
ハーバード大学の心理学者で世界的に有名なスティーブン・ピンカーというおもしろい人がいます。彼は、Enlightenment Now (日本語訳:21世紀の啓蒙)という本の中で、多くの人達はこの数十年の間に世界は悪い方向に向かっていると思っているにも関わらず、実はデータを見てみるとその逆で、世界はいい方向に向かっている、ということを数多くのデータとチャートをもとに説明していっています。
私もこの本が手元にあるのですが、かなり膨大な本で読み切れていないのですが、データに関わる人達には、ぜひ手にして頂きたいと思います。今見たら日本語訳の本もあるようです。タイトルがあまりにもわかりにくいですが。。。(Enlightenmentを啓蒙としてしまったことで、日本ではヨーロッパで16世紀に始まったEnlightenment革命が正しく認識されていないことが原因だと思いますが、それはまた別の機会に。)
ところで、そのスティーブン・ピンカーへの「One thing to change(一つだけ変えるとしたら)」という質問への答えがおもしろいと思ったのでここで紹介します。
One thing to change: Anecdotes aren’t data - Link
質問:世の中で間違っていることで、あなたが変えたいと思うものが一つあるとすれば何ですか?
スティーブン・ピンカー:政治家、ジャーナリスト、知識人、研究者たちを含むあまりにも多くのリーダーや影響力のある人たちが、データや事実ではなく逸話やイメージを通して世界で起きていることを評価しようとしている。このことで多くの人が認識のバイアスにやられてしまっています。
私達の大統領は、暴力的な犯罪が歴史的に見てものすごく低いこの時代にアメリカでは大量殺人が起きているという終末思想のもと就任しました。
彼の前の共和党の大統領(ブッシュ大統領)はとてつもなく大きな連邦政府の省(国家安全保障省)を作り、ほとんどの年では(訳者注:セプテンバーイレブンのテロが起きた2001年を除くということだろう。)ハチに刺されたり雷に打たれたりして死んでしまう人の数より少ない死者しか出していないような危機やテロから、アメリカを守るために2つの破壊的な戦争を始めました。
セプテンバーイレブンの攻撃の後、飛行機に乗ることを恐れる1500人の人たちは車の事故で亡くなりました。ボストンからロスアンゼルスまでの飛行機便に乗って死ぬ確率は車を12マイルほど運転して死ぬ確率と変わらないということを知らないままに。
Teslaの自動運転による一人の死亡事故は世界のトップニュースになります。しかし、人間が運転する車によって125万人もの人々が毎年亡くなっているということはニュースになりません。
気の狂った銃撃犯から隠れるための訓練を学校で受けることになってしまった小さい子どもたちは、その事自体がトラウマになってしまいます。車の交通事故、溺れる、といったことによって死ぬ確率に比べると、そうした気の狂った銃撃犯に襲われる確率はほぼ皆無と言っていいほどであるにも関わらずです。
いくつかの大きく報道された警察による発砲事件は、活動家に、マイノリティ(訳者注:黒人など)は人種差別な警察によって生死の危険にさらされていると思わせるのに十分でした。その後発表された3つの分析レポート(2つはハーバードの研究者から)のどれもが警察による発砲事件に人種差別的なバイアスはないと発表しているにも関わらずです。
破壊的な「統計的な知識の欠如」と「データに対する軽蔑した態度」を変えるには
多くの人は、この国はもはや修正することができないほどに、人種差別的で、男女差別的で、ホモ嫌悪感を持っていて、性犯罪が当たり前になっていると思っています。しかし、われわれが期待するほど速くはないかもしれないが、それでもこうした悲惨な現象というのは確実に減少の道をたどっているのです。
彼らに言わせると、「世界はどんどん貧しくなり、絶え間ない戦争によって疲弊している」ということで、右派の人も左派の人もグローバルな機関や企業に対して疑い深くなってきている。最近の何十年かでは、ひどい貧困や戦争による死者の数は大きく減少しているにも関わらずです。
最も大きな規模で脱炭素社会を実現できるエネルギーである原子力発電に対して、人々はひどく恐れている。それはスリーマイル島原発事故(一人も死んでいない)や福島の事故(この事故自体からの死者は一人もいなく、死者が出たのは津波や避難によるものだ。)のイメージのせいだ。
人々は、化石燃料は太陽光発電で置き換えることができると想像するが、そうした人たちは、現在増え続ける一方の世界の電力需要を満たすために、いったどれくらいの大きさの敷地がソーラーパネルによって敷き詰められなければならないのかの計算をしたことがないのでしょう。
彼らは、自発的な犠牲、例えばパソコンの電源を切ったりするといったことが気候変動に対して効果があると本気で思っていたりするのