この記事は「TECH WOMAN KANSAI Advent Calendar 2023」14日目の記事です。
反射的に出てくる「私は向いてない」
お疲れさまです、みやもとです。
先日、所属会社の上の方の人から「リーダーに興味ある人向けに勉強会するよー」と全社員一斉送信メールを貰いました。
私自身は少ないながらもリーダーやらせていただいた経験により『向いてない』と結論を出していたのですが、この頃女性がリーダーを目指すことについていろいろ意見を聞いたり考えるところがあったので、改めて自分の向いてなさを見つめ直してみようかと思った次第です。
あくまで私の経験から来る振り返りなので、「こういう人は向いてない」という話ではありません。
逆に「こういうところを克服すればリーダー/マネージャーになれる!」という話でもありません。
とあるSEの失敗談として「こんな人も居る」程度に思っていただければ幸いです。
『リーダー』ではなく『マネージャー』?
一度記事を書き終わって公開日待ち、というところでこんな記事が出てきました
なんとなくそうかなと思ってはいたのですが、私が過去経験したのはリーダーではなくマネージャー業務っぽいですね。
マネージャーに必要な技能教育・研修をろくにしないで業務に放り込んだA社へのなんともいえない感情が増します。
以降、この記事内に出てくる『リーダー』は『リーダーという名のマネージャー』ということでご了承ください。
経験1:プロジェクト管理
今振り返ると、このときの経験が「リーダー無理!」となった一番の原因のように思います。
遡ること10年ちょっと前、私はそこそこ大きなSIer(以下「A社」)に勤務していました。
中途入社後そこそこ長く客先常駐で開発していたところを社内に呼び戻され、リーダーとしてプロジェクトのスケジュールを作ったり協力会社の方に指示を出したり社外との調整をするように、とのこと。
もともと手を動かす仕事をしたくてSE職を選んだものの、会社的にはプログラムを作る人より作る人に指示する人が欲しかったのでしょう。
後輩さんたちも結構な人数がマネジメント側に回っていましたし、そういう辞令が出たからには仕方ない。
あまり気は進まないながら、新しく決まった案件の管理をすることになりました。
まるっきりダメで会社辞めました。
以下、『ダメだった業務(それに対する感情)』という形で記載していきます。
プロジェクト全体の作業見積(わからない)
それまでの現場において、私はとにかく期限までに成果物を上げることだけ考えていれば大丈夫な状況にありました。
進捗管理をする立場に無かったというのもありますが、当時の現場がそこそこ修羅場な上に最上位の管理者が『いかに作業者を長時間労働させるか』という考えに基づいて指示を出していたのも一因と思います。
時間外労働上等、どんな無茶なスケジュールでも期日までに成果物を作る、というやり方で働き続けた結果、私は残業と気合いと力押しですべてを乗り切るタイプのプログラマになっていました。
これが頭脳労働者の姿か?
そんなところから唐突に管理側に回った結果、どの作業にどのくらい工数がかかるか?という目安が自分の中に存在しない。
これぐらいあればいけるか?と考えて出した数字が多いにしろ少ないにしろ極端すぎる。
おまけに作業要員の力量も加味してどの人のどの作業にどのくらい時間を使えるか……とか考え出すともうダメ。
ついでに上司から「協力会社さんは契約上限ぎりぎりまで仕事してもらう感じで」とか言われ、倫理とか誠意とかコスト意識とかさまざまな意味で頭を抱えていました。
ちなみにA社を辞めた後から作業時間をメモして残すようにするなど意識的に改善に努めたこともあり、現在は自分の担当する作業に関してだけはそれなり見積もりができるようになっています。
ただし気合いと力押しの傾向は未だ根強く残っており、それを他者に適用してはいけないだろうということで、他の人の作業見積もりは今もちょっと自信がありません。
ユーザー側システム部との調整(こわい)
所属会社がそこそこ大企業だからだったのか、ユーザー企業も結構な大企業でした。
