今年で54歳になりますねぇ。Qiitaのイベントがあるので、ちょっと自分のキャリアを振り返ってみたいと思います。ITに関係ない職種の部門にも在籍していたのですが、その部分は割愛します。
大学時代
大学は学部としては情報系ですが、専攻は生物化学だったので プログラミングはしていましたが測定装置のシーケンス制御用にコーディングしてました。確かPC98にボードを差してN88 Basicで制御していたかな。
あと、データをきれいにグラフにするためにTurbo Pascalのグラフ作成ライブラリーを改造して使ってました。卒研の発表はOHPで行っていた時代ですから... パワーポントはまだ無かったよ。
就職 1993年
大学の先輩方が多かったこともあって、機械メーカーに就職。しかし専攻が生物化学と全く会社では関係なかったので、システム部門(システム子会社)に配属でした。そこで工場のシステム部門だったので生産管理を一から勉強しましたね。
担当した主なシステムがIBMの大型汎用機だったので開発言語はPL/IとJCLでした。PL/IはTurbo Pascalに似ていたのですんなり覚えられましたね。基本的に半角カナの世界でしたが、ちょうどオンライン画面の表示を漢字化している時期だったのでたくさんのオンラインシステムを改修したことを覚えています。画面表示だけでなくロジックを見直して処理速度を上げることもしました。
バッチ処理も多かったし、自分の担当するシステムの夜間処理が早く終わるように結構書き直しましたね。処理がアベンドして真夜中に呼ばれるのは嫌だったので、自分のためにもがんばって作業しました。
そうそう、ここではパンチカードにプログラムが書き込まれていて、処理を流すときは慎重に行ってましたね。カードを落として順番が分からなくなったら大変です。この処理って年に1回しか流さない固定資産の処理だったような... FORTRAN 77のコードもあって、たまに修正依頼があって対応していました。
1回目の転勤 1996年
生産管理については中小企業診断士のテキストで勉強して、非常に面白かったです。ただシステム子会社での仕事は自由度が少なくずっと続けていくのも問題だなと思って、退職届を出したら破られてしまいましたね。出向を解除してくれて本体に戻ることに... 赤字事業部の管理部門に異動となりました。
赤字事業部のつらいところは、業務改善でシステムを改修したいんだけど後回し、いやいや順番は回ってこなかったです。元システム部門ということで、何とかしろという流れになって、とりあえず自分でLinux サーバーを立ててPHPでシステムを組みました。 サバーも費用を抑えるために自作PCで行いましたが、24時間つけっぱなしですぐに壊れました。 結局は中古のサーバーを買って対応しました。中古とはいえ業務用は丈夫でしたね。
グループの基幹システムの再構築 2003年
この頃から古くなったグループの基幹システムの再構築のプロジェクトで事業部の窓口をしてました。途中から本社の情報システム部門に異動になったので基幹システムのあるサブシステムの要件定義から初期値の移行やマニュアル作成などを行っていました。その後は基幹系として再構築しなかったシステムの企画を色々しながらパワーポイントばっかり作ってましたね。まぁ、予算と実際に作ることができないと言われてほとんど実現しなかったです。やっぱり自分で手を動かさないと進まないなぁっていう思いが強かったのを覚えています。結局はまた事業部の管理部門に戻りました。
この頃は上級シスアド、アナリスト、ITステラジストの高度情報処理試験の資格も取りました。上流工程を意識してましたね。でも実際にシステムが実現しないのはかなりのストレスでした。
古巣の事業部に戻る。開発するための道具を作る 2012年
製品の在庫と営業のフォーキャスト、工場の生産計画を動的に引き当てて過不足を検索するシステムを作りました。このときはPHPのMojavi ver3を使ってました。途中でこのプロジェクトが中止になって、無い機能は自作してましたね。あと画面の定義はExcelシートに記入したら自動で変換するプログラムも作って省力化してました。
このシステムは私が転職した後にベンダーさんが別のツールに移植して準基幹系のシステムに昇格したらしい。
シェルを使ってシステムを作る 2015年
このころは謎テクノロジーとして紹介されているユニケージ開発手法を使ってWEBシステムを作っていました。主に基幹システムからエクスポートして大量のデータを集計して画面から確認できるような仕組みです。このときは中古でなく新品のサーバーを使ってました。マルチコアだったのでシェルで組んだジョブも早くて感動したものです。シェルも元々は大型汎用機でJCLを使っていたので似ていたのですぐに覚えることができました。
Salesforceを使ってみる 2017年
基幹系のシステムをスマホやタブレットでも使いたいという話がだんだんと出てきました。特にサービス部門が使っているシステムでは修理に行っている社外でも使いたいというニーズがあったのです。しかし私自身がスマートデバイス用のネイティブアプリを開発できなかったことと、デスクトップ環境と2つもシステムを作ることは避けたかったので当時からスマートデバイスに対応していたSalesforceをプラットフォームに使う提案をしたら珍しく採用でした。しかし、予算がないのでカスタマイズが必要な場合は私自身が行うことが条件でしたね。
IT部門が紹介してくれたベンダーさんからはユーザ部門での自社開発は無謀だと言われましたが、どうにかフルスクラッチで完成できました。基幹システムとのリアルタイム連携のところは予算外でしたがベンダーさんに頼んで実装できましたね。バッチ連携は私がcurlコマンドを駆使して作りました。ここではLinuxで遊んでいた経験が大いに役に立ちました。
転職 2018年
50歳を前に転職しました。ちょうどSalesforceの管理者&開発者を希望されていたので応募してすぐに決まりました。今でもコーディングをしていますね。標準の機能でできないことを自分で作ることができるのは楽しいです。
ここ最近は
APIを操作するときはずっとシェルでcurlコマンドを使っていましたが、最近はPostmanを使っています。
Leaflet.js をAuraコンポーネントに組み込んでみました。モバイルでも問題なく表示されるのもいい感じです。