挨拶
Salve1! Physics Lab. 2025 量子班長のNorthbyです。統括によるPhysics Lab.の紹介、副統括による学科紹介に続き、今日から1週間、各班長が班紹介記事を投稿していきます。まずは 量子班 の紹介です。
量子班が扱うトピック
量子班はその名の通り 量子物理学 をテーマとする班です。量子物理学の範疇にある理論は 量子論 と呼ばれ、これは特に微視的スケールの物理を捉えるために必須となります2。物理学者の中で量子論を「物理学を支える大きな土台の1つ」と呼ぶことに抵抗を覚える人はほとんどいないことでしょう。
いろいろな方に読まれることを想定 (というか希求) し、「高校物理の力学 (ニュートン力学) なら分かる」というレベルの読者にも理解してもらえるように量子論を解説したいと思います3。噛み砕いた結果、少なからず厳密さは損なわれているのでご容赦を。
量子論とは
20世紀前半に物理学は転機を迎えていました。そこで起きていたのは大きく分けて2つの変革であり、1つが「光を伝える物質を想定することの困難」を端緒とする 相対論 の誕生、そしてもう1つが「粒子 / 波動 というカテゴリーの瓦解」を端緒とする 量子論 の誕生です。
紹介したいのは量子論の方ですが、構造を掴んでおいてもらいたいので少しだけ相対論の話をします。相対論というと世間一般では「時間が遅れる」、「空間が歪む」といった側面が有名かもしれません。しかし、物理の大きな枠組みにとって特に重要だったのは「座標系 (≒ 視点) を変えても法則は同じ」という新たなルール 共変性原理 を導入したことであり、どのくらい一般的な座標変換を想定するかによって 特殊 共変性原理と 一般 共変性原理の2段階に分かれています。現代の物理学では量子論と、量子論以前の 古典論 (ニュートン力学など) のそれぞれに対して、共変性原理を取り入れないか、特殊〜まで導入するか、さらに広げて一般〜まで採用するかにより2種類 × 3段階の理論が考えられるようになったのです4。もっとも、量子論 × 一般相対論 の理論は未完成なのですけれど。
さて、本題の量子論の解説に入りましょう。物理学ではいろいろな量を考えます。ニュートン力学では位置、運動量、エネルギーなどは全てはっきりとした値を持っていて、「対象の物理的な状態を把握した」というのはそれら物理量の値を全部明らかにしたということに他なりませんが、ここには 物理量の値は全て定まる という暗黙の仮定が隠れています。この日常経験的には当然に感じられる仮定を棄却し、「 物理量の値は測定のたびに変わり得て、値がどのような確率で得られるかしか決定できない 」と見做す5ことが量子論の特徴の1つです。一部の物理量に限って偶然 値が定まっているケースならありえるものの、どうあれ必ず何かしらの物理量の値はゆらいでしまうということが物理学の枠組みに組み込まれたのです。
ニュートン力学の基礎方程式は、$m,t,\vec{x},\vec{f}$をそれぞれ質量、時間、位置、力として
m\frac{d^2\vec{x}}{dt^2}=\vec{f}
と書き表される運動方程式ですが、そもそも物理量に値が対応していなければ「位置の2階微分」という表現も「〜が力に等しい」という主張も意味を成しません。よって量子論では定式化の発想を根本から改める必要があります。同じ状態でも測定のたびに物理量の値が変わってしまって確率分布しか定まらないのなら、 物理量 = 値 と考えること (例えば上記の運動方程式でやっていることです) をやめて 物理量 = 状態に応じて確率分布を与えるもの と考えるべきなのではないでしょうか? こうして状態と物理量と測定値を分離することで量子論の定式化が実現されます。
量子論の中で最も素朴な 量子論 × 共変性原理なし の理論である 量子力学 の演算子形式6では、状態が抽象的なベクトル$\psi$で、物理量が演算子 (ベクトルを入力するとベクトルを出力する"関数") で表されます。そして時間経過で状態がどう変化していくかを表す方程式は、エネルギーを表す演算子を$\hat{H}$として
