インターネット時代の検索調査
1990年代にインターネットの商業利用が解禁になりインターネットに情報が増えるようになると、Webシステムのリンクで情報を編んだディレクトリサービス型のYahoo!や、ロボットによってインターネットをたどってリンクの重みづけによって情報を整理したGoogleなどが相次いで創業し、インターネットの情報はディレクトリサービスやサーチエンジンで検索し、見つけ出すようになってきた。インターネットの利用が増えるにつれて、コンピュータ業界にとどまらず、企業、政府組織、ショップ、新聞雑誌テレビメディア、図書館、博物館、美術館、古書店、アーティスト、個人、果てはテロ組織に至るまで、あらゆる団体や個人が有料や無償で情報を公開するようになってきた。WikiPediaのように登録した任意のユーザーが任意に情報を編集できる百科辞典を自称するサイトも現れていて、項目数では世界最大の百科辞典さえすでにしのいでいるし、紙の百科辞典の出版はコストの点で困難になってさえいる。
インターネットのメリット
インターネットの情報のメリットは、あらゆる情報をほとんどフラットに手に入れられることである。ごくかんたんなキーワードをサーチエンジンに入れるだけで、過去から現在に至るまでのほとんど無数の情報を手に入れることができる。公開している情報が古書である場合には、GoogleのブックサーチやAmazonの「なか見! 検索」で中を見ることもできるし、ごくかんたんな方法(たとえばワンクリック)で実物の本を手に入れることさえできる。古文書も国会図書館や各種博物館などのアーカイヴで見ることができる。これらは、インターネットのなかった時代には厖大な時間や費用をかけなければ手に入れることができなかったりアクセスできなかった情報である。こうした情報を容易に手に入れることができるようになったことはインターネットの最大のメリットだ。
最新の情報が多数あるのもインターネット時代ならではである。プログラミングに関する情報では、マイクロソフトやアップル、Googleなどが啓蒙的なプログラミング環境や情報を多数発信している。これらはほとんど一次情報に近く、タイムラグも極端に少ない。書籍などではほとんど追いつかないくらい最新である。
インターネットの石
半面、インターネットの情報には、玉もあるが石もある。2017年に話題になったフェイクニュースが代表するような、誤った情報や曖昧な情報、いいかげんな認識で書いた情報は、悪化が良貨を駆逐するようにインターネットぜんたいに蔓延している。書いた当時は正しかった情報が時間が経つに連れて的外れになったままメンテナンスされずに放置されていることもある。検索して手に入れた情報が正しいのかどうかを見極める目、すなわちメディアリテラシーなしに見ると、むしろ混乱して正しい判断ができなくなる可能性が高い。
自分の立ち位置なしにインターネットの情報に接すると、むしろ間違えた情報だけを追ってしまう。コンピュータのプログラミングの場合では、動作すれば正しいコードであるとはいえるが、すでに古い情報でよりよい方法が提供されているが、情報の総数ではふるいコードのほうが多いということもある。たとえばExcelのファイルの編集をするC#のコードの場合、ライブラリを使うのがよいが最新のライブラリ情報について書いてあるページは検索では上位に出てこない。
アーカイヴ教育を受けているはずの図書館の情報でさえ表記の混乱は著しく、音楽CDとひもづけている曲名のデータベースでさえまったく違うタイトルを表示することさえある2016年11月には、山本彩アルバム『Rainbow』を宇多田ヒカルのアルバム『Fontome』に取り違えるということさえあった。
集合知を使うことをタクソノミーと呼ぶが、集合するから正しいとは限らない。WikiPediaの記述は記述者のスキルによるのであり、超一流の研究者はWikiPediaに匿名で書くよりも論文を書くということを考えれば、サブカルチャー中心で記述にも正当性は乏しいともいえる。サブカルチャーのなかでさえ対立点のある場合には相互に対立する記述者が書き換え合戦のようなことを行っていて、ただしさとは無縁であることがわかる。正確な記述を求めるために第三者視点での記述も多く、結局のところ曖昧でなにをいっているかわからないこともある。
