2023年秋アニメで評価の高いアニメ「葬送のフリーレン」
今年で45歳なのですが、未だにアニメをみているとは思いませんでした。
子どもの頃は、アニメは子どもだけが見るものだと心のどこかで思っていました。
でも、面白いものは年齢関係なく、面白いし、観てしまう。
ゲームも同じですね。
さて、2023年の秋アニメでかなり前評判が高かったのがタイトルに名前を出した「葬送のフリーレン」。
漫画がかなりおもしろいらしく、アニメが始まる前に、知り合いの漫画好きのエンジニア仲間に教えてもらいました。
個人的に、RPGや異世界物が少し飽きてきてしまったので、おすすめされなかったら観てなかったかもしれないです。おすすめされたらできるだけ見るというスタンスなので、何気なく観ました。
アニメ好きの間ではかなり前評判が高かったのは、あとで知りました。
2クールも連続でするので制作側もそれだけおもしろいと確信していたのでしょうか。
画、音楽、脚本、声、どれをとっても丁寧につくってあり、子どもがみてもいいけど、大人がみても十分心に響くアニメだなと個人的には思っています。
そんなフリーレンをみていて、「あ、なんかプログラマーとリンクするところがあるなあ」と思った話がありました。
生業のための技術
この話の主人公は、エルフの魔法使いのフリーレン。前傾のサイトのOGP画像にでている女の人ですね。(あえて、女の子とは表現しない)
フリーレンは魔法使いとして、魔王を倒す勇者一行と旅をします。そして、最終的に魔王を倒します。
この話は、魔王を倒したあとを描いた作品になります。
魔王を倒して城に凱旋したあと、フリーレンは、勇者一行と別れ、世界中の魔法を探して旅をします。なぜ、魔法を探すのかというと趣味だそうです(私はアニメしかみてないので、本当の理由があるかはしらないですが、あってもネタバレになるので書かないと思います)。
ところで、フリーレンは、エルフであり人間よりも長く生きるという設定で、1,000歳以上だと思われます。
エルフは人間よりも長く生きるという設定が、この話を面白くさせる一つの要素になっています。生死を哲学的に考えるきっかけを与えてくれます。
フリーレンは勇者と別れてから、何十年も魔法を収集する旅をします。
そして、70年経ったあるとき、仲間の僧侶であるハイターのところを買い出しのついでに訪れます。
(ここまでの間にこの話の一つの山場がありますが、それは漫画やアニメで観てください)
ハイターは、70年も経っているので老人になっています。
大好きだったお酒も止め、もうそれほど長くないことを悟っています。
彼は、戦災孤児である幼女のフェルンを世話をしていました。フェルンは、自立して生活できるために、魔法を 教えてもらっていました。
ハイターは、フリーレンにフェルンの魔法の師匠となるよう依頼します。すんなりとフリーレンはそれを引き受けないのですが、最終的にフェルンはフリーレンの弟子になります。
そして、フリーレンがこのフェルンと出会ったシーンが、前述したプログラマーの話と似てるなあと思ったところです。
この話の中では、魔法は生きていくための一つの技術です。みんなが魔法を使えるわけではなく、選択してこの技術を身に着けます。
そして、私達プログラマーは、「プログラミング」という魔法を使って仕事をしています。
プログラマーは技術に興味がなくてできるが...
