「第1回AI・業務自動化展」
リードが幕張メッセで開催している「第1回AI・業務自動化展(JapanITWeek秋2017内)」にいってきた。
思ったような感じではなかった。
業務自動化by Java
複数の会社が提供している業務自動化はJavaで実現しているとのこと。Javaではそもそも重くて話にならん気がするしJavaをメンテナンスするのがたいへんで、自動化できるスコープが狭すぎるだろう。そのうえ、アクシデントがあると、当然、処理は止まるという。まああたりまえだけれども。自動化するためには、シナリオを書くのだが、それはつまりプログラムを書くのとおなじで、それならJavaでGUIごしに書くのではなくて、直接その業務を自動化できるシステムを開発したほうが、ずっと効率的でスマートな気がする。
業務-Java-GUI(CUIシナリオエディタ)-アプリケーション等という手順でなくて、直接業務処理用プログラムを書くわけだ。それなら業務-アプリケーションと、あいだにはさむものがなくなる。スマートで高速で安定する。
もちろん、既存のアプリケーションを改変しなくてよい、というメリットはあるけれど、屋上屋を重ねるようなもので、ちょっと無理があるんじゃないのと思う。既存のアプリケーションを認識するのは画像認識だったりするので、まあそこにAIの要素があるといえばあるし、ないといえばほとんどないともいえる。AIは単なるはやりのラベルのようなものにすぎないわけだ。
シナリオをGUIで
シナリオもGUIで書けるといってもボタンがあるだけでボタンの内容はifとかtry-catchとかいうもので、日常生活にはまったくなじみがない。そもそもif文的な条件分岐って、日常性と関係あるのかと思うし、日常生活をif文として明示できるのなら、GUI/CUIを使ってプログラムするのでなく、直接プログラムにするほうがずっとスマートだとしかいえない。日常生活は暗黙知で動いていて、そこからプログラミング的な条件を抜き出す作業は、きわめて困難だ。切りがない。違う気がする。
業務自動化をC#で
業務自動化を、C#で書いたことはある。もちろん画像認識もしてみた。場合によっては、C++を呼び出して行うこともある。それでも安定しないなと感じた。あるごく特定の処理をシナリオ化するのも思っていたのよりもずっと手間がかかるのだ。
思っていたのというのがどういうものなのかは説明しにくいのだけれど。その説明しにくさが暗黙知なのであって、やはり違うとしかいえない印象だ。それでも(そういうのを・ー・というらしいが)、ある・・ーの・ー・で1年半運用して、総合ランキングを38位まであげたことがある。・ー・の・ー・・が終了したためそこで終わったが、自動化すればできることはあるなという実感は得ることができた。こういう確信は大事だと思う。個人的にだけれど。
チャットボット・マジック
チャットボットにも、同様のマジックを感じた。チャットボットは、大量のテキストがなければそもそもボットとしての魅力を満たさないと思うのだが、「ウィザード式に項目をひとつずつチャット画面で入力して書類ができました」というもののどこがチャットボットなのだ? そんなの、ぜんぜん技術もAIもなんにも関係ないじゃないか。子どもだましもたいがいにしてくれ。
チャットシナリオをGUIで
ある会社では、チャットの質問シナリオをGUIで記述できるエディタを展示していたのだが、そもそもチャットの質問シナリオをGUIで記述できるとしたら、そのシナリオの深さ(あるいはシーン)は、数えるほどしかないだろう。GUIは数えられないような規模のものを記述するのには不向きだ。案の定回答は、5-6階層を想定しているという…。あのな…。小学生向きの雑誌の正月号の付録の双六じゃないんだから、もうちょっと深みのあるものにしないと、すぐに飽きちゃうじゃないか。チャットボットが「個性」を感じさせるから、AIでありなにかちがうアトモスフィアを感じるのであって、そこに生命性とか心とかのゆらぎがあるからおもしろいのだと思うのだが、既存の業務用チャットボットといっているのは、質問を6つしか用意してなくて、それ以上の会話をしないというものなのだ。そんなの…。ぜんぜんAIでもなんでもないじゃないか。昭和の男は「フロ・メシ・ネル」しかいわなかったというがそれは食欲と睡眠欲と性欲は満たしていたのかもしれないけど、なんですかそのAIの6つというのは。そんなので、なにかコミュニケーションできるのだろうか。そういうのをコミュニケーションというのか。というような根本的な疑問が、もうでてきちゃうのだ。
Amazon Echo
そうこうしていると、Amazon Echo発売の話題で盛り上がっている。そこでは、「Alexa京王線の運行状況を教えて」とかいえるようになるとかいうのであって、京王線がAPIを公開するのなら、Alexaでなくても使えるようになるだろうし、そもそも京王線には乗らないから関係ない気もする。
チャットボットも書いているが、飽きないようにするためには、すくなくとも数百以上のシナリオが必要だ。人の複雑さに達するためにどのくらいあればよいのかは、ぜんぜんわからない。
思ったような感じではなかったのなにを思っていったのかは、すこし説明できるかもしれない。つまり、なにかのヒントがあるかもしれないと思っていったのだ。ヒントは、なかった。現実なんて、そんなものだ。世界にはないものを作っている。