『大企業のシステム部と打ち合わせ』という字面だけでも緊張するのに、いざ会議室にほぼ初対面のお客様とご対面して、苦手意識しかないシステム要件とお金とスケジュールの話をして、時には鋭い質問にしどろもどろになりながら答えなければならない。上司は最初だけ居たかもしれませんが基本は同席しておらず、都合がつけばユーザー企業に出向していたA社の社員が居合わせるぐらい。
初回の打ち合わせを終えた時点で二度とやりたくないぐらいだったのですが、プロジェクト期間は必要に応じて打ち合わせがあります。必要最低限のやりとりしかしないため、特に親しみがわくでもなくひたすらこわい。
その上、会議はなくてもメールや電話でお客様からのご連絡はしょっちゅうありました。失礼の無いように言葉を選んで冷や汗をかきながらやりすごす日々。
後述するコミュニケーション上の欠点も手伝って、まだ三十路にもならない身にはかなりのプレッシャーでした。
要員への作業割り振り(できない)
これが結構致命的でした。少なくとも会社を辞めることになった原因としては間接的ながら一番大きかった。
作業を割り振れない、任せられないと言っても、『私が一番仕事できるから人に頼むより自分でやる方がよっぽどいい』みたいな自信過剰によるものではないです。
確かにある程度現場を経験したことで開発作業自体にはそれなりに自信がありましたが、リーダーとして配置されたチームには私よりよほど経験豊富な協力会社の方々がいらっしゃいました。
作業を任せられなかったのは対面でのコミュニケーションに全く自信がなかったからです。
かつてIT業界を目指す人はコミュニケーション面があまり強くないといいますか、『接客しなくていい仕事』としてシステム開発の仕事を選ぶ人が一定数居たように思います。
といいますか、私がそうです。
今でこそコミュニティでイベントの進行とかやらせてもらったりしていますが、もともとあがり症のため人前で話すのも初対面の人と会話するのもひと苦労。
緊張するとどもったり噛んだりするのも自覚していたので、何かを説明しないといけないとなると緊張しすぎて前日から腹痛起こすぐらいには強い苦手意識がありました(今も若干あります)。
そんな人間がチームのメンバー、それも自分より経験豊富な先輩複数名に、あれやってくださいこれやってくださいと作業の説明をしないといけない。質問にも対応しないといけない。何人かが質問に来られると順番待ちまで発生する。全部メールで済ませようかとも思いましたが、毎日顔つき合わせておいてそれはあまりにも不自然すぎる。
日々苦手が押し寄せてくる状況で、よほど大きな作業ならともかくちょっとした修正ぐらい「説明しんどいし自分でやったらあかんかなー……」となるのは自然の成り行きです。
ある種の現実逃避としてこまごまとした修正作業をしていたところ、とうとう上司から製造・テスト禁止令を出されてしまいました。
上司としてはリーダーとして呼び戻したのに製造とかやられたら困るとか、最終的にはリーダー業務をちゃんとこなせるようにならないといけないからという親心からだったのかもしれません。
立ち回りが下手でチームに迷惑をかけた自覚もありますし、失敗に対するフォローはあったので悪い会社ではなかったとは思います。
しかし当時の私からすれば、やりたくもないリーダー業務の中で心の慰めにしていたプログラミング作業まで取り上げられて、仕事における楽しみが全く無くなってしまった状況でした。
とにかく手を動かしたいという理由でSE職を選んだというのに手を動かしてはいけない……これが会社を辞める決定打となりました。
経験2:人員管理
やけくそ気味にA社を辞め、「もしかしたらSE向いてないかもしれない」と思ってジョブチェンジを試みて失敗し、再びSEとして就職した会社(以下「B社」)で私は再びリーダーと名のつくポジションに配置されることになりました。
とはいえ、その時は開発要員として他社に常駐していた状況でプロジェクトの管理自体は上位会社の方の管轄。喜ばしくも私の出番はありませんでした。
では何をするのか?
