初投稿です
私は現在、Qiita、Note、そしてLinkedInの3つのプラットフォームを通じて、技術的な内容からキャリアに関する話まで幅広い情報を発信しています。リンクはプロフィールに掲載しています。
Note: ここでは、技術者としての考え方や成長の過程、そして私の経験を通して学んだことを中心に語っています。
Qiita: 主に実践的な技術の問題解決手法や資格情報について紹介しています。
LinkedIn: 主にキャリアや資格に関する内容を発信しています。プロフィール全般です。
ここでは技術的なことだけ語ります。あと資格関係について。
まずはNoteと大分かぶりますが、自己紹介を兼ねて、少しだけ私の技術志向についてお話しさせていただきます。
AIとの出会いと挫折
私がAIに興味を持ったのは、ニューラルネットワークが「過去のもの」と言われ、SVM(サポートベクターマシン)が最有力候補として注目されていた時代でした。2013年、私はアメリカのシカゴ大学に留学しており、そこでAIの限界に直面しました。
当時、ニューラルネットワークはまだ発展途上で、その可能性がどれほどのものかはっきりしなかったのです。さらに、数学的な難しさや研究の進展の遅さも感じ、AIの基盤を作る仕事には向いていないと判断して、私は一度AIの道から離れることを決めました。その後、別の道でキャリアを積みながら、しばらくはAIから距離を置いていました。
再び魅了されたAIの進化と事故経験
しかし、近年のAIの進化を目の当たりにし、再びその魅力に引き寄せられました。深層学習の進化、生成AIの登場、そしてGPT-4のような最先端技術の登場に至るまで、AIの可能性はかつてないほど広がっています。その進化を見て、再びAIの世界に足を踏み入れる決意を固めました。
一方、ChatGBT登場時、私は事故で死にかけていました。症状は足がつくので、ここでは割愛しますが、医者に障碍者手帳を与えられそうになりました。しかし、私は手帳交付を拒否して自分の力で医学を探求し、自分で東洋医学の中医鍼灸に治癒が見込める事を突き止めました。
保険も何も効きませんが、鍼灸院に通う事で、めきめきと回復し、医師に不可能と言われた復帰を実現したのです。そしてこのことから、最初が肝心であることを確認しました。
それを医師会に見せたら警察に通報されました。
警察は病院側に呆れるだけで帰っていきましたが、自分が知らないことを実現されると、相手は恐怖に陥る事を知りました。
もし最初から鍼灸院に通っていたら、数か月で治っていたことでしょう。
それを2年以上の時間をかけてしまったのです。
それ以降、私は要件定義と企画を最重要視することにしました。
後工程はAIがやってくれそう、ということもありましたが、とにかく最初が肝心なのです。
それが今の私の原点です。