という、およそ資本主義社会の公器としての役割を放棄したとしか思えないようなデストピア的な未来しかみえてきません。
これまでも日本の企業は辞めさせたい従業員に、まともな仕事を割り当てた上で僻地や窓のない四畳半の個室への移動、あるいは専門性を無視した配置転換を強いることができました。
これらの問題にも同時に対応することが必要ですし、社会的に十分な保障・環境を整備した上で、十分な金銭を支払って解雇できるような枠組みが必要でしょう。
また企業としてもスキルアップを支援するため、業務とは別に技術力の幅と深さを充実させられるような施策も充実した上での対応をするべきです。
欧米と同等ということであれば、これまでの日本において異常というか犯罪的であった状況の是正も必要です。
20世紀中盤までの日本企業は生涯の面倒をみるのだから、従業員も多少の無理は呑んでくれ、という考えが前提にあったと思いますし、古き良き信頼関係のようなものがあり、それがモチベーションにもなっていたと思います。
しかしもはやそのような信頼関係は破綻していて、好き嫌いといった感情はあっても愛情のようなものは関係性から失われていると思います。
終身雇用は制度としては残っていますが、既に形骸化していて本来の機能は失われているのではないでしょうか。
特定の企業に長期間在籍することの意義はあると思いますが、その目的は変化するように思えます。
安易な解雇規制の緩和は、ただ状況を悪化させる
社員との関係性を修復することは難しいと思いますが、現在の社会環境下では単純な欧米化には反対するべきでしょう。
企業がいままでアウトソーシングによって自社から切り離してきた業務を抱えるなどの痛みを伴う変化が必要です。
変化によって人材の流動性を高めるという文言もよく聞きますが、現状では流動性があるとはいえない市場に供給を増やして何が起るでしょうか。
現状では解雇規制緩和後の具体策はないようです。
単純に解雇しやすくすればどこかが拾うだろうという極めて無責任な背景があるように思えます。
文化的には解雇された人間には何か問題があるのではないか、そういう終身雇用環境にあった先入観を払拭するような工夫や転換が必要なのに、そういった努力はなさそうです。
中途採用人材はお客様か? 区別の対象か?
転職活動時の個人的な経験ですが、ある国内超大手の地方子会社の面接を受けた際にとてもひどい圧迫面接を経験しました。
紹介してくれたコンサルタントからは「コミュニケーション能力に問題があると感じたとのことで断られました」という旨のメールを受け取りましたが、そもそも最初から喧嘩腰で面接として成立しておらず、私は出来るだけ相手を刺激しないよう言葉を選んで対応したことを覚えています。オドオドしたように相手からは見えたのかもしれません。
そんなに酷い会社は珍しいですが、縁の無かった会社は総じて「我々の仲間になれるか観てやろう」というオーラを感じることが多かったように記憶しています。
採用年や社内での移動経路などが相手を評価する基準だったりすると、中途採用者は異邦人のような扱いになるのかもしれません。
何かしら共有していきた企業文化を知らない、そのため話しが合わない、あるいはこれまでの社内人脈や前提が通用しない、そんな受け止めなのかもしれません。
入社年や入社先で人の偉さは変るのか?
ニュースでは、いわゆる日の丸日本を体現する国内銀行において、合併前の出身母体によって社長などの幹部人事が行われていうことが報道されたりします。
そのような慣行を克服した銀行を高く評価している取材記事などを読むと、程度の差はあっても出自を重視するというのは日本企業に共通する特徴ではあるのでしょう。
こういうエピソードは日本人としてはとても納得感があります。
そしてこれが日本全体の閉塞感の元凶であろうことも感覚として感じるところです。
私自身のこれまでの転職はいずれも所属した企業に感謝する気持ちが大きいですし、同時に自分の都合で辞めてきたことを申し訳なくも感じています。
悪い企業ばかりではありませんが、入社時期や、在籍年数が重視される環境にいると、違和感を感じることは少なからずあります。
失敗したから降格するのは当然なのか?