答えは同じ現場に配属される協力会社の方の管理、および配下メンバーの人事評価です。
こちらに関しては少なくともA社の時よりはマシでした。
結局B社も諸事情あって辞めることになるのですが、少なくとも『リーダーにされたから』が原因にはなりませんでした。
協力会社の方の管理(わりといけた)
B社は規模があまり大きくなく、上位会社から人員追加を求められた場合は他社から要員を回してもらうことがよくありました。
私の仕事はその方々に対して初日の現場説明をしたり必要な書類を集めたりすること。
説明下手で緊張するのは同じでは?と思われるかもしれませんが、私の苦手は自分の考えをまとめて相手に伝えるというところが大きく、既に決まっている現場の規則や案件状況等をそのまま伝える分にはそれほどストレスも無いようです。
時折質問を受けることもありましたが、配属される人数が少なかったおかげで回答待ちが発生することもなかったため、比較的落ち着いて対応することができていました。
必ずしも協力会社から配属される方が同じプロジェクトに来るわけではなく、時には同じオフィスビルに入っているからと「ちょいちょい話聞いたって!」と紹介されることもありました。
「この人も私の担当なんです?」と思いながら、なるべく定期的に状況を確認したり不満があれば営業担当の上司に報告したり……「よく面倒を見てくれた」とお言葉いただけたあたり、悪くない働きはできたのだと思います。
人事評価(いまいち)
入社後しばらく経った頃でしたか、給与体系の都合もあってマネージャーに昇進が決まりました。
それにより社内でも何人かのメンバーを管理することになり、作業報告書や総務書類を集めたりするようになりました。
それだけなら協力会社さんに対するのと変わらなかったのですが、管理職となったことでメンバーの人事評価も私の仕事に。
個人的にはこれもあまり向いてなかったな、という感覚です。
私がマネージャーとして配属されていた部門のメンバーはひとりとして同じ現場にいませんでした。
当時の私は今や廃止された特定派遣で、中小企業でこの形態だとわりとよくある話だったのではないかと思います。
評価するための材料は月一のミーティングでの態度だったり、提出書類を期限までに出してくれるか、報告書に何を書いているか……ぐらいしかありません。
B社の人事評価は各メンバーが提出した自己評価に対して上長が5段階ぐらいで評価を付ける形で、優柔不断の身の上にはこれがなかなかの苦痛。
通販のレビューですら☆1はなかなか付けられないのに、明確に損害を出したわけでもないメンバーに対して普通より低い評価というのは付けづらい。
損害になったとしても「いやでも聞いた感じ現場もアレらしいし……あの人はあの人で考えた結果の行動やろうし……」と、悪い評価をつけていいのか悩む。
そもそも自己評価に書かれた内容がどこまで本当なのかわからない。
結局時間ばっかり使った末に普通評価が並ぶ…仕事としてまったくよろしくないことをしていたと思います。
経験3:教育、上位会社との調整
諸事情あってB社を辞めた後、次の会社(以下「C社」)では入社後少ししてサブリーダーになりました。
なんで毎度お鉢が回ってくるのか疑問ですが、能力云々というよりは勤怠が安定していたことが大きかったんじゃないかと思います。
結婚してない子供も居ない、今後もその予定はなさそう、残業がんがんするし時短勤務とか考えなくていい、ということで客先の勤務下限を心配することなく「女性も活躍してます、リーダーも居ますよ」という数字稼ぎに使いかったのではないかと邪推してしまいますね。
ここも諸事情により退職して今に至ります。諸事情が多過ぎる
C社では基本的にB社と似たような感じでしたが、協力会社さんの管理がない代わりに後輩の教育と上位会社との調整という業務が追加されました。
後輩メンバーの教育(努力はした)
C社でも客先常駐で仕事をしていたのですが、年齢的には中堅ということもあって新人さんや若手の社員と組んで作業することになりました。
必ずしも同じ作業をするわけではありませんが、チーム内での決まり事や開発においての注意事項を教えたり、成果物を確認してあれこれ指導する感じです。
この頃にはA社時代に比べてコミュニケーション面の苦手意識は若干改善傾向にありましたし、自分以外に作業できる人を増やすことの大切さを嫌というほど実感していたので、技術にしても作業ノウハウにしても可能な限り教えられるように努めました。
……努めましたが、あくまで改善されたのは苦手意識だけであって説明自体は上手くなっておらず、加えて私自身が『とりあえずやってるうちに解るようになる』という昔の職人みたいなスタンスで技術を身に着けてきたところがあるためか、いまひとつうまく伝えられず時間ばかり使っていたような気がします。
上位会社との調整(相手が優しくてよかった)
後輩メンバーの教育ともリンクしますが、この頃は私が現場自社チーム取りまとめとして上位会社の方とやりとりすることが増えました。