i\hbar\frac{\partial \psi}{\partial t}=\hat{H}(\psi)
と書き表されるシュレディンガー方程式です。左辺の$i\hbar$はとある定数、$\frac{\partial}{\partial t}$は微分のようなもの、右辺の$\hat{H}(\psi)$は演算子$\hat{H}$に状態$\psi$を入力したものだと捉えてください。$\hat{H}$の働きを説明していないのでイマイチ意味のはっきりしない方程式に感じられるかもですが「まあ、状態の変化率を述べた方程式なのだろうなぁ……」くらいに思っていただけたらと。物理量の値の変化を述べた運動方程式とは対照的に、シュレディンガー方程式は物理量や測定値とは概念的に区別された状態の変化を述べており、これによって気になる時刻の状態を得た上で、物理量と組み合わせて少々の手続き (割愛) を踏めば測定値の確率分布が得られるようになっているのです。
シュレディンガー方程式を見るに、状態の変化の仕方はあらかじめ決まっていそうです。しかしこれが全てではなく、状態の変化の仕方はもう1つあります。これもまた量子論の特徴の1つで、 ひとたび測定をすると得られた測定値に応じて状態が変化するのです7。得られる測定値は確率的なものですから、これはつまり状態が確率的に変化することを意味しています。あらかじめ決まっているわけではない変化の仕方を含む理論ということで量子論は 非決定論 であると言われます。
このように量子論は、古典論に比べると随分 様子の異なる理論です。私たちが日常的に経験する世界では「古典論にはない量子論だからこその振る舞い」が埋もれてしまうせいで (おかげで) 物理を捉えるには古典論で十分なことがほとんどですが、言い方を変えれば、我々にとって量子論は非自明さに満ちていて 至極 基礎的な概念さえも慎重に検討しなければ使いこなせない ということでもあります。そういうわけで物理学界にとっては量子論の基礎の深掘り (ここでは量子基礎論と呼びましょう) も大きな関心事となっています。
分野紹介
量子論にどのような分野があるのか、ざっと見ていきましょう。
量子力学
量子論も最も素朴な分野で、古典論 × 共変性原理なし の力学が考察対象としていたもの8を量子論で扱います。ミクロな世界で見出される粒子 / 波動の二重性 (量子論の説明の中でフレーズだけ出した「粒子 / 波動 というカテゴリーの瓦解」のこと) を説明づけるべく電子を念頭に編み出されたものであり、大雑把なコンセプトは先に述べた通りです。
相対論的量子力学
1つの電子を念頭に、特殊共変性原理に従うよう量子力学の理論を修正したものです。(高校理科に半端に登場して大学受験生の悩みの種になっているかもしれない) スピンを自然に導入できるなどの素晴らしさがある一方、エネルギーの下限の問題や多粒子の扱い方の問題を克服するには 場の量子論 に進まねばならず、あくまでも「過渡期の理論」の立ち位置にあります。(私の周囲では) 場の量子論の教科書で相対論的量子力学も勉強してしまうというパターンが多いので、相対論的量子力学だけをテーマにした教科書を読んでいる人を見かけると少し珍しく思ったりします。
場の量子論
量子論導入の動機であった粒子 / 波動の二重性について、量子力学は半端な解決で止まっており、(古典的に) 粒子的・波動的なものを真に対等に扱うには至っていません。この問題を解決しつつ特殊相対論と量子論の融合を果たすのが場の量子論です (量子論 × 特殊共変性原理)。場を考えるということは無限自由度9を相手にするということであり、当然ながら有限自由度とは質的に異なる課題が立ち現れます。繰り込みという処方が活躍しますが、完全な数学的定式化はかなっていません。学年が進まないと講義が開かれないという事情もあり、場の量子論はPhysics Lab.ではメジャーなゼミ主題です。
