データを使ってビジネスを改善したい、というのは多くの人が期待することです。しかし、いざ始めると期待したようにはうまくいかないということが多いのも事実です。
そこで少し立ち止まって、そもそもデータを使う、または分析する目的は何なのかを明確にしてみましょう。もちろん、ビジネスを改善するのが究極的な目標ではあるのですが、それではあまりにも抽象的すぎますよね。
実は、データを分析する目的は知識を得ることなのです。
ここで言う知識とは、何かを知っているという意味の知識ではなく、予測に役立つという意味での知識です。こうした知識があればビジネスを改善させるために効果的な施策、対策を打っていくことができるようになります。
どのようにしてビジネスを改善させていくのかという話は、前回の「改善のための知識をデータから得るために必要なデータインフォームド文化」という記事の中で詳しく説明しました。
今回はこの「知識とは何か」について「The Symphony of Profound Knowledge」の著者であるエド・ベーカー氏が彼の本の中から抜粋という形で紹介していたので、ここでみなさんと共有したいと思います。
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途中で少し哲学的な話になりますが、私の解説を「あとがき」のセクションに加えていますので、そちらも参考にして読んでみて下さい。
知識かどうかの基準であるデミング・クライテリアとは、真実かどうかということによってではなく、予測に役立つかどうかによってそれが知識かどうかが決まるというものです。というのも経験的知識(Empirical Knowledge、帰納的に得られる知識)の世界には真実というものはないからです。
経験的知識の世界では、主張はいつも確率的(蓋然性)であって、真実とか絶対的なものではありません。(訳者注:経験的、蓋然性については「あとがき」のセクションでもう少し詳しく説明しています。)
もし私達がうまく予測できるのであれば、私達は知識を持っているということなのです。
どんなに美しく構築された理論を持っていたとしても、それが私達が直面する現実の問題を解決するために少しも役立たないこともあるのです。ユークリッド幾何学、プラトンの「形」、正規曲線、またはそういった抽象的な理論は、それらの理論の枠組みの中では真実なのですが、それらが実際の世界にあてはまるかどうかは別問題です。
ある理論があり、それが属する理論的な世界の中では内部的整合性がとれていたとしても、その理論は予測には何の役にも立たないことも多々あります。もし何らかの理論があった場合、その理論を使った予測を現実世界において検証することで、その理論の持つ効力について学ぶことができます。理論とは将来における経験によって評価されるものなのです。これは科学であれ、経営であれ、毎日の生活であれ、どれも同じことです。
理論は、私達の学びの進化に伴い修正されていくものです。新たな証拠(エビデンス)やデータが示されれば、私達の予測に役立つかどうかという点において、その理論に対する私達の確信度が上がったり下がったりするものです。
人間は、現在起きていることに反応するだけでなく、将来を予想するために知識を用いる能力を持っています。何かを知っているということは、ある程度の確信を持って自分または他人の行動によって何が起きるかを予測できるということです。知識を持っていれば、ある特定のデータや観察結果を超えた、より広範な時間と場所に対してもこうなるであろうと予測できるようになるのです。
理論を用いた結果どうなったのかによって、その理論を修正または発展させていく過程を経て、知識は進化していくものなのです。もし理論が十分でなかったり、予測するための能力に限界があったりした場合、それは修正されるかまたは別の理論と置き換えられるべきです。もしある理論を真実だと位置づけてしまうと、その理論は変更できないものとなってしまいます。つまり、そこには何も学ぶものがないということです。
どんな合理的な計画も将来のパフォーマンスや結果を予測するものです。デミングは「猫の日記」の話をよくしました。それは毎日が、前日と全く同じ日であるという話です。この話に出てくる猫は、毎朝起きると食事があり、食べ終わると転がっている糸でできたボールを使って遊ぶのです。
もし明日のための計画をする必要がなければ理論なんてものは必要ありません。しかし、私達人間は自分が経験することを理論なしに解釈できません。理論なしには、意味のある変化を起こすこともできません。私達は知識を必要とします。知識は時間を経て進化していくものです。そして、知識は理論から得られるものなのです。
ある理論があらゆる現象に対していつも間違いなく予測できるのだとすれば、それは法則と呼ばれるようになります。デミングは重力を例にこの話をよくしました。どこでも鉛筆を落とせばそれは直下します。結果はいつも同じです。
しかし自然の法則はそこに私達に見える形で存在するというわけではありません。それは私達の頭の中にあるのです。説明や名前は私達の頭が作り出したものです。その対象となるものが作り出したわけでも、張り紙を掲げているわけでもありません。「重力」というのは言葉であって、おそらくアインシュタイン博士以外には未だによく理解されていない、複雑な物理的現象を表すための言葉なのです。
ウォルター・シューハート氏は知識の3つの要素を以下のようにまとめました。
1)経験というデータ - ここから何かを知るというプロセスが始まる
2)予測というデータ - 将来に何が期待されるのか
3)実験結果(証拠)を元にしたその予測に対する確信度
これはC. I. Lewisによる、「知識は元のデータまたは観察の中から始まり、予測されたデータまたは観察の中で終わる。」という主張と合致します。
もし予測が正しかったことが検証されれば、その理論に対する確信度は高まります。シューハート氏は、「これはなにも抽象的なことではない、それこそ天気を予測するといった日常的なことにも応用されるものだ。」と言っていました。
