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モノづくりとラーメンとエンジニア

Last updated at Posted at 2019-12-11

この記事について

実際のところQiitaに書いてふさわしい内容かどうかはやや疑問が残るが、それでもエンジニアとして、物を作るものとして、どうしても心に留めておきたいと思った経験を、形にしておきたいと思ったのでここにも投稿した。
本当に何も関係ないところから始まるのは許してほしい。でも大事なことだとも思っているのは保証する。

あと、エンジニアという職種柄、少しでも共感してもらえたらこんなに嬉しいことはない。いいねしてくれた人のところページにはちょっとお邪魔しに行きますね。

ラーメンは美味い。

私はたぶん、世の中の成人男性の中でも食事には割と気を使わない方の部類であり、

故に、夜にラーメンを結構な頻度で食べる(故に?)。

幸にして、先日の健康診断はオール1(問題なし)で、これも健康な人体に育てていただいた両親への感謝を禁じ得ない。

そして私は今日もラーメンを食らうのである。

(よく行くラーメン屋。味八。後輩や部下はよくここに付き合わされる)

ある日のこと。ふと思ってしまった。

「全くの無から、この今のラーメンの形状に至るまでに、一体どれほどの人間が研鑽を重ねたのか」

と。

ラーメンはもちろん、小麦粉による麺と、煮込まれたスープのコラボにより生まれる料理である。

しかし原始の人類が、その辺に生えている麦を目にしたとき「お、ラーメンにしよう」などと思うはずもない。何しろ麦を初めて目にした人類からすれば、それは「その辺に生えている草」でしかなかったはずだ。

気狂い1人

まず「その辺に生えている草」を食べようと思った人物が、長い人類の歴史上確実に1人存在する。

とんでもない気狂いである。
腹が減って食うに止まれずの行動とはいえ、「その辺の草」を口に入れるなどは正気の沙汰ではない。

気狂い2人

しかし、あくまでも「その辺の草」である麦は、おいしくない。
そこで、外側の殻を外して中の胚乳だけ食べようと思った人物も、やはり人類の歴史上1人存在する。

気狂いその2である。
普通の人間は、ボソボソで食べられないなら、食べない。わざわざ食べられるように工夫なんぞしない。

数々の気狂い

さらに、胚乳だけにしてそれをすりつぶして粉にしようとした人間

水と卵と混ぜてこねた人間

スープにひたして食べた方がうまいと思った人間

骨だけスープで煮込めば旨味が出ると気づいた人間

どれ一つ抜けたとしても、現代のラーメンは完成しないけれど、どれ一つとして自分が再現できる気がしない。

ここで大きく出る

詰まるところ、その辺にある一杯のラーメンは、長い長い人類の歴史の中でたくさんの人間たちが積み上げてきた研鑚の結晶だった。

我々が、1時間の労働により手に入れることができる1000円という対価によって、人類の文化の結晶に最もたやすくありつける。

こんなに素晴らしい世界があるだろうか。信じがたい。

エンジニアとして

ひょっとして、自分が今やっている仕事も、「これや!」とか「もう少し」とかで生み出した新しい価値は、あとの人に繋がっていくのかもしれない。

ちょっとしたアルゴリズムだったり、なんてことないメソッドかもしれない。

名前は残らないかもしないし、ましてやありがたがってももらえもしないだろう。

それでも、将来誰かが気づかないところで喜んでくれるかもしれない。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。明日も頑張って、いい仕事できるように頑張ろう。

気づいてしまって、そう思ってしまった。そしてまたラーメンを食らうのである。

終わり。

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