2017年発行の比較的新しい本。伝送線路を学ぶために読み始めた。電気工学書の中では比較的抽象度が高く、シンプルなモデルで原理的な基礎を学べる。この本では解くべき問題に応じて理論的に微分方程式を立てるが、その解法は基本的にコンピュータを用いた数値計算であり、テクニカルな数学は出てこない。代わりに基本的なPythonの知識を前提としている。現代的なアプローチであり、理にかなっていると思う。
前半は集中定数回路、後半は伝送線路理論を扱っている。特徴として伝送線路理論をMaxwell方程式から導いているということがある。他の書籍ではHeavisideの分布定数回路という現象論的な仮定から導くものが多いらしい。物理学科出身の自分としてはより原理的なMaxwell方程式から導くのやり方の方が納得しやすい。ただし後述するように本書のモデル化が正しいかどうかは不明である。
全体的な主旨としてはとても良いのだが、本書は余りにも粗削りでミスが多く、自分のような初学者が読むには辛すぎる。現時点これは良書とは言い難い。今後の改訂で良くなることを期待する。
#集中定数回路
序盤は基本的な数学と集中定数回路の基本素子である抵抗、キャパシタ、インダクタの解説。シンプルに、数学的な定数として導入されている。
そして回路を作るための節点という概念や、電位、素子電圧という概念の導入。これらも曖昧にせずにしっかり定義している。それからキルヒホッフの電流則と電圧則の導入から、問題を解くために必要十分な微分方程式の数を説明。証明はないがグラフ理論から導かれることを参考文献と共に明記している。こういう基礎理論の裏付けがあるのは嬉しい。
その後少し発展的な相互インダクタや従属電源、すなわちトランジスタやオペアンプを扱うための概念が登場。しかしあくまでも抽象的な概念としての導入であり、具体的に現実的な部品を扱うわけではない。このスタンスの統一は良いと思う。
線形素子からなる集中定数回路においては解くべき問題は常微分方程式となる。そしてそれは扱う信号が周波数一定の交流定常状態か過渡応答の場合はほぼ解析的に解ける。単純な例でそれを学ぶ。
そのまま読み進めると交流定常状態の場合は信号や素子を複素数で表すフェーザ表示によってシンプルに表現できることが自然に理解できる。そして重ね合わせの原理や、テブナンの定理、ノートンの定理からあらゆる回路が簡単に機械的な手法によって解けることが分かる。
次にさらに機械的に解くために回路自体を行列で表現し、一般に回路の問題を全て数値計算で解けるようになる。フェーザ表示で扱える交流定常状態はもちろんのこと、過渡応答であっても差分法で微分方程式を数値計算的に解くことで対応できる。つまりどんな回路でも解けるSPICEのような回路シミュレータを作れるだけの知識がここで得られる。
ここまでが前半の集中定数回路。後半は伝送線路理論である。
#伝送線路理論
本書の伝送線路理論はMaxwell方程式から始まる。Maxwell方程式と簡単なベクトル解析の説明から、スカラーポテンシャルとベクトルポテンシャルを導入し、ゲージ不変性とローレンツ条件を説明。波動方程式を導き、電磁波が伝送線路中を光速で伝わることを理解する。そしてMaxell方程式から積分形のクーロンの法則とアンペールの法則を導き、伝送線路理論の基礎としている。
しかしこの議論には本当は疑問が残る。これらは静電場、静磁場を対象とした法則だからである。
次に線上に電荷が分布した単純な電線モデルを考え、それらが動くことで電流が発生していると考える。電荷は径方向に電界を発生させ、電流は電線を中心とする回転方向に磁界を発生させるとみなす。このモデルでは電荷の移動速度は十分に遅いと考えても良いため、クーロンの法則とアンペールの法則を適用していると思われる。
しかしそもそもこのモデルは実際とは異なる。現実の電線は帯電した物体が動いているわけではない。だがこのモデルでも結果的に同じ電流が流れている状況を作れるため、結論としては同じになるのかも知れない。それに関して本書で説明はない。
とにもかくにもこのモデルから伝送線路方程式
という結論が得られる。Heavisideの分布定数回路の近似からも同じ結論が得られるらしいし、物理的に正しいモデルでもきっと同じ結論が得られるのだろう。これに関しては今後 他の書籍で確認するしかなく、現状正確には分からない。結論を信じることにして先に進む。
本書では伝送線路方程式を数値計算で解く。単純に時間領域と1次元の空間領域のそれぞれに差分法を適用して逐次計算する手法で、FDTD法と呼ぶらしい。伝送線路の境界はそのまま前述の集中定数回路の数値計算法をつなげて同時に解く。これによって簡単に伝送線路のシミュレーションができる。
たとえば400mの電線で直流電圧30Vを送るときの電圧の変化をスローモーションで見る。終端のインピーダンスのアンマッチで反射が起こる。時間経過で徐々に全体が30Vで安定する。実に面白い。
https://twitter.com/Tw_Mhage/status/1323552833879207936
単なるRC回路でも波長に比べて線路長が長いと信号の多重反射によりリンギングが起こる。線路長を無視する集中定数回路では起こりえない現象である。
こういったことがシミュレーションで結果を即座に確認できるのは面白い。
最後にコモンモードノイズについて解説がある。つまり意図的に電線で作った伝送線路以外にも、周りの環境に電流は流れるので、たとえ設計した伝送線路でインピーダンス整合をしていたとしても全てを吸収できずに、環境を通した電流が多重反射することでノイズが残ってしまうという問題である。これも単純なシミュレーションで実感することができる。
#本書の長所と短所
本書の長所は物理現象のエッセンスのみを抜き出した話の単純さである。単純なゆえに少し抽象的になってしまっているが物理や数学を学んでいる人にとっては分かりやすいだろう。そしてテクニカルな数学には触れず、数値計算で結果を出しているところも良い。計算手法に頭を煩わされることなく、物理的なイメージをつかみやすい。これらは実に素晴らしい点である。
しかしそれを補って余りある短所が、この本のミスの多さである。誤記、計算ミス、文章や論理の誤り、図表の誤りが至る所に存在する。また演習問題の解答がWeb上にあるのだがこれが本文に輪をかけて間違いだらけである。ある程度考えれば誤りに気付くことはできるのだが、自分のようにこの本で初めて学ぶ初学者は解読にとても時間がかかってしまう。大変残念なことである。