外資系に務めた経験からか、私個人は、肩書はその人の職責を表していて、それに見合った行動・責任を取るからこそ尊重されるのだと感覚的に理解しています。
必ずしも一般的な理解ではないかもしれませんが、少なくとも私の上司はそのような姿勢を体現している方達でした。
日本的な職場環境にいると行動が伴わないのに肩書があるので偉いのだと勘違いしているのではないかと思われるエピソードを見聞きします。
こういった人達の心理的な背景を推し量ることは難しいですが、失敗が汚点になる減点主義のような背景から虚勢を張るのかもしれません。
日和見的に感じられるバランスの取れた意見よりも、先鋭的な姿勢を取る政治家や論客が最近は増えているような印象ですが、特定の態度を鮮明にすることが生存戦略としても自身のモチベーションとしても大切なのでしょう。
学歴は新卒時の就職などでは一定の影響があると信じられていて、実際そのように作用することから成人するまでの時間を学歴の構築に費すことは一般的です。
そのような人間が集って終身雇用環境の中で集団を構成すれば、ある種の上下関係が固定化されるのは当然なのかもしれません。
そういった上下関係のみに依存し、責任を取った経験のない人が幹部になったり、責任を取らせないような配慮を周囲が行うことは問題だと思います。
御曹司だとしても何かしらの失敗は勲章として評価されるべきでしょう。
もちろんその職責に見合った責任は取るべきで、より多くの責任を取るべきなのは常にその上司であるべきです。
外資系企業で上司を肩書で呼ばない理由
外資系に関するエピソードには、上司などを肩書ではなく「さん」付けで呼ぶことが珍しいこととして紹介されたりします。
そのことを降格が簡単に起こるので、上下関係が変化すると気まずくなるから肩書で呼ばないのだ、という説明を読んだことがあります。
それもあると思いますが、経験からはむしろ職責で呼ぶよりは「さん」を付けて丁寧に呼んだ方が人間的だし、「そんなに重い責任を負っていて大変ですね」という気持ちを込めるような感覚もあって、いまでも肩書で人を呼ぶことには少し抵抗を感じます。
入社同期が新年キックオフパーティーの司会をした時に「~社長、あいさつをお願いします」と勢い良く元気に紹介した時にあっさりと社長から「うちはそういう風に呼ばないんだけどね」と軽く返されていて、徹底しているなと思いました。
少なくとも人間の偉さというのは外部の評価によって決まるもので自認するものではありません。
自身の偉さではなく職責やいざという時の覚悟といったものを自認するべきです。
過剰な分業体制の悪い側面
文化的な体質の変化が必要に思われますが、これまでにない創造的な対応が必要になる変化には日本は弱そうです。
日本的な企業が苦手とすることは人材を活かすということだろうと思います。
誰かに頼めばいいというのは、欧米でも同じですが、責任やイニシアティブをどう取るのか、という事がポイントになるでしょう。
欧米が契約社会であるということは、そうしないといけない未成熟な社会だというのは昔の上司の言葉です。
日本の良いところは放っておいても責任を持って仕事に取り組むその勤勉さだと思います。
NHKがかつて放送した電子立国 日本の自叙伝の中で工場のパート従業員が前工程の歩留りの上がらない原因と関連する事象を報告したことが改善のきっかけになったことが紹介されていました。
そういうコミュニケーションは正規・不正規と身分と役割が固定化した現代の日本の職場ではもはや期待できないのかもしれません。
これまで仕事のやりやすさとといった観点はまったく重視せずに財務諸表などの数字だけをみて、欧米の悪いところを都合良く導入してきた日本の職場環境は最悪な状況になっていると思います。
そして何も変わらずに終身雇用をただ守っていては日本の発展は期待できない状況にあるのも事実です。
これまで効率を追及するために部門を子会社化して独立させたり、コア・ビジネス以外を請負委託契約などでアウトソースしてきました。
さらに人数の減った正社員を補完するため、準委任契約で定常業務を切り出したりするうちに、自社自身と自社のビジネスを深く理解している人材も減らし続ける状況が継続しています。
アウトソーシングの限界
アウトソーシングは欧米企業の成長の原動力ではないのか、日本はうまく取り入れてきたのではないか、そういう考えがあると思います。
日本はアウトソーシングをコスト削減の手段として取り入れたのだと思います。
しかし本来、コスト削減は副産物で、より大きな目標を達成するための手段として利用するサービスだったはずです。
アウトソーシングは成果を約束して仕事を依頼する契約形態です。
偽装請負という言葉のとおり、仕事の進め方に直接口を出すことはできません。
仕事をする側は貰える報酬が決まっているので効率的に仕事を行うように努力するインセンティブがあります。
しかし仕事の品質についてはどうでしょうか?
