競争戦略の基本理論
目次
- はじめに:戦略とストーリー
- 競争戦略と全社戦略の明確な区分
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業界の競争構造と利益の源泉
- 3.1 ハワイか北極か:業界構造の影響
- 3.2 ファイブフォースによる競争構造の理解
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「違い」をつくる:競争優位の本質
- 4.1 「違い」には「違い」がある
- 4.2 「種類」の「違い」と「程度」の「違い」
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SP(Strategic Positioning):シェフのレシピ
- 5.1 ポジショニングと競争優位
- 5.2 トレードオフの重要性
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OC(Organizational Capability):厨房の中
- 6.1 組織能力と経営資源
- 6.2 なぜ、マネできないのか:組織能力の模倣困難性
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SPとOCの関係:競争優位への道筋
- 7.1 SP・OCマトリックス
- 7.2 現実の戦略:SPとOCの組み合わせ
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ケーススタディ分析
- 8.1 トヨタの製品開発能力
- 8.2 フォードとマツダの戦略比較
- 8.3 フィリップスの半導体部門と韓国企業との競争
- 8.4 日本の電機産業とOC先行型の特徴
- パスワードの功罪:戦略論における言葉の役割
- まとめ:戦略とは単なる「目標設定」ではない
はじめに:戦略とストーリー
今日のビジネス環境において、単に「戦略」という言葉を使うだけでは不十分です。真に効果的な競争戦略は、単なるアクションリストやテンプレートではなく、一貫した「ストーリー」として理解される必要があります。本記事では、競争戦略の基本理論を体系的に紹介し、なぜ戦略が「ストーリー」として機能するのかを解説します。
核心メッセージ:
- 優れた戦略は「ストーリー」を持っている
- 戦略のストーリーは単なる目標や数字ではなく、因果関係で結ばれた「流れ」と「動き」を持つ
- 戦略を理解するには、業界構造、ポジショニング、組織能力の関係性を把握することが不可欠
競争戦略と全社戦略の明確な区分
戦略を論じる際に、まず明確にすべきは「競争戦略」と「全社戦略」の区別です。これは戦略を考える上での「二つのレベル」とも言えます。
競争戦略(Competitive Strategy) は特定の事業や業界内での競い方に関するものです。例えば、特定の製品市場でどのように差別化するか、どのように顧客価値を提供するかといった戦略です。
全社戦略(Corporate Strategy) は複数事業を展開する企業全体の戦略であり、どの事業分野に進出し、どの事業分野から撤退するか、事業ポートフォリオをどう構成するかに関するものです。
例: GEのジャック・ウェルチCEOは、全社戦略の例として、個々の事業への参入や撤退を決定するという役割を担っていました。一方、各事業部門の責任者は、その特定事業内での競争戦略を担当していました。
核心メッセージ:
- 競争戦略は「どう勝つか」に焦点
- 全社戦略は「どこで戦うか」に焦点
- 両者は区別して考えるべき異なるレベルの戦略
業界の競争構造と利益の源泉
競争戦略を理解する上で重要なのは、「利益の源泉は何か」という問いです。業界の競争構造は、利益を生み出す重要な源泉の一つです。
ハワイか北極か:業界構造の影響
業界によって利益を出しやすい構造と出しにくい構造があります。これは「ハワイか北極か」という例えで説明できます。ハワイのような快適な環境(競争圧力が弱い業界)では比較的容易に利益を上げられますが、北極のような厳しい環境(競争圧力が強い業界)では利益を上げることが難しくなります。
例:
- タバコ産業の関係者は5%の利益率でも「びっくり仰天」(利益率が高い業界)
- PC業界は営業利益率がマイナスという「破滅的状況」(利益率が低い業界)
ファイブフォースによる競争構造の理解
マイケル・ポーターの「ファイブフォース」は、業界の競争構造を分析する有効なフレームワークです。五つの競争圧力が弱い業界は「五つ星業界」と呼ばれ、利益を出しやすい構造となっています。
核心メッセージ:
- 業界構造そのものが利益の重要な源泉
- 競争圧力が弱い業界は本質的に利益を出しやすい
- しかし業界構造だけでは持続的な競争優位は説明できない
「違い」をつくる:競争優位の本質
競争戦略の根本原理は「違いをつくる」ことです。完全競争状態では、余剰利潤はゼロになります。利益を生み出すためには、競合との間に「違い」を作り出す必要があります。
「違い」には「違い」がある
競争戦略を考える際、「違い」には二つの種類があることを理解する必要があります。
「種類」の「違い」と「程度」の「違い」
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「種類」の「違い」: 基本的な差別化を意味します。例えば、性別、年齢、職業のように、カテゴリーとして異なるものを指します。
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「程度」の「違い」: 「うまい」「まずい」や「多い」「少ない」のような程度の差を指します。身長、体重、髪の長さなど、同じカテゴリー内での量的な違いです。
競争戦略においては、この「種類」と「程度」の違いを使い分けることが重要です。「違い」を作り出す観点から、競争戦略は主に2つの視点で考えることができます:
- 「違いの中身」: 戦略的ポジショニング(SP)に関連
- 「違いのつくり方」: 組織能力(OC)に関連
核心メッセージ:
- 競争優位の源泉は「違い」を作ること
- 「違い」には「種類の違い」と「程度の違い」がある
- SPは「何をするか/しないか」という選択の問題
- OCは「どうやって違いを作るか」という実行の問題
SP(Strategic Positioning):シェフのレシピ
Strategic Positioning(SP)は「シェフのレシピ」に例えられます。どんな料理を作るか、どんな材料を使うか、どんな味付けにするかという選択に相当します。
ポジショニングと競争優位
ポジショニングとは、市場においてどのような位置取りをするかを決めることです。これは「何をやるか」だけでなく、特に「何をやらないか」という選択が重要です。
例: 松井証券は、明確なポジショニングによって差別化に成功しました。彼らはネット取引に特化するという選択をし、他の証券会社がやっていることの一部を「やらない」という決断をしました。
トレードオフの重要性
戦略においてトレードオフは不可欠です。あるものを選択すれば、別のものを諦める必要があります。このトレードオフこそが、競争優位の源泉となります。
核心メッセージ:
- SPは「シェフのレシピ」のように、何を提供するかの設計図
- 明確なポジショニングには「何をやらないか」の決断が不可欠
- トレードオフを受け入れることで、模倣されにくい競争優位が生まれる
OC(Organizational Capability):厨房の中
Organizational Capability(OC)は「厨房の中」に例えられます。これは、実際に料理を作る能力、技術、ルーティン、経験を指します。
組織能力と経営資源
OCは、組織内部に蓄積された経営資源(カネ、ヒト、モノ、情報、知識、経験)を基盤としています。これらの経営資源をどのように活用し、組み合わせるかによって、独自の組織能力が育まれます。
例:
- Seven-ElevenJapanの仮説検証型発注システム
- トヨタのカンバン方式やJIT(Just-In-Time)生産方式
なぜ、マネできないのか:組織能力の模倣困難性
OCの大きな特徴は、競合他社が簡単に模倣できないことです。これには以下の理由があります:
- 時間をかけて蓄積されるもの: OCは長い時間をかけて開発・蓄積されます
- 組み込まれたルーティン: 日々の業務に深く埋め込まれています
- 因果関係の不明確さ: 外部からは成功の要因が見えにくい
例: トヨタの製品開発能力は長年にわたって築かれた組織ルーティンに基づいています。欧米企業が3次元CADの導入を急いだのに対し、トヨタは開発部門の「多能工化」や「重量級PM」といった組織能力の構築に注力しました。
核心メッセージ:
- OCは「厨房の中」のように、実際に戦略を実行する内部能力
- 経営資源の蓄積と組織ルーティンの開発が基盤
- 長い時間をかけて構築され、外部からは因果関係が見えにくいため模倣が困難
SPとOCの関係:競争優位への道筋
競争優位を築くためには、SPとOCの両方が重要です。現実の戦略は、SPとOCの組み合わせであるのが普通です。
SP・OCマトリックス
SP(明確さ)とOC(強さ)の2軸でマトリックスを作ると、企業の戦略状態を分析できます。