あとがき
本文の中にある経験論などの話は哲学が得意でない(好きでない)人には抽象的過ぎたかもしれません。そこで簡単にここで解説します。
演繹的思考と帰納的思考
人間の思考には大きく分けて2つのタイプがあります。それは演繹的思考と帰納的思考というものです。
演繹的思考は、何か一般的に「正しい」または真実だと言われているものがあり、そうしたものを前提に論理的に正しい結論を導いていくというものです。そのため、論理的には正しいが、現実世界においてはうまく機能しないということが起こり得ます。ものすごく簡単に言ってしまうと「机上の理論」ということに陥ってしまうことがあるというものです。
これはアリストテレスによる天動説の説明が理論的には正しく聞こえるが、現実世界で天体の動きを観察しているといろいろと辻褄が合わないことが多くなってきたというのが例として挙げられます。ちなみにこの天動説は、無理やり辻褄を合わせようとした結果、とても複雑な理論になってしまいました。
逆に、帰納的思考では現実世界で観察できること、経験できることから証拠を積み上げていき、一般的な事象を説明できる理論として推測するものです。ここで出来上がった理論は絶対的なものではなく推測されたものであるため、いつまでたっても確率的なものとなります。より多くの証拠、またはそれを支持するデータが集まれば集まるほど、その信頼性は高まり、それが正しいと思える確信度は高くなるのですが、いつもそれは100%正しいとは言い切れません。こういったものを蓋然性といったりします。
マルクス、フロイト、アインシュタイン
科学の哲学者であるカール・ポッパーは、ある理論が真に科学的か、それとも似非科学かを見極める方法は、その理論が反証可能かどうかにあると主張しました。その理論による予測が検証可能であれば、それを反証することができるという意味です。
そこで彼が槍玉に挙げるのはマルクス経済学とフロイト心理学です。
産業化された社会では労働者が立ち上がり革命を起こす、と予測されたにも関わらずそうした社会では労働者たちが自ら立ち上がり革命を起こすことはありませんでした。逆に共産革命が成功したのは、産業化する前のロシアであって、さらにそれは労働者自らによるものではなく、外国からの勢力に導かれたものでした。
さらに、フロイト心理学に関しても、ポッパーは「反証可能でない」ためそれは疑似科学だと批判します。
フロイトの理論は、あなたの現在の問題は幼少時代の経験に起因するものだというものです。そこで仮に幼少時代、あなたは親から何らかの形で虐待されていたとしましょう。すると、これが今あなたが抱える問題の原因だというわけです。
ところがもしあなたが幼少時代、親に愛されて育ってきたとしましょう。すると、今度はあなたが幼少の頃に「甘やかされて」きたので、それが今あなたが抱える問題の原因だというのです。
つまり、因果関係のうちの原因が何であれいつも同じ結果に結びつくというものです。これではこの理論を反証することはできません。
これとは対照に、ポッパーが真の科学だとして挙げるのがアインシュタインです。彼の一般相対性理論を使うと、宇宙で起こる様々なことを予測できるようになります。例えば、この理論によれば光は重力によって曲がるということですが、この理論を唱えてから数十年後の日食のさいに、太陽の裏にある本来なら見えるはずのないある星の光が観測されました。つまり、アインシュタインの「光が重力によって曲がる」ということを理論を前提とした予測が正しかったことが確認されたのです。
この2つの違いは、1つは過去から現在を「予測」するため、つまり過去の解釈のための理論であり(フロイトの理論)、もう片方は現在から将来を「予測」するための理論(アインシュタインの理論)であるということです。
予測できるかどうか
科学の世界では予測した結果と現実世界で観察された(実験された)結果の辻褄が合っているかどうかの検証作業が重要となります。これは物理学や化学といったハード・サイエンスの世界では当たり前のことですが、経済学、心理学、社会学といったソフト・サイエンスと言われる分野では、実験環境を作ることが難しいこともあり、しっかりとした検証が行われることのないまま、何らかの理論が正しいと信じられたままになっていることが多々あります。
そのため、たとえ間違っていた場合でも、そうした理論はいつになっても軌道修正が図られることがありません。そうした理論は、話を聞いている分には納得し、ときには面白かったりもするのですが、私達が生きる現実世界においては使えない理論であるため、いくらそういった理論をたくさん知っていたとしても、私達の人生はいつになっても向上することがありません。
本文で述べられたように、デミングの知識のクライテリア(基準)というのは、デミングが言い始めたというよりも、科学の世界ではある意味当たり前であることをビジネスの世界に持ち込んだということにおいて有意義なことだと思います。
教科書という答えのある世界に生きている学生時代を卒業し、社会人になるとはっきりとした答えのない世界に入っていくことになります。そのような世界を生き抜いていくには演繹的思考だけでは足りません。帰納的思考を使って、現実世界から役に立つ知識を積み上げ、自分で答えを探していく必要があります。
現在のようにメディアが信用できない時代に、メディアの言うことは信用できないというのは簡単です。それでは、それ以外の信用できる情報源をどうやって探すかというのが難しい問題で、結局は同じメディアに戻ってしまうというのはよくあるパターンです。
この時代であれば、X(Twitter)やYoutubeといった既存のメディア以外でもっともらしいことを言っている人がたくさんいます。しかし、そういった人たちが正しいかどうかどうやって判断すればよいでしょうか?彼らは既存のメディアに比べて、ほんとうに正しいと言えるでしょうか?