日本人としては求められた以上の成果を出して期待に答えるというのは当然の姿勢だと思いますが、アウトソーシングとは極めて相性が悪いのも事実です。
どんなに現場が品質を上げたいと思っても報酬や評価方法が契約であらかじめ決まっているため、問題にならない最低限を維持しようとするインセンティブが働きます。
個人的にはこれまでの技術者としての成果はお客様の期待を越えるようにしてきたつもりです。
しかし、モチベーションが上がらない構造になっているのがアウトソーシングということも痛感しています。
自社のビジネスと業務のコアが密接に関係するというのは、日本人としては望ましい就労環境だと思うのですが、アウトソーシングはそこに極めてドライな関係性を差し挟みます。
欧米企業の多くは、自社で責任者を立てるなり雇うなりして、自分たちで管理できる範囲の中でプロジェクトを推進します。
メーカーに技術者の派遣を依頼するのは、その会社の製品を使うため詳細を知っている知識・スキル、実際の開発者(内部インサイダー)とのコネクションを期待してのことです。
日本企業は、餅は餅屋という発想で、創るという行為を切り離して他の企業に依頼します。
欧米では杵や臼をレンタルすることはあっても餅の製造は自社で受け持つようなものでしょうか。
自分たちで使うものを自分たちで作るという姿勢はモチベーションという観点では極めて相性が良いのに、日本は自らそれを放棄し、他者に任せてしまっている状況にあると思います。
アウトソーシングによって日本の良い点が消えてしまっていると思います。
残業させない企業はホワイトか
スキルアップのために企業のリソースを必要とする場合があります。
単純なプログラミングスキルや資格取得の勉強であれば自宅でもできるので、自由時間を増えることは望ましいといえるでしょう。
一方でライセンス費用だったり、インフラの維持管理費だったり、企業からみれば間接経費になるような部分について、専門性が高まるほどその環境を個人で準備することは現実的には難しいことがあります。
仮想環境などを利用してミニセットを構築できることはありますが、仮説検証の反復的なプロセスをスムーズに行う用途には向かない場合もあります。
エンジニア目線でいうと残業代がでなくても会社に居ることができるというのは、いろいろな前提条件はありますが、望ましい環境である場合があります。
インターンシップでは本来個人が経験できないような規模のシステムに触れられるといった点をアピールして募集して欲しいところです。
日本では資格を取得する勉強はできても、実践的な環境を自分で揃えることにはかなり制限があります。
企業においては残業の有無だけをアピールするのではなく、自主的な勉強を奨励するような施策を設けて外部にアピールするべきではないでしょうか。
目指すべき方向性
日本と欧米のITエンジニアの取り巻く環境やスキルアップへの取り組みといった観点では違いがあります。
そもそも人材に対する土台の考えから大きな違いがあり、日本の解雇条件が厳し過ぎるというのは事実ですが、安易に終身雇用型を採用した企業にも問題がありますし、企業の広範な業務命令の裁量を考えるとフェアな表現ではありません。
むしろ日本の社会環境そのものが、ITエンジニアの成長を妨げているようにも思われます。
しかし日本的な産業構造が生産性を下げているという事実はありません。
ただ終身雇用は品質の高さを生み出している素地である事に加えて雇用が安定しているというポジティブな側面があるにも関わらず、画期的な製品や個人の大きな成長を促進するような環境を醸成することには失敗しています。
IT企業は人材の中途退社に備えつつ顧客の既存のニーズを満たし続けるための技術の習得に備える必要があるでしょう。これは人材派遣や製造業の子会社にある企業にとっても同様です。
IT技術を活用したい企業はアウトソーシングに頼るだけでなくコモディティ化していくコンピューティング環境をうまく活用できるよう、社内の人材を育成し活用することがポイントになっていくでしょう。
