高校で物理を選択すると、大体3回目くらいの授業で黒板に書かれる謎の式 ma=F 。これは受験で必ず使う重要な公式とだけ言われたのを覚えている。
時が進み、受験を意識するようになるとネットで評判の良かった物理の参考書をテキトーに買って読み、解法を身につけ、そして受験を終えた。高校物理がお世辞にも面白いとは感じなかったものの、いわゆる本場の『物理学』というものに憧れを抱いていたのと、物理学を学んでいるという自分に酔いしれたいという単純な理由で物理学科に入学した。理工系の学問を専攻すると、大体の人は1年生の必修で力学や数学の基本的なものから始めていくだろう。筆者も力学、微積、線形代数をまず最初に学んだものである。
力学の教科書を読み進めていくと、高校物理がただの算数パズルだったのだと気付かされる。
そもそも物理学とは、現実の自然界の複雑な世界によく似た『世界』を、数学を用いて表して、その『世界』のなかで物質などの動きを考えるものであるということを踏まえると、高校物理で考える『世界』は現実世界と比べて、非常に解像度が低いのである。1年生で学ぶ力学では、より解像度が高い『世界』をより高度な数学を使って表している。世の中の事象が、たいていこの力学で説明できるということは、現実世界と力学の『世界』がかなり近似的であろうことは何となく理解できる。
ただこの力学にも弱点がある。とてつもない小さな世界を考えると誤差が生じてしまう。つまり、現実世界と力学の『世界』の解像度が、ミクロの世界になると落ちてしまうことになる。ここでより解像度の高い『世界』を考え出すために生まれたのが、古典力学と対をなす量子力学の創設となる。この量子力学の『世界』では、今までの力学では解像度が低くて表すことのできなかった事象を説明できるようになる。つまり物理を発展させるということは、現実世界により似た『世界』を表現することであると考える。
その点、高校物理ではかなり単純なルールのみで構成された『世界』での動きを学ぶ。このことに高校生の時に気付けなかった。なぜ質点は運動方程式に従って動くのかなどを考えたりをして、本質を見誤っていたのである。そもそも、昔の先人が、現実の世界での物質の動きを観察した結果、何らかの『力』というものがあり、全ての物質にはその特定の量(=質量)が存在し、力が働くと物質を加速させるという『世界』を考えた時、周りの現象をかなり精度良く説明ができるということを発見し、そのルールを数式で表したものが運動方程式であり、高校風に書くと ma=F ということである。
勉強を進めていくと現実世界で長らく生きていたせいか、高校物理の『世界』に違和感を覚え、何となく腑に落ちないことが多々あった。例えば、摩擦がない滑らかな表面上の物質の動きである。摩擦がない床の上に置かれた物質の上に、置かれた物質(この物質の上部には摩擦が存在する)を動かした時、この下の物質の挙動を問う問題である。現実世界で生きてきた自分にとって、全く想像も付かず手が動かなかったのを覚えている。物理は実証科学ならば、実際に仮想実験をしてみようと脳内で考えても、解が出なかった。
それもそのはず、実際の世界とは区別した『世界』での動きを高校物理では取り扱っていたからである。高校物理を苦手、もしくは面白くないと感じる人間(自分を含めて)がいたならば、おそらく高校物理を難しく考えすぎているのかもしれない。そもそも高校物理で考えている『世界』は現実世界の複雑なものを排除した簡易的なものであるということ。その中で、何個かの特徴的なルールに基づいて動く物質を考えてみようねという学問が高校物理である。改めて高校物理を思い出してもあまり好きになれない科目であることは間違いない。でも『物理』は面白い。