はじめに
はじめまして、Textaと申します。化学科です。今回は化学・物理両面で重要なエントロピーについて自身の直感的な説明をしてみたいと思います。物理の方々から見れば物足りないものかもしれませんが、よろしくお願いします。
前提:熱とは、運動エネルギーである(最後の5行以外は読み飛ばてもOK)
統計力学を学んだことのある方であればすでにご存じかもしれませんが、平衡系においてはエネルギー等分配則が成り立ちます。まだ勉強していない方でも高校で物理を履修していた方は以下の式に見覚えがあるんではないでしょうか。
$$
\begin{equation}
\frac{1}{2}k_{B}T=\frac{1}{2}mv^{2} \tag{1}
\end{equation}
$$
この式は次のように言い表すことができます:
「温度Tの理想気体は1粒子あたり$\frac{1}{2}mv^{2}$の運動エネルギーを持つ。」
高温ほど熱いという直感から、熱量と関係させることもできそうな気がしてきます。つまり、系が吸収・放出する熱量$Q$と運動エネルギーの対応関係とみることもできそうです。言葉で表すと
「大きな熱量の移動には大きな運動エネルギーの移動を伴う」
といったところです。
導入:エントロピーの教科書的説明
今回の記事の主題であるエントロピーについてですが、なかなか説明に苦労する概念ではないかと思います。いくつかの教科書を紐解いてみると、例えば古典的な教科書として知られているフェルミの熱力学の教科書[1]では、エントロピーはカルノーサイクルに続いて導入されています。概要を示すと以下の通りです:
系を絶対温度$T_{1}$および$T_{2}$(ただし$T_{1}$<$T_{2}$)の熱浴に接触させる。pV図上において、
A($V_{A}$,$p_{A}$,$T_{2}$)=(等温変化)=>B($V_{B}$,$p_{B}$,$T_{2}$)=(断熱変化)=>D($V_{D}$,$p_{D}$,$T_{1}$)
=(等温変化)=>C($V_{C}$,$p_{C}$,$T_{1}$)=(断熱変化)=>A($V_{A}$,$p_{A}$,$T_{2}$)
で表されるカルノーサイクルを考える。
等温過程は熱の放出を伴うものであり、A=>Bの過程で$Q_{2}$の熱量が吸収され、D=>Cの過程で$Q_{1}$の熱量が放出される。この時
$$
\begin{equation}
\frac{Q_{2}}{Q_{1}}=\frac{T_{2}}{T_{1}} \tag{2}
\end{equation}
$$
が成り立つ。
(中略)
基準状態Oから状態Aに移る過程において
$$
\begin{equation}
S(A)=\int_{O}^{A}\frac{dQ}{T} \tag{3}
\end{equation}
$$
で定義されるエントロピーを導入すると、エントロピーは変化の経路に依存しない関数である。
...なるほど、ピンときません。
変なたとえ話:富豪と貧民
ここで変なたとえ話をしましょう。2人の人間AとBを考えます。Aは1億円の資産を持っており、Bは10円しか資産を持っていないものとします。
ここで2つの場合を考えてみます:
1)AがBから9円取り上げる
2)BがAから9円取り上げる
次に、状況が一気に変わってAの資産が12円まで減ってしまったところからスタートします。
上と同じ状況を考えてみると、
1)AがBから9円取り上げる
2)BがAから9円取り上げる
さらに状況が変わり、A・B両方の資産が12円になったとします。すると、
1)AがBから9円取り上げる
Bは激しく抵抗しました。
2)BがAから9円取り上げる
結局、同額になったところで釣り合ってしまい決着がつかなくなってしまいましたとさ。
熱力学の話へ書き換える前に
たとえ話はこの辺にして、そろそろ熱力学の話へ戻りましょう。上のたとえ話でしたかったことは、
「価値は自身の立場で変動しており、等しい価値になれば折り合いがつく」
ということです。砕けた言い方をすれば、
「多く持っていれば少々取られても特に気にしないけど、少ししか持っていないのにごっそり持っていかれるなんて冗談じゃないよ」
といったところでしょうか。
もう一つ、熱量と熱容量についてイメージしてみます。熱容量というのは温度を1K上げるのに必要な熱量のことです。その定義式
$$
\begin{equation}
C=\frac{dQ}{dT} \tag{4}
\end{equation}
$$
を眺めてみると、絶対温度Tの系においては熱量Qと熱容量Cの間には
$$
\begin{equation}
Q=CT \tag{5}
\end{equation}
$$
という式が成り立つとわかります。これは以下のよう図式化できます。
(注!)