量子基礎論
量子論の枠組み自体を深く検討する分野です。とりあえずの理論が構築できるからといって、その核心が理解できているとは限りません。古典論では自明なものと見過ごされていた測定や状態の意味、量子論と古典論の差異の源泉、不確定性関係やエンタングルメントの本質…… 物理学の「深淵」に関わるかもしれない基礎的議論は今なお続くものです。個人的な話をすると、量子論に対する私の興味の中心はこのような基礎論にあり、現在は量子測定に関するゼミに参加しています。
数学的に厳密な定式化の議論 (量子数理物理学) も基礎論の一種と見做してよいでしょう。量子力学は関数解析学のヒルベルト空間論10で定式化され、その延長にあるフォック空間が場の量子論に関わります。ヒルベルト空間を用いず、数式の代わりに図式を使って数学的構造を捉えるやり方11もあります。「量子数理物理学は量子班ではなく数理物理班の領分なのでは?」という説もあるとか。
量子論の応用
ここまでに挙げた分野の応用分野にも触れておきましょう。微視的スケールの記述に必要な量子論を、微視的スケールと巨視的スケールを繋ぐ統計力学と組み合わせて応用している一大分野が 物性物理学 で、大概は固体物理学を指しています。Physics Lab.ではしばしば統計物理班の領分と見做されますが。
巨視的スケールへ向かおうとする物性物理学とは反対に、微視的スケールを極めれば素粒子物理学の世界が広がっています。量子論と一般相対論の統一が目指されているのも素粒子物理学の領域での話です (超弦理論とかループ量子重力理論とか)。
量子基礎論の応用としての量子情報は、量子制御技術の発達の上に成り立つ まさに現代の研究分野と言えます。量子情報通信や量子計算が諸学問分野ひいては社会全体の可能性を広げる存在になっていくのかもしれません。
量子班の活動
最終的なゴールは五月祭での発表・展示で、それに向けて普段は自主ゼミで勉強するというのが活動内容となります…… が、実際はただ素直に今 学びたいことを学ぶためにゼミをやっていて、「五月祭の発表・展示内容は後から自然とついてくるんじゃない?」程度に私は思っています。興味ありきでやってこその学術的有志活動でしょうから、むしろこのような状態が健全とさえ言えるかもしれません12。
とはいえ、やるからには五月祭も良い出来にしたいものです。 物理学の土台の1つたる量子論の幅広さや奥深さを反映して、バラエティ豊富な発表・展示が揃い、その内容はもちろん、そこに私たちが見出している量子論の興味深さ (ひいては物理学の面白さ) が多くの人に届けばと思っています。
結び、そして雑談
以上、量子班の紹介でした。本記事に続き、明日以降に順次公開されていく他班の紹介も併せてお楽しみいただけましたら幸いです。
本記事執筆中に参照したわけではありませんが、私の量子論に対する理解の少なからぬ部分は 清水明『新版 量子論の基礎 その本質のやさしい理解のために』(サイエンス社, 2004) に負っています。実質的な参考文献として、ここにて言及しておくこととします。
せっかくなのでカジュアルな話題も、と思いつつあまり個人的すぎることを述べるのもいかがなものか…… ということで物理に関係ない趣味などはプロフィールに書きました。
物理関連の雑談をすると、暇つぶしになる物理学ゲームとして以前はQuantAttackに興じていたのですが、最近Quantum Tiq Taq Toe (量子三目並べ、と呼んではスペルに込められた遊び心を無視することになりますが) に出会い、すっかり鞍替えして非決定論 (とバグ) のままならなさを味わっています。
気が向いたらTiq Taq Toeの入門ガイドなり、趣味の話なりをアドカレ記事として書くかもしれません。あまり期待せずにお待ちください。さて、最後はこの挨拶で締めるべきでしょう。Arrivederci!