現実の戦略:SPとOCの組み合わせ
現実の戦略は、SPとOCの組み合わせであり、多くの場合どちらかに偏りがあります:
- SP先行型: 戦略的なポジショニングを重視する傾向(例:アメリカのギャップ)
- OC先行型: 組織能力の構築を重視する傾向(例:日本の電機産業)
例: イチロー選手の競争優位は、SP(野球選手になる、メジャーリーグに行く、外野手に特化するなどの選択)とOC(独自のトレーニングルーティン、バッティング技術、精神力など)の両方から構成されています。
核心メッセージ:
- 持続的な競争優位はSPとOCの効果的な組み合わせから生まれる
- 企業はしばしばSPかOCのどちらかに偏りを持つ
- 最も強い競争優位は、明確なSPと強力なOCを兼ね備えた状態から生まれる
ケーススタディ分析
トヨタの製品開発能力
トヨタの製品開発能力は、優れたOCの典型例です。TPSやカンバン方式といった要素は知られていますが、その「やり方」や「ルーティン」は長年の蓄積によって形成されたもので、簡単には模倣できません。
核心メッセージ:
- トヨタの強さは明確なSPと強力なOCの組み合わせ
- 製品開発能力は、単純に3次元CADなどの技術導入だけでなく、組織的な能力の蓄積から生まれている
- この組織能力は長期間かけて構築されたため、模倣が非常に困難
フォードとマツダの戦略比較
フォードとマツダの関係は、SPとOCの異なるアプローチを示す好例です。
- フォード: SPバイアスが強く、戦略的なポジショニングを重視
- マツダ: OCの強化が必要な状況にあり、「五チャンネル戦略」の失敗を経験
核心メッセージ:
- 異なる企業文化はしばしばSPかOCへの異なる傾斜を持つ
- 欧米企業はSP先行型、日本企業はOC先行型の傾向がある
- 戦略的な成功には、この両者のバランスが重要
フィリップスの半導体部門と韓国企業との競争
フィリップスのAV事業は、2002年に製造からの撤退を決断しました。これは組織能力(OC)の弱体化と、韓国企業(Samsung、LG電子)の台頭という背景がありました。
- フィリップス: クライステリーCEOの下、マーケティング重視のSP戦略を追求
- 韓国企業: 大型液晶パネル市場で徹底的に力をつけ、シェアを拡大
核心メッセージ:
- OCが弱体化すると、回復は非常に困難になる
- 内部の組織構造や取引関係が非効率だと、競争力が失われる
- 強力なOCを構築した競合(韓国企業)に対抗するには、明確なSPとOCの強化が必要
日本の電機産業とOC先行型の特徴
日本の電機産業は歴史的にOCバイアス(OC先行型)の特徴を持っていました。これは強みであると同時に、SPの明確さが欠如するリスクも伴います。
核心メッセージ:
- 日本の電機産業はOC先行型の特徴を持つ
- 強みは技術力や製造能力などの「厨房」の強さ
- 課題は明確なSP(「レシピ」)の欠如
- 回復の道筋はOCの強みを活かしつつ、明確なSPを構築すること
パスワードの功罪:戦略論における言葉の役割
戦略論においては、流行りの「パスワード」(buzzwords)が多用されます。これには長所と短所があります。
パスワードの例:
- メガコンペティション
- ディスインターメディエーション
- コンピテンシー
- クラウドコンピューティング
- コアコンピタンス
- ハイパーコンペティション
核心メッセージ:
- 流行の言葉に頼るだけでは戦略にならない
- パスワードの使用は思考の停止につながるリスクがある
- 真の戦略理解には、言葉の背後にある概念の深い理解が必要
まとめ:戦略とは単なる「目標設定」ではない
真の競争戦略は、単なるアクションリストや目標設定ではありません。それは因果関係で結ばれたストーリーであり、SPとOCの両方を組み合わせたものです。
「戦略でないもの」の例:
- 目標を設定すること
- アクションリストを作ること
- 「行ってこい!やってみせろ!」式の指示
- 流行のパスワードを使うこと
核心メッセージ:
- 競争戦略は単なる目標や数字ではなく、「ストーリー」として理解すべき
- 業界の競争構造を理解し、明確なSPと強力なOCを構築することが重要
- 戦略のストーリーは、「違い」を作り出し、持続的な競争優位につながる
- それを通じて、持続的な利益を生み出すことが競争戦略の究極の目的
本記事は、「競争戦略としてのストーリー」の第二章「競争戦略の基本理論」の内容を体系的に整理したものです。この章で紹介された基本概念は、優れた戦略を「ストーリー」として理解するための基盤となります。次回は、これらの概念がどのように実際のビジネスケースに適用されるかを詳しく見ていきます。