上の図では熱をさも物質のように扱っていますが、現代では正しい解釈とはされていません。とは言いましても、直観的に関係を把握するうえでは有用な見方です。そこで本記事の目的には合致しているものとして、批判を承知の上で紹介しました。
結論:エントロピーは価値の指標
以上の下準備の上でエントロピーの解釈に挑戦します。2つの系AおよびBを考えてみると、たとえ話との対応関係は
系の間でやり取りする熱量Q:やり取りした資産
各系の絶対温度T:最初にそれぞれが持っていた資産
とわかります。温度Tに関して以下の2つの場合を考えてみます。
1)温度が異なる2つの系の場合
やり取りする熱量の重みが両者の間で異なっていることになります。多くの熱量を持つ系(=高温側)にとっては大した割合でなくとも、少ない熱量を持つ系(=低温側)からすれば非常に価値のあるものだということです。そのため、高温側が低温側から熱を持っていかれることになります。数式で表すと
$$
\begin{equation}
T_{1}<T_{2} \tag{6}
\end{equation}
$$
であることから
$$
\begin{equation}
\frac{1}{T_{1}}>\frac{1}{T_{2}} \tag{7}
\end{equation}
$$
したがって一定の熱量dQに対して
$$
\begin{equation}
\frac{dQ}{T_{1}}>\frac{dQ}{T_{2}} \tag{8}
\end{equation}
$$
あるいは
$$
\begin{equation}
dS_{1}>dS_{2} \tag{9}
\end{equation}
$$
となり、温度$T_{1}(<T_{2})$の系Aにとって$dQ$という熱量はより価値のあるものであるということができます。
2)温度が等しい2つの系の場合
A、Bどちらも持っている資産が同じ額になってしまえば、両者にとって動く資産(=熱)は同じくらい大事なものになります。温度が等しくなったら両者の間でつり合いが取れた状態になるので、熱量の一方的な移動はそれ以上生じないことになります。
こちらも数式で表すと以下のようになります。
$$
\begin{equation}
T_{1}=T_{2} \tag{10}
\end{equation}
$$
であることから
$$
\begin{equation}
\frac{1}{T_{1}}=\frac{1}{T_{2}} \tag{11}
\end{equation}
$$
したがって一定の熱量dQに対して
$$
\begin{equation}
\frac{dQ}{T_{1}}=\frac{dQ}{T_{2}} \tag{12}
\end{equation}
$$
あるいは
$$
\begin{equation}
dS_{1}=dS_{2} \tag{13}
\end{equation}
$$
となり、系A、Bいずれにとって$dQ$という熱量は同じ価値を持つと結論付けることができます。
以上のことから
「エントロピー=対象の系における一定量の熱量(=運動エネルギー)の価値」
という解釈が浮かんできます。もし系の間でその価値がずれていたら、それを修正するように上手いこと熱をやり取りし、最終的には同じ価値のあるものと認識するように変化するとみることもできます。
終わりに
最後におまけとして、清水明先生の熱力学の教科書[2]における平衡状態に関する記述の一節と見比べてみます:
"平衡系にある部分系はどれも平衡状態にある。"
ここまでに述べてきた考え方を転用してみると、
「エントロピーが大きい=運動エネルギーは全体に均等に近い状態に分けられている」
「エントロピーが小さい=運動エネルギーは特定の空間領域に偏った分布になっている」
というとらえ方もできるように思えてきます。
熱力学や統計力学を学習されたことのある方であればエントロピーは体積の増加関数であることをご存じかと思います。上の図を眺めていると、確かにエントロピーと系の占有体積$V$の間には正の相関があるようです。数式で書くと熱力学第1法則より
$$
\begin{equation}
(\frac{\partial S}{\partial V})_{T}=p \tag{14}
\end{equation}
$$
かつ熱力学的に安定な状態では圧力は正であることから(左辺)>0です。
こうして考えてみると、エントロピーという概念は乱雑さの指標という表現よりも一様さの指標という表現の方がしっくりくると個人的には思うんですが、果たして?
参考文献
[1] フェルミ 著, 加藤正昭 訳, 「熱力学」, 三省堂, 1937
[2] 清水 明 著, 「熱力学の基礎 第2版 Ⅰ 熱力学の基本構造」, 東京大学出版会, 2021