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イタリア語の挨拶です。時間帯に縛られず使用可能であり、フォーマルすぎずカジュアルすぎない挨拶なので、このような記事の書き出しにピッタリでしょう。「どうも。」は書き言葉として使うと少し無愛想ですし、「どうも!」はちょっと気安さが感じられるような…… 悩んだ結果、イタリア語になりました。 ↩
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巨視的スケールの物理も量子論に従うと考えられますが、スケールが大きいほど許容される誤差も大きくなる (例えば1 mmのスケールと向き合っているときに誤差1 μmの範囲で議論する姿勢と、1 mのスケールと向き合っているときに誤差1 mmの範囲内で議論する姿勢は同等です) ので、量子論に近い結果を与えるニュートン力学などの 古典論 (量子論以前に構成されていた理論のことで、量子論に比べると簡素だが誤差が大きい) の適用で大抵は事足ります。また、膨大な数の微視的な構成要素が集まってできているものを量子論で捉えようとすると「こんな方程式、コンピューターでも太刀打ちできないよ!」という困難に直面するので、量子論を離れて端から微視的な側面を相手にせず巨視的な振る舞いだけを捉える理論 (熱力学) もあります。 ↩
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なんて言いつつ、結局それほど易しい説明にはなっていないかもしれません。大学に入ったばかりの頃は高校以前の標準的カリキュラムを把握していない教員 (ないし先輩) の多さに驚いていましたが、そんな私も学部3年にもなると標準的カリキュラムがどんなだったか忘れてしまいました。物理学科という物理に慣れ親しんだ人間ばかりの環境にいることで、物理学を噛み砕いて話すときの加減がなおさら分からなくなっています。 ↩
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話の流れであたかも共変性原理ばかりが相対論の原理であるかのような言い回しになりましたが、特殊共変性原理は光速不変の原理と、一般共変性原理は等価原理とセットで、それぞれ特殊・一般相対論を構成しています。 ↩
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古典論でも雑なセッティングをすれば実験のたびに得られる物理量の値は変わりますが、そういうレベルの話ではなく、どれだけ曖昧さをなくそうとも回避できない定まらなさがあると見做します。こう言うと「なくせるだけ曖昧さを取り除ききっているかなんて知りようがないのでは?」と思う読者もいるかもしれませんね。実は、量子論に備わる定まらなさは「気づいていない曖昧さが残っているから」という理由づけでは説明できないと判明しています。この話には量子論の核心的特徴が関わっているのですが、長くなるので別の機会に。 ↩
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量子力学の理論には複数の形式があります。同じ結果を与える以上はどの形式も等価なものですが、その中で特にメジャーなのが演算子形式です。演算子形式にも種類があり、ここで紹介したシュレディンガー方程式に基づくものはシュレディンガー表示などと呼ばれます。 ↩
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ここは厳密性をかなり犠牲にして説明しています。 ↩
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もう少しちゃんと述べれば「位置および運動量と見做せる基本変数に立脚した、有限自由度の非相対論的議論」とでも言えばよいでしょうか。 ↩
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自由度という言葉に馴染みがない読者もいるでしょう。「個数を数えられる実体を扱っているうちは有限自由度で、空間にべったり広がる場は個数を超越したような考察対象だから無限自由度だ」くらいに捉えてください。 ↩
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大学数学の最初の題材と言ってもよい線型代数学 (昔は高校数学で扱っていた行列の理論) を発展させたものが関数解析学です。量子力学の演算子形式では状態が抽象的なベクトル$\psi$で表されると述べましたが、この「抽象的なベクトル」というのは、ある構造・性質をもったベクトル空間 (平たく言えば集合) である ヒルベルト空間 の要素を指しています。 ↩
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教科書としては 中平健治『図式と操作的確率論による量子論』(森北出版, 2022) が挙げられます。 ↩
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自らの興味を第一の動機として活動しているのは、きっと量子班に限らずPhysics Lab.全体に言えることでしょう。早くも動き出している五月祭の実験準備はさすがに最終ゴールへの意識が強いかとは思いますが、それらも結局は関心があればこそ取り組んでいるプロジェクトです。 ↩