Lee SeungJae (李丞宰)『Old Korean Writing on Wooden Tablets and its Implications for Old Japanese Writing』(Seoul Journal of Korean Studies, Vol.27, No.2 (December 2014), pp.151-185)を横目に、『日本書紀』卷十九に出てくる「久須尼自利」を新羅語だとみなして、Universal Dependenciesで書くというムチャに挑戦してみた。
# text = 久須尼自利
1 久須 굿 NOUN _ _ 3 vocative _ Lang=oko|SpaceAfter=No
2 尼 내 PRON _ _ 3 det _ Lang=oko|SpaceAfter=No
3 自利 실 NOUN _ _ 0 root _ Lang=oko|SpaceAfter=No
「自利」は、末音添記「糸利」すなわち「실」を、いわゆる万葉仮名で記述したものだと考えられる。とすれば「久須」は「굿」とみなして大丈夫そうだ。悩ましいのは「尼」で、頭音が「ㄴ」の開音節に見えるが、それでも「니」「내」など色々ありうる。とりあえず、現代韓国語の一人称属格「내」を当ててみたが、これが新羅語において「내」だった保証はない。
この「尼」に対し、河野六郎『百済語の二重言語性』(朝鮮の古文化論讃, 1987年4月, pp.81-94)は
尼自利の尼は니と読み、「行く」の義ではないかと思われる。中期語に니「行く」という動詞があった。
としており、動詞「니」とみなしている。ただ、ここに動詞が入ってしまうと、つづく「自利」の解釈が、私(安岡孝一)には超難題になってしまう。うーん、難しいなあ。