自己紹介
タイトル通り33歳、2024年1月に新卒から入社約10年間勤務していた会社を退職し、同年5月に未経験でIT企業にインフラエンジニアとして入社しました。
今に至るまでの経験・経緯・仕事をする上での考え方・現状状況を整理して記事にしようと思いました。
独り言のような、自分の気持ちを改めて捉える意味も含めて...
そして同じように未経験からIT業界に入っていった先人の方々や同じ境遇の方々、これからの方々に、こういう人もいるんだという参考になればと思います。
二部構成で今回は主に「マネジメント・教育」に関連する内容として投稿します。
はじめての就職
大学までは一切情報関連に触れることもなく勉強などもしていませんでした。
心理学を専攻しておりましたが、統計学などを扱うわけではなく、心や意識の存在はどう捉えるか、魂の存在、時代ごとの捉え方など広い意味で学ぶ学科でした。
中学から大学までずっと運動部に所属し、年末年始の数日間以外は部活動という生活を学生時代に過ごしていました。
アルバイトも大学での運動部を引退後、1か月ほどの短期募集していた接客業(和菓子販売)のみです。
人の心境の変化や捉え方に興味があったので、就職先は接客業にしようと活動していました。
ご縁があって飲食業界(主にカフェ経営が世間的には認知されている企業)の企業に新卒で4月入社しました。
社会人として
入社した飲食業界企業の研修を受け、主に店舗配属での販売・接客に従事していました。
私はこの時点で「社会人としてあらねばならない」と自分を苦しめる意味で追い込んでいました。
その時は固定概念に囚われていることにも気づく余裕もなく、経験もないのだからこれから覚えて身に着けるしかないのだと捉えることもできませんでした。
社会人マナー(ビジネスマナー)も、仕事内容もただただ必死にくらいついていく毎日。
先輩社員の店長の部下として取り組んでいました。
できなかったことや、指摘されたこと、嫌がらせもあり、自分で自分を攻めて・責めて追い込んでいっていました。
一概に自分を責めることが全て悪いわけではないと今ならば考えますが、その時は捉え方としては辛くする一方の方向性でした。
店長昇格
気づけば入社した翌年の2月に店長に昇格し、1店舗の責任者になることに決まりました。状況や規模によりますが、1店舗に1社員(店長)体制が基本でした。
ここで私は心のキャパシティのピークを迎えていました。
「全てが私の責任なる...すべてを自身で決めなければ...」
一人でできることなど何もなく、他人の存在があって店長でいられること、支えあっていく関係性が大事であることを学びました。
というのも社員だから、店長だから、とアルバイトの方々と一緒に店舗の運営をする中で、分けて壁を作って捉えることによる上下関係ありきが第一前提になってしまっていたのです。
社員として、店長として業務指示のみの会話...働く人に立場も上下関係もないことを思い知りました。
指揮系統などの観点からの話ではなく、仕事に向き合う人としての立場から上下関係をとらえてしまっていたのです。
会話はどんどんなくなり、殺伐とした空気が流れ、アルバイトの方との関係性はどんどん悪くなるばかり...
働く理由は人それぞれですが、働く環境が居心地が良いに越したことはないと個人的には考えます。
だらけたりすることがしたいわけではなく、目的や大切にしている軸がぶれないように。
仕事仲間での関係性そのものに焦点が合ってしまうと視野が狭くなり、目的を見失ってしまうことにつながるからです。
私の例ですと、アルバイトの方との関係性にしか焦点が合っておらず、目的であった「お客様が快適に過ごせるように、満足していただけるように...」が分からなくなってしまい、そのための行動をしなくなってしまうようになりました。
結局、私自身は捉え方に気づくことができず、行動を変えることにも至らず、状況は改善することはなく他の店舗に異動することになりました。
マネジメントについて
このような経験から、立場関係なく同じ目的を目指す仲間であること、対等であること(上から目線にならない)を忘れてはならないと考えるようになりました。
どなたに対しても敬意を忘れないこととして。
ご年配の方が多い、主婦の方が多い、フリーターの方が多い、学生の方が多い...等店舗によってさまざまな環境・状況の方々がいらっしゃいます。
年上の方であっても年下の方であっても敬意をもって接すること。
そして何よりその人その人にとっての前向きな気持ちになれる環境作り、関われる一人でありたいと思うようになりました。
最終的には十数店舗を店長として経験した中で、マネジメントにおいての私にとって気を付けていたこと、軸としていたことを記します。
・一人では何事も成り立たない
