本記事は[Wikimedia Advent Calendar 2019] (https://qiita.com/advent-calendar/2019/wikimedia)の7日目の投稿です。
2019年9月に作成した浜松市秋野不矩美術館執筆についてのまとめとして書こうと思います。自分が新規立項として執筆したのは、若竹座を書いた2018年3月以来でした。
#執筆の経緯#
9月のまだ暑い時期、以前から訪れたかった秋野不矩美術館が改修のため2019年9月17日から長期休館に入ることを知り、急いで訪問することにしました。
いつものようにウィキペディアで検索したところ、意外にも単独記事がないことに気付きました。この瞬間、美術館訪問は、ウィキペディアでの新規立項を目指した調査もかねた小旅行となることが決定したのです。
訪問前に近隣の図書館で新聞データベースを読んだり、ガイドで美術館の概要と見どころをチェックするところから開始しました。文献が揃っていることもありこの時はまだ画家・秋野不矩の調査が中心でした。画家・秋野不矩のウィキペディア記事は、既にあったものの、記述内容は少なく出典もあまりついておらずさびしい状態だったので、並行して調べておき、余裕ができたら加筆したいと思っていました。
#調査旅行に行く#
後で「あれを見てくればよかった」「知っていれば」「写真を撮りたかった」がなるべく減らせるように、事前に分かる知識はなるべく得ておきたいものです。
無駄なく動くため、それでいてその他の楽しみ(ご飯とか)も盛り込みたいので、割ときっちり旅程を決めました。
今回のターゲットとなった秋野不矩美術館に関する調査のため立ち寄った先は以下の通り。
##1.浜松市立天竜図書館##
二俣協働センターの1階にあります。
この図書館は2017年にも訪れています。その時、秋野不矩の関連コーナーが設置されているのを確認していましたが、美術館は訪れませんでした。
今回はまず、美術館に行く前に立ち寄り、ざっとコーナーを調べました。棚に出ている限りでは、画家・秋野不矩に関する図録や著作が主で、美術館に関する資料は見当たりませんでした。
天竜図書館には美術館訪問後にもう一度寄り、秋野不矩コーナーと地域資料の『天竜市史』等の文献をいくつか調べ、資料のコピーもしました。図書館要覧については後で訪問する予定の城北図書館でコピーすることにしました。
浜松市は2005年に合併をしており、秋野不矩美術館はその合併前、天竜市のもとで完成した美術館です。完成当時の広報などが保存されているはずなので見たかったのですが、取り急ぎ本来の目的地へ。
##2.秋野不矩美術館##
本来の目的地。
駐車場は敷地の入口にあり、そこから坂を登っていきます。登っている途中で丸太の手作りベンチや、面白いオブジェなどがあり、途中で坂を折り返します。
その折り返し地点の擁壁は、コンクリートに板を張り付けたもので、とても変わっていました。
坂を折り返すと、目の前に不思議な風貌の建物が正面に現れてきます。
右手には、もっと不思議な丸い見晴台みたいな物体がありました。
「望矩楼(ぼうくろう)」といって、開館20周年を記念して建築家の藤森照信氏が作成したお茶室です。
ファンタジーのアニメ映画に出てきそうな物体でとてもユーモラスで迫力もありました。
望矩楼を見て、美術館の建築やそれを設計した人々への興味がぐんと湧いてきました。
内部への期待も高まります。
美術館内は、壁の感じや柱などが縄文の香りを感じさせながらモダンな雰囲気もありました。
トイレのサインが和紙に版画したような、他で見たことがないデザインで素敵。
裸足で鑑賞するスタイルも新鮮で、絵に向き合うとき他の美術館では感じなかったような静かな、それでいて高揚するような気持ちになりました。
館内は写真撮影が禁止だったので撮ることはせず、目に焼き付けるのみ。
図録等の見本が置いてある休憩スペースにあった冊子の特集に秋野不矩が取り上げられていたのを発見。地域の図書館に資料としてあれば複写ができるので、のちにコピーが欲しくなったときのためにタイトル等の書誌事項も控えたりしました。こうした自力で見つけにくい資料との出会いは現地に来ることの意義のひとつでもあります。
美術館のテラス部分から外を望む。かなり高い場所にあることが分かる。
##3.浜松市立城北図書館##
午後3時くらいからはこちらで資料を調査してました。
エントランス部分に、スマホやデジカメで図書館資料を撮影する際の手続きについてのポスターが。
今回自分は試さなかったのですが、手続きとしては申込みの上、レファレンスカウンターでの撮影となるようでした。
検索機でキーワードを入力して蔵書を検索し、参考になりそうな資料については、スマートフォンで自分が住んでいる辺りの図書館での検索も行います。
