Wikipedia日本語版の記事を作成するとき、一次資料検索にジャパンサーチが使えそうだと思ったので、実際に使ってみました。
ジャパンサーチとは?リンク
以下、その記録です。
#ジャパンサーチBETAをつかってみる
1.Wikipedia Town 前日
2019年12月8日 Wikipedia Town 函南 の編集対象は「かんなみ仏の里美術館」である。
かんなみ仏の里美術館函南町ホームページを閲覧したところ、長源寺境内の薬師堂が施設の前身にあたることがわかった。
そこで、長源寺の資料を検索し、二次資料を入手した。
その資料が『増訂豆州志稿』を出典として記述されていたので、ジャパンサーチで検索したところ、本文が公開されていたのは、国立国会図書館デジタルコレクションと国立公文書館デジタルアーカイブだった。
国立公文書館デジタルアーカイブの方が、書誌事項が見やすかったので、こちらを閲覧する。
本文を閲覧していて、高原寺・新光寺・長楽寺と沿革が重なるところは二次資料の記述と相違ないが、二次資料の記述は史実と伝承の区分が曖昧なことに気付く。
二次資料は『増訂豆州志稿』のほかに『筥根山縁起』も出典に用いられているので、『筥根山縁起』も読み、検証する必要がある。
同時期に書かれた他の文書と、史実内容を照合した方が良いかも知れない。
時間が足りないので、長源寺についてはスタブ記事としての作成を提案しようと思う。
2.Wikipedia Town 当日
日程
09:40−10:15 ウィキペディアについて説明
10:30-11:45 編集対象を見学(取材)に行く
かんなみ仏の里美術館〜長源寺・桑原薬師堂
11:45-13:00 お昼ご飯
13:00-13:20 編集方法の確認
13:20-16:30 執筆
16:30-17:00 成果発表
かんなみ仏の里美術館、展示物に関わるキャプションに『筥根山縁起』(巻物)が引用されていることがわかった。『筥根山縁起』は『群書類従』に収録されている文書である。
13:00-13:20 長源寺の記事作成を提案する。提案が通ったので、筆者は歴史節を書くことにした。
二次資料に『筥根山縁起』の現代語解釈が書かれているが、史実と伝承を整理しないまま書きたくないので、参考程度にする。一次資料の漢文を元に、自分なりに概要を記すに留めた。
iPhoneから桑原西国三十三所霊場の画像(ファイル数=8)をコモンズに上げている途中で、成果発表の順番が回ってきた。アップロードを気にしながら、成果発表をする。
解散後、帰宅。コモンズの入力項目を修正し、ギャラリーに追加する。
3.Wikipedia Town 翌日
ジャパンサーチで『筥根山縁起』を検索する。
【国立公文書館デジタルアーカイブ『筥根山縁起』件名・細目詳細】
【国立国会図書館デジタルコレクション『筥根山縁起』書誌情報】
国立公文書館デジタルアーカイブ、国立国会図書館デジタルコレクション、どちらも本文が公開されていて、書誌事項が見やすくなっている。
そこで、Wikipedia日本語版の記事で参考文献として掲載するとき、マークアップが簡単な方を選んだ。
国立国会図書館デジタルコレクション『筥根山縁起』の書誌情報は、DOIとIIIFマニフェストURIが明記されており、こちらを採用した方が、将来的には良い気もするが。
さしあたって、国立公文書館デジタルアーカイブ『筥根山縁起』を採用。長源寺の参考文献節に入力した。
また、同じく国立公文書館デジタルアーカイブ『増訂豆州志稿』も長源寺の参考文献節に入力した。
マークアップ(暫定)は、以下の通り。
*{{cite book|和書
|editor = 塙保己一
|title = 筥根山縁起
|volume = 群書類従29
|year = 1820
|web|url= https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M1000000000000058299.html 国立公文書館デジタルアーカイブ
|accessdate=2019.12.09
|ref={{sfnref|群書類従|1820}}
}}
*{{cite book|和書
|editor = 秋山章(選者)萩原正平(補訂者)
|title = 増訂豆州志稿
|year = 1888-1891
|web|url= https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/F1000000000000002885.html 国立公文書館デジタルアーカイブ
|accessdate=2019.12.09
|ref={{sfnref|増訂豆州志稿|1888-1891}}
}}
ところで。
『群書解題』によると、『筥根山縁起』(『筥根山縁起 并序』)は箱根神社の縁起であり、二本の古写本が伝えられているという。奥書に建久二年七月廿五日とあり原本は鎌倉時代初期、写本は室町時代の書写と考えられている。『源平盛衰記』『吾妻鏡』などと内容を照合すると、矛盾する点があるという。
かんなみ仏の里美術館のキャプションに引用されていたのは、新光寺について書かれた部分であり、そこは問題ないと判断して良いのだろうか。
公開された一次資料の本文を読んでいると、史料としての評価が気になってしまう。『筥根山縁起 并序』について、CiNiiで論文を検索し、公開されている論文を読んだ限りでは、訝しい。
デジタル資料のマークアップについて
以前、機関リポジトリで公開されている論文については、DOIを記述したことがある。
{{Cite journal|和書
|author = 坂口満宏
|year = 1985
|title = 国際協調型平和運動:『大日本平和協会』の活動とその史的位置
|journal = キリスト教社会問題研究
|volume = 33
|pages = 115-142
|publisher = 同志社大学キリスト教社会問題研究会
|doi = 10.14988/pa.2017.0000008379
|ref = harv
}}
国立国会図書館デジタルコレクション書誌情報DOIも、上記のような記述で良いだろうか。Wikipedia日本語版のノートで意見を出す勇気がないので、ここに書いておく。
###ウィキデータの説明欄を更新する
Wikipedia Town 当日、ウィキデータに長源寺のデータを入力してくれた方がいた。ありがたい。
筆者は、@higa4さんの記事を参考に iOS版ウィキペディアアプリから、説明欄を更新してみた。楽。
これまで加筆した記事で、ウィキデータの説明欄に空欄を見つけたら、入力していこうと思う。