店長の在り方は決まりがなく、店舗がどのような形でどの方向や分野に重点をおいて取り組むかも最終的な決断は店長次第。
決断は店長ではあるが、決断に至るまでの経緯においてはアルバイトの方との協力・相談・意見の出し合いetc...。店長の独断ではできません。
店長が不在の時間はアルバイトの方々が懸命に働いてくださっています。
誰かがいなければ成り立たない店舗ではお客様にとってはサービスの差が生まれてしまうということです。
もちろん、「あの店員さんの笑顔や会話が好きで行く!」という店舗ごとの特色はあっていいと思いますし、店舗の存在意義にもつながると思います。
チェーン展開しているならばブランドの信用性、安心感は損ねてしまうことの影響は多大です。
「誰かがいないと」、ではなく、「誰であっても一定水準のサービスを提供することをそろえる」ためには、文字通り一丸となり、目的に向かう方向性を明確に認識することが重要だと考えていました
262の法則(概念的なものです)もあったりはしますがここではそこまで追求はしないでおきます...。
・マネジメントの解釈
マネジメントという単語が管理するという意味を持ちますが、
個人的には、一人ひとりの方向性をすり合わせて束にしていくイメージです。
強制的にではなく、一人一人に合わせた形で。
新しく入ったアルバイトの方、新卒社員の方、中途社員の方と働く機会も多々ありました。
一般的には「教育」と言われますが、こちらも
個人的には、「一緒に学ぶ」ことだとイメージしていました。
形としては教える側と、教えてもらう側にはなりますが。
教える側には改めて認識を再確認できること、何より教えた内容の目的や理由を伝えることを忘れないように気を付けていました。
仕事は遅かれ早かれ少しづつ捉え方が変わってくると思います。その仕事が単に「作業」のみの認識になってしまうと
「これ、何のためにやっていたんだっけ?どんなことに影響するんだっけ?...」
そしてこの捉え方は「様々な環境の始まりから遠くない期間」のうちに頭の隅にあると、仕事の幅(できることが増えたとき)が広がった時にぶれない軸となっていくものだと思います。
教育のアプローチ方法
同じような経験が重なると新たな可能性があることの選択肢を考えなくなってしまうことがありました。
新人の方の素直に感じたことによる質問や意見ほど安易に扱ってはいけない
お世話になった先輩たちから教わったことと、自身もそのようにアプローチしていただいて納得のできるものがありました。
それは山本五十六の
「やってみせ言って聞かせてさせてみせ、誉めてやらねば人は動かじ」
という格言です。抜粋内容なので格言のまだ続きはあります。
アプローチの段階としては
①「やって見せ」
→まずはお手本として教える側が行う。
②「言って聞かせてさせてみせ」
→どういうことなのか説明をする。言葉・身振り手振り・資料・まどの材料があればすべて。
③「誉めてやらねば人は動かじ」
→取り組んだこと自体(できた・できていないの前段階)をほめる認める。
この流れをすることで成長したりする。
上記のような一例のモットーをもって仕事に取り組むようになりました。
自分なりの形で表現できるようになった時に、格言などの意味を少なからず理解できたのかなと思い、28歳頃、やっと自分にとって軸になることを見つけられたと当時感じていました。
退職と転職
33歳の時。細かい理由はいろいろあるのですが。
①家族との時間をもっと大切にしたいという思い。
②業務そのもの自体がどんどん電子機器やインターネットを利用していくものに変わっていき、日常生活ににおいても変化が激しいことにものごとに無頓着(特にIT・情報通信関係)な私でも感じていました。
業務でも、日常生活でも便利だな~と感じながら、「どういう仕組みでできているんだろう?」という興味が強くなっていきました。
パソコンは何か調べるときに使う、携帯電話、スマホもほぼ同様に電話とメールのみ。WiFiとは何(ウィーフィーと読むのかな)?
そのくらいの捉え方、レベル感でした。
大きく①と②の理由から転職することを決意しました。
まとめ
この記事では、IT業界に転職した今に至るまでの経験や私個人の大事にしていること、軸をまとめようとして作りました。
私の価値観、考え方が人によってはそうではないと捉えることもあるかと思います。
気を付けていても、軸として捉えていても状況・感情によっていつもできているわけでもないです。考えや捉え方を知ること自体にも価値があると思います。
こういった考えの人もいるという、独り言の記事だなぁくらいの気持ちで読み終えてくださると幸いです。
次回は構成の後半、退職してからの経緯や自己分析をどのようにして行ったなども含めてお伝えできる記事を作ろうかと考えています。
ここまで読んでくださりありがとうございます。