地元の図書館が同じ資料を所蔵していたら今回はパスすることにして、今ここにしかない、見るべき資料を絞っていきます。ざっと読んだら必要箇所について複写。手続きもあるため、時間との闘い。
城北図書館は新聞データベースが利用でき、しかも印刷が自分で画面で指定できるシステムが導入されていたので楽でした。
いつも利用している図書館では、画面で印刷したい記事について発行日やページ数や記事タイトルをメモし、それを図書館職員の方に印刷してもらい、それをまた自分で複写するという(もちろん複写の用紙をまた書く)手続きが必要なため、複数の記事を一気に入手したい場合は根気がいるのです。
新聞記事を時間と著作権の許す限り印刷して、その日の小旅行から帰路につきました。
参考資料を集める・読む
現地を訪問し、撮ってきた写真やコピーした資料を読みながら、どの内容を盛り込んでいくのか考えます。
同時に、図書館に行って藤森照信氏と秋野不矩美術館のことが載っている資料を全部集めて調べていきました。藤森照信氏は、もともと建築史専門の方だったようで、著作も豊富で面白いものも多く、秋野不矩美術館についても折に触れて書いています。画家とのやり取り、天竜市(当時)の対応なども興味深く、今ではなかなか実現しないような幸せな公共建築の一つだったのではないかと思わされました(実際にはいろいろあったに違いないのですが)。
ウィキペディアの記事にも、こうした人と人との会話などを中心としたエピソードを盛り込むと面白く読めるのですが、バランスを考えないと、せっかくの美術館本体の情報が少なかったり、印象が薄れてしまいます。
また、紙の資料はどうしても情報が古くなっていくものですし、一方的な視点からのものもあります。美術館、画家それぞれの公式のホームページなどに掲載されている情報も参照しながら、全体で整合性がとれるよう構成を考えていきました。
ウィキペディア記事を作成する
1.記事の構成を考える
今回のような公共建築の場合、博物館、美術館、図書館などの既存の記事で目指したいものを見つけ、節の構成や名称の付け方、写真の配置などを参考にしています。
大方は歴史的な事実(沿革)、建築的な要素をベースにして、あとはそれぞれに特徴的な部分(コンセプトやテーマ、収蔵品、かかわりの深い人物など)を整理して、バランスを考えていきます。
自分は、これと決めた形はあまり決めず、その時々で協調したいところから順に書いていくのですが、歴史的な部分を最初に持ってくることが多いです。設立の経緯などは、その建物の存在意義に関わる部分だと思っているためです。
また、記事の内容はできるだけ多くの検証可能な文献や情報をもとにしていることが望ましいですが、先輩ウィキペディアンに教わった「核となる文献を一つ見つける」ことは、重要だと思います。
秋野不矩美術館に関していえば、歴史的部分についてはほぼ静岡新聞の記事に拠ってしまっていますが、設計時のコンセプトや設計側の思いについては『家をつくることは快楽である』(藤森照信/著、王国社刊、1998年)、詳細な意匠や材料など実際の作業的な部分は『藤森流自然素材の使い方』(内田 祥士、大嶋 信道、藤森 照信、柴田 真秀、入江 雅昭/著、彰国社刊、2005年9月)が核となっていると思います。もう一人の設計者・内田祥士氏が詳細なディティールなども紹介している『藤森流~』は、建築裏話などもありますし、ひとつひとつのパーツにこめられた工夫などが分かって本当に面白い一冊です。
(書影画像は版元ドットコムより)
2.記事本文を書く
いよいよ記事本文の内容を書いていきました。
書くスペースですが、自分はテキストエディタで編集し、出来上がりを見たいときだけサンドボックスで確認するというスタイルで執筆しています。
サンドボックスは、ウィキペディア上に用意された下書きページです。サンドボックスは、ログイン後はユーザーごとにも用意されています。ただし、サンドボックスは立項前でも他の人から参照できてしまうため、コピペされたり、先にページを作られてしまうことも可能性としてはあります。
記事の構成としては、最初に参考文献から書くことにしています。書誌事項は、以前にも書きましたが、自分はいつも国立国会図書館サーチで調べた書誌を利用します。なかった場合は、所在地の都道府県立図書館の書誌、それでもなければ市町村立図書館の書誌、という順にしています。
特に行政資料に多いのですが、表紙のタイトル・背表紙のタイトル・奥付のタイトル・中表紙のタイトルがすべて微妙に違う場合があって、明確なルールで統一して入力している機関のものを使った方が、見た人が自分で探したいときにたどり着きやすいという観点からそうしています。ウィキペディアタウンなどでとりあえず資料を見ながら入力した場合でも、必ずあとでNDLサーチで確認するようにしています。