筆者はあるまんが家のコレクターで、そのまんが家の書いたコミックをすべて雑誌連載も含めて蒐集中だが、そのリストはWikiPediaを遙かにしのぐ。結局のところ、集合知は極端な事例よりも劣る。
実物を調べること
じっさいに現物を見て調べる場合、たとえば筆者は東京江東区にある教科書図書館で、過去の教科書を調べたことがある。ここはそのときどきのじっさいの教科書の実物を蒐集していて、年代ごとに教科書を手にとってみることができる。この場合、教科書がどの程度の規模であるのか、毎年の変遷はどうなっているのかなどの全体像を一望することができ、実物を比較することで各社や各学年などのイメージをもつことができる。全体像を把握しながら個別の実体を確認できることは、じっさいの現物を見て調べることの大きなメリットである。現物を見ることで自分の立ち位置がわかり、どの程度まで達成しているのかを知ることもできる。
実物を調べるデメリット
いっぽう現物を調べることのデメリットは、それを調べるために時間と費用のコストががかることである。江東区の教科書図書館に行くためには費用がかかり、現物を調べるためには時間がかかる。実物の教科書から該当の情報を抜き出すためにはとほうもなく時間がかかり、使用するために情報を整理しようとしたら1ページずつ丹念に読み込む必要がある。著作権法によってコピーの制限もあるからコピーも容易ではない。インターネットで検索するのに較べて厖大な時間がかかり、容易には行えない。実物の古書などでも流通量が少なければ手に入れにくく価格も高騰化している。古書程度ならまだしも、モノや化石、生物、地形などを調べるとなると、じっさいにその場に行かなければ見れないものは無数にある。
2018年の調べ方
これらを踏まえて、2018年現代でものごとを調べるには、インターネットと現物を併用して、両方のメリットを生かすようにして行うのがよい。
インターネットには多数の情報がある。まずはそれを利用するとよい。インターネットは「公式ページ/公式アカウント」などといって本人が登録している場合もあり、それは貴重な一次情報である。
インターネット以前の30年ほどのあいだのサブカルチャー情報、ビデオが普及する以前の1980年までの情報は、インターネット上での記述は記憶に頼るものが多く曖昧でほとんどあてにならない。たとえば、カルピス子ども劇場『アルプスの少女ハイジ』で放送していた「雪うさぎ」のコマーシャルの映像は筆者の知る限りインターネットには存在しない。歌詞情報もあるが相当いいかげんであてにならない。こうした情報を手に入れるには、適切な書誌情報を見つけ出すのがベストである。あるいは放送アーカイヴを利用するべきだ。
図書館にある新聞縮刷版も活用しがいのある情報である。インターネットで見つかる情報を利用しながら、より正確な記述は当時の情報、実物、本人へのインタビューなどをあわせて行うのがよい。もっとも新聞だから正しいわけでもないし、本人がほんとうのことをいうとも限らないから注意が必要である。たとえばアニメーション映画監督の宮崎駿やミュージシャンの宇多田ヒカルは、インタビューごとに違うことをいうことで知られている。宮崎駿のインタビューはメディアごとにしばしば異なっているし『吾輩はガイジンである ジブリを世界に売った男』(スティーブン・アルパート/岩波書店)にもそういう記述がある。宇多田ヒカルは自著でインタビューの際には口から出まかせばかりいっていたと述懐している。
歌詞に関しては、実物に当たるしかないが、アーティスト本人が間違えた歌詞を書いている場合、当て字などを使っている場合、表記が現代表記と異なる場合など、単純に正しいなどといえるかどうかはわからないグレーゾーンはいくらでもある。
結局のところ正しいか正しくないかということを正確に判断するのは、歴史の評価にゆだねるほかはない。
この点プログラミング言語に関しては、最低限動けば正しいわけで、調べやすいともいえる。プログラミングに関しては、質問サイトや2ちゃんねる(5ちゃんねる)などで質問をして、適切な質問に関しては適切な回答を得ることができる場合もある。質問をすることで回答を得ることは、ある種のコミュニケーションとメディアリテラシーが必要であり、質問力を磨くことも重要となるだろう。
極力実物に当たって自分で確かめることなしには、正しさに近づくことはできないのである。正しいと確信できずに調べると、自分のなかの軸がずれていき修正不可能になってしまう。謙虚に正しさに近づこうと思い続けることが重要だと考える。