少し前に、以下の記事にあるような、「プログラマーの技術への興味・接し方」 について、QiitaやXで話題になっていました。
プログラマーの技術興味の話については、いろんな論点があると思います。休日を潰してまで技術の情報を集めたり、何かを作ったりしないと、プログラマーとして仕事ができない、向いていないのかというのが一つの論点だと思います。
個人的には、上の記事の趣旨には同意します。別に、三度の飯より技術が好きである必要はなく、必要なことを業務時間内に身に着けてこなせるなら問題ないと思います。
ただ、少しだけひっかかるものがありました。最初は、それを言語化できず、なんとなく悶々としていました。
そんなことを考えていた折に、「葬送のフリーレン」の第2話をみて、そのときの言語化できなかったことが少し表現できる感じがしました。
別に魔法じゃなくたって
「葬送のフリーレン」の第2話「別に魔法じゃなくたって」という話が、前述のプログラマーの技術興味話に通じるものがあると思いました。
この回のなかで次のようなシーンがあります。
フェルンからみたら意味のない魔法を探し続けるフリーレン。
フェルンは効率主義者のような性格なので、自分が無意味と思うことに時間をかけるフリーレンのことが理解できません。
フェルンはフリーレンにこう言います。
フェルン:「なんで、そんなに魔法に一生懸命に...理解できません」
フリーレンは、それを受けてこう返します。
フリーレン:「分かるはずだよ。フェルンだって、魔法使いになることを諦めなかった」
フェルンは、自分が魔法を使っている理由がフリーレンの思っているものとは違うと反論します。
フェルン:「それは違います。私は、1人で生きていける力さえ手に入れば、なんでもよかったのです。別に魔法じゃなくたって。
生活できるなら魔法以外でもよいというフェルンに、こう言います。
フリーレン:「でも...魔法を選んだ」
フェルン:「あ...」
このフリーレンとフェルンの会話の「魔法」を「プログラム」に置き換えると、プログラマーの技術興味、そして、それを生業としていることへの一つの在り方がみえる気がしました。
プログラミングを選んだ、そして、続けていること
プログラマーは、好事家のように技術に興味がなくても仕事ができることは疑いがありません。
でも、職業選択の自由があり、強制されるわけではないのに、プログラマーをしている。
そこには、他のことを選ばなかった、そして、プログラミングにしかない理由があるのではないでしょうか?
それは、人それぞれなので回答は一つではないと思います。
私は、これまで何十人とこの業界の関係者、プログラマーをしている人と会ってきました。
そして、この業界を去っていく人も何人も見てきました。
この業界を去る人の中には、とても優秀なプログラマーの人もいました。
個人的には、「勿体ないなあ」と思うような人でした。
その人は、「自分にはこの業界は向いてないと思う」と言っていました。傍からみれば、よくできているのに、主観的には向いてないという人もいるんだと思ったことがあります。
その人は、プログラム以上にやりたいことがあり、別の業界に行きました。
翻って、辞めずに続けているというのは、積極的な続ける動機がないにしても、嫌だからそこをさるほどのものは感じていないのだと思います。たとえ、それが蜘蛛の糸のようにほんの少しの理由であったとしても。もし、それ以上にやりたいこと、やりたくない理由があれば、すでに辞めていると思います。
「技術興味」というのは、 動機 の問題であり、 適正 とはまた違うと思います。
技術への興味がなくても、適正がある人はいます。プログラミングは今や、コードを打つだけの事務職といえなくもありません。
逆に、適性がなくても「やりたい!」という動機をもっていてプログラマーをしている人もいるし、それもありだと思います。
動機や適正、どちらがないとだめだというわけではないですが、他ならぬ、プログラマーを選んでいるのには、それなりの 関心 はもっているのではないのかなという気はします。
そして、仕事を通してプログラマーとしての、 こだわり や 誇り 、ユーザーさんからの感謝をうけたときの 喜び もあります。
アニメの第10話で、フリーレンの師匠が自分が魔法を身につけたきっかけを話します。
この話をみていて、自分はなんでプログラマー始めたんだろうと思い返したりもしました。私は、単順にPC作業がめんどくさかったので、プログラムをはじめました。
そして、それで初めて処理が簡単にできたときの喜びは今でも覚えています。今でも、そうした喜びを感じることはあります。もちろん、嫌なことだっていっぱいありますが、他ではないこのプログラマーという仕事が好きなんだと思いました。
技術興味がないことへの反論とかではなく、好事家のような興味をもたないにしても、みんなプログラマーを始めることになったきっかけ、そして、続けている理由がいろいろあるのではないかと思います。
そんなことを「葬送のフリーレン」をみて感じました。