ここで重要になるのが、このデミング・クライテリアです。つまりその人が主張することが予測に使えるような情報なのか、それともただの娯楽なのか、さらにそうした情報を元に予測したことが後になってほんとうに正しかったのか、こうしたことを自分で検証していくことで、そうした人たちや情報に対する自分の確信度を上げたり下げたりしていくことが重要です。
こうして自分の知識を作り上げていくのです。
もちろん、中には現実世界で確認しにくいこと、検証するにはかなり時間を要することもあります。それでも、絶えずその人の言っていることを100%信じるのではなく、絶えず適度な疑いの余地を残し、それを時間が経つとともに新しく観察される現実世界における出来事や情勢などと比べ、本当に正しかったのかどうか自分で検証する努力が求められます。
これはビジネスにおいても同じです。何かを改善するために効果があるだろうと思われる様々な施策がいつもあるものですが、それらが本当に正しいのかどうかは、やってみないとわかりません。そしてほとんどの人はやりっぱなしになってしまうのですが、ここでしっかりと検証する努力が求められます。
もし現実世界で観察された結果が予測した結果のようになっていないのであれば、もとに戻ってその施策が間違っている、またはやり方が間違っていると受け入れる勇気を持つ、またはそうした余地をしっかりと作っておくことが重要です。
人間ですので誰しもが間違いは犯すものです。想定した結果のようにならないことはビジネス上、そして人生を生きていくうえで多々あります。しかしその場合に重要なのは、そうした間違いから目を背けるのではなく、その間違いになるべく早く気づき、軌道修正を行い、早く「正しい」と思われる方向へ舵を切り始めることです。
最悪なのは、昨日まで間違っていた自分を守るために、明日からも間違い続けることです。昨日まで間違っていた自分に気づき、明日からはより「正しい」ことを行っていけるように決定するための日が、今日という与えられた日なのです。そのさいに、ぜひデミング・クライテリアを使い、毎日の時間をただ「情報」を得ることに使うのではなく、「知識」を獲得することにより多くの時間を使うことで、より良いビジネス、そしてより良い人生を培っていくことができればいいですね。
以上。
セミナー:デミング哲学 - 「深遠なる知識(知識の理論、ばらつきの理論、など)のシステム」
今週の水曜日の夕方、東京丸の内でデータリテラシー・セミナーを開催します!
データドリブンになろうとして始めた多くのプロジェクトが失敗に終わるのは、データドリブンという考え方そのものに問題があるからです。データを使ってビジネスを改善させていく組織に共通しているのはデータインフォームドな文化を持っているということです。
そこで、今回のセミナーではデータインフォームドな組織を作るための基本である以下の4つからなる「深遠なる知識」というデミング哲学について話をします。
- 知識の理論
- ばらつきに関する知識
- 人間心理
- システム的思考
この考え方を吸収できれば、データを見る目的、データの見方、仮説の立て方、データを使った改善の仕組みなどを整理することができ、データを使ってビジネスを改善していく組織へと変革していくことができるようになります。
これから自分たちの組織にデータ文化を作りたいがどこから始めていいかわからない、またはこれまで試したがうまくいかなかった、といった悩みをお持ちの方、または、データを上手く活用できるようになりたい、データの使い方、見方を学びたいという方、ぜひこちらの詳細ページよりお申し込みをご検討下さい。
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- 日付:2024年6月19日(水)
- 時間:18:30 - 20:00 - セミナー、20:00 -
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