C社の頃の現場は会議も少人数で、打ち合わせの合間に雑談したりそれほど畏まった雰囲気ではなかったのが良かったのでしょう。顔なじみになった相手と作業内容を確認し納期について相談し、時には次の案件向けに要員追加の打診をされて営業さんに連携したり、比較的スムーズに意思疎通できていました。
また、この当時はちょっと困った後輩さんがしばしば上位会社の方ともめ事を起こして頭を下げに行くことになったのですが、行くたびに「みやもとさんも大変ですね」とねぎらっていただいていました。
本当に優しい人たちでよかった。
2社の経験を比較してみる
こうして振り返ると、A社ではもちろんのこと後の2社でもいまいちリーダーの仕事ができていた気がしませんね。
リーダーやってた当時ご迷惑をおかけしたであろうメンバーのみなさまのことを考えると大変に申し訳ない気持ちになります。
しかしながら今振り返って、A社では会社を辞めるほど嫌がっていたのに対して他の2社、特にB社ではそれなりに頑張ろうとしていたことにも気づきました。
その違いを考えることで、実際にリーダーを目指すかはさておくとしてちょっとは苦手意識を払拭できるような気もしなくもない。
ということで、考えてみました。
プログラミングとリーダー業務を引きかえにされなかった
B社所属当時、私はリーダーやらマネージャーやらの立場にはありましたが、普通に製造もテストも自分でやることができていました。
これに関してはB社だけでなくC社でも『製造やるの大歓迎』という感じだったので、A社が割と特殊寄りだった可能性はあります。
比率としてもリーダー業務より製造・テスト作業の方が多かったので、前者で受けたストレスを後者で緩和できていたのでしょう。
苦手意識を察した上司がケアしてくれた
B社に入社した時点で私は「リーダー無理!」となっていました。
転職時の面接でそのあたりの話は多少ぼかしましたが、上司は私をリーダーにするにあたってかなり慎重に話を進めてくれていたと思います。
任せる人数は極小数から始め、私がメンバーの懸念や不安要素をヒアリングするのと同じくらい頻繁に私の不安を気にかけて連絡をくれていました。
「いつまでも製造ばっかりやってられへんのやから」「どこ行っても結局やることになるんやで」と言われるばかりだったA社の頃とはえらい違いです。
実地で覚えろというのはわからなくもないのですが、やられた側からすると「獅子でもこんな絶壁から落とさんわ💢」という気持ちを抑えられません。
仕事の内容が違う
身もふたもありませんが、A社の頃とB社の頃ではやっていた仕事の内容が違います。
私はお金に関してめちゃくちゃ勘定が雑で、それについて細かく考えること自体をストレスに感じてしまうため、最終的にお金の話が絡んでくるA社での仕事は意識だけでなく実際に苦手でしたし、今もおそらく苦手です。
B社についてもお金がまったく無関係な仕事ではなかったのですが、少なくとも第一に考えなければいけないのはそれよりも対人面の話でした。コミュニケーションも得意とは言えませんが、お金のことよりはいくらかマシです。
仕事の範囲が違う
A社では「ここからここまでがリーダーの仕事」というような担当範業務が明確にされず、「あれもこれも私がやらないといけないのでは」と仕事を抱えきれないような不安が常にありました。
実際にはメンバーに任せられる作業があったのかもしれませんが、当時の私にその判断はできませんでしたし、任せること自体が心理的な負担になっていました。
B社ではやるべき仕事が比較的限定されており自分のやることがはっきりしていたため、担当業務について不要な心配をすることはあってもそれ以外の余計な不安を抱えることはありませんでした。
どこまでできればリーダーやれる?
経験を振り返り、現在私が思うことは以下の通りです。
- 悪い思い出で病むのでプロジェクト管理は可能な限り回避したい
- プログラミング作業はできるだけ続けたい
- 人事評価は方法によっては心を強く持ってがんばろうと思う
- 教育・指導に関してはある程度できるようにスキルを身につけたい
- 他社の調整はお金が絡むものでなければなんとかなるかも
おそらくリーダーやる上で一番の懸念はひとつめですね。
プロジェクト管理に苦手意識なく取り組めるようになるか、逆に完全回避できるのであれば、もしかしたらいつか遠い先で挑戦する気持ちになれたりするかも……という感じです。
原因がわかると苦手が減る、かも?
あれこれ振り返って苦手の原因がある程度はっきりしたからか、それとも主にA社時代の愚痴を吐き出したのが良かったのでしょうか。
振り返り前よりちょっと苦手意識が薄らいだような気がしてきたので、冒頭の勉強会に参加してみることにしました。
すぐに挑戦する気はありませんが、「今の会社ではどこまでやれればいい?」を確かめるための情報収集ということで。
もしこの記事を読んだ方の中に「リーダーという単語を聞いただけで逃げたい」という私みたいな方がいらっしゃいましたら、「リーダー業務の何に対して苦手意識があるのか」「嫌な思い出のせいで必要以上に恨みが積もっていないか」「どこまでならやれそうか」という苦手の棚卸をしてみてもいいかもしれません。
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