ITエンジニア自身は、これまで以上に自分の知識・スキルの向上に注力するべきですし、それは職業倫理の観点からも当然です。周囲の素人と比較して自分は出来ているといった自己評価に甘んじていてはいけません。
これまでの企業体質を変化させない限り、事業を継続していくことは難しい局面にあると思います。
さいごに 〜 終身雇用制度の維持と人材流動性を高めることのバランス
雇用が守られているというのは素晴らしいことです。
安定した雇用という基盤がなければ、仕事に集中することも、自己研鑽に励むこともできません。
しかしジェネラリストだけでビジネスが推進できた時代はとっくの昔に終っています。
技術の程度が低い時代は少し学習すれば、誰もが新しい技術を習得することが出来たと思います。新しいシステムも少し触れば使い方が分ったことでしょう。
しかし何かシステムを調達・導入すれば問題が解決するという時代は少なくとも10年ぐらい前には終っています。
現状ではまだ外部連携可能なAPIを備えていないシステムが販売されていて、追加で機能を購入しない限りは拡張ができなくなっています。まだそんなシステムを喜んで購入しているような状況ではDXの目標達成まで道程は長そうです。
あるいは一見拡張性を持っていそうでも、管理者でなければアクセスできない、開発者だけがアクセスできる、そういう制限があるシステムは真にオープンであるとはいえません。
ユーザーが自分の情報資産をAPIを通して得られるような仕組みを、全てのシステムが備えていることが必要でしょう。
企業は自社の中に、自社のシステムをどう活かすのか考えられ、自社の業務を遂行するためにシンプルなプログラムを作成できる人材を抱える必要があります。
80年代からDWH(Data WareHouse)の機能としてある程度自由に参照系SQLを実行できる環境は、企業経営のデータ分析基盤として販売されてきました。こういった基盤はExcelのような表計算ソフトをインタフェースとしていたり、必要に応じてSQLを発行できたりしますが専門家でない人を対象にしてきました。
現状でもその単純な延長線上にあるグラフ作成ツールを備えたような情報基盤が存在していますが、それをさらに発展させてプログラマブルにした基盤を多くの従業員が使うような未来を求めるべきなのだと思います。
また雇用条件の見直しについて解雇のための条件が議論されているのはおかしなことで、政府は個人の幸福という視点であるべき姿を描くべきですし、企業は辞めさせたい人間を選ぶ前に現在の雇用契約そのものを見直すことで、その文化や従業員の意識を変えなければいけないでしょう。
それが実現出来るような法改正や支援策であれば理解されるのだと思います。
残念ながら日本はガラパゴスなITエンジニアの人材提供会社がまだまだ勢力を伸ばしそうです。明朗会計を謳った企業も出てきていますが、抱えているITエンジニアの成長といった観点では業務経験を積ませる他の手立てはあまり準備されていなさそうです。
そういった会社は責任を持ってITエンジニアのスキルアップやレベルに応じた賃金体系の構築などを行って欲しいものです。個人的には民間でバラバラに取り組むよりも、公的な機関に移行して失業保険の給付などと関連させた方が良いように思います。
個人の幸福を考えれば、どのような働き方をしても能力を発揮している限り、その内容に応じて適正な報酬が得られるべきです。また能力向上を個人の責任に閉じることは、能力が低いほど支援が必要なことを考えれば、不合理です。
企業の倫理ではなく、全体最適を目指して関係者が問題に向き合うことが必要ですが、能力の高い者がより大くの対価を得るべきだという方向に世論が動いている状況では、特に能力の低いITエンジニアに対する支援という部分では難しさが継続しそうで、この点には懸念を強く感じています。
これはこれで貴族と庶民といった階層化を生みそうですが、そもそもコンピュータがどうやって動くのか説明もできないのにITエンジニアを騙れる点で問題がかなり根深いといえます。
以上