そして、出典をつけながら本文を書いていきます。句読点ごとにつけるのが望ましいです。「以下の記述は〇〇による」などとまとめて書く人もいますが、後にその本文を一部加筆・修正したい人が現れたとき、ちょっと困ったことになります。記事を充実させ皆で育てるという観点からも、切り分けやすいようにしておくのが良いのかなと思っています。
記事がある程度でき、掲載できる内容になったら、サンドボックスに移してプレビューで確認します。
このときインターネット上の外部リンクなども閲覧有効かどうか確認し、最終確認日を出典として入れていきます。
今回、秋野不矩美術館を書いた際に、建築の特色の部分をもっと項目ごとに箇条書きで分けたほうがいいかとも思いましたが、結局文章で表現することにしました。
また、秋野不矩氏と藤森照信氏の関係性は建設上大きな意味を持つと思っていますが、美術館本体の記載とは分け、エピソードという節に書くことにしました(百科事典としてはギリギリかもしれませんが)。
もしかしたら今後、個々の意匠についてさらに詳しく書きたくなったら、変えていくかもしれませんし、別の人がまた構成を変えていく可能性もあります。
調べた資料にはもっといろいろな情報もありましたが、まず秋野不矩美術館に興味を持ってもらえたら嬉しいと思って、これはと思う内容で本文を構成しました。すべてを盛り込むという考えもあると思いますが、百科事典とはどういうものでしょうか。
知識を得ることがウィキペディアをきっかけとしていたとしても、自分でさらに知識を深める楽しみは、現地に行って感じたり、本や資料を読んだり、人の話を聞いたり、ウィキペディアの外の世界にあると思うのです。
3.写真をアップロードする
自分で撮影した写真をWikimdia Commonsにアップロードしていきます。
色々な入口はあると思いますが、自分はウィキペディアの左サイドバーにある「ファイルをアップロード」のリンクをクリックし、その先の指示に従ってアップロードしています。(細かい作業手順は今回省きます)
それぞれの写真のタイトルや説明、カテゴリの設定する必要がありますが、それらはまとめて設定することも可能です。
今回はすでに秋野不矩美術館のカテゴリ(Akino Fuku Museum)がありましたので、それで設定しました。
アップロードしたら、記事本文に掲載したいファイルのリンクをコピーして、記事本文に配置していきました。
写真のチョイスや配置は、撮った時からの構図も含めセンスが問われる気がしていつもどきどきします。
もちろん自分で撮った写真にはこだわらないので、もともとCommonsに良い写真があれば使っていきたいものです。
4.ウィキペディア上に新しいページを作成する
新規ページ立項の際についての注意事項はHelp:新規ページの作成にあります。
ページのタイトルについては、気を付ける必要があります。寺社などは特に、同名のものが日本全国各地にあるため、所在地までを掲載する必要があります。
赤リンクといって、まだ存在していない記事へのリンクが他のページにあれば、そこから新しいページを作ることができます。
今回は、ウィキペディア内のリスト 美術館の一覧に赤リンクを追記しておき、新しいページを作る方法を取りました。
えいっと投稿する瞬間はやはり緊張しました。25,179バイトで割とボリュームある記事になりました。
9月23日、美術館を訪問して8日後のことでした。
5.記事作成後
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9月26日、ウィキペディアのメインページで「新しい記事」として掲載されました。推薦する人がいて、投票してくれる人がいたということですので、読んでもらえて嬉しかったです。
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9月29日、別の利用者によってウィキペディアの秋野不矩のページが更新され、大幅に加筆されました。出典もついており、自分が加筆しようと思っていた内容はほぼ網羅されていました。美術館の記事ができたことにより、誰かが更新してくださったのでしょうか。前々から準備していたという可能性もあり、今回の立項に関係ないのかもしれませんが、これも嬉しかったです。
まとめ
久しぶりの新規立項はやっぱり大変でしたが、調査小旅行も含め、調べて新しく知ることがたくさんあって、新たな興味も増え、自分の世界が広がって楽しかったです。藤森建築が面白そうと思ったので、訪ね歩くのもいいなあなんて考えています。
ウィキペディアの記事作成は、まとまった時間がないとなかなか取り組めないのですが、資料を集めてあるネタはいくつかあるので、また折を見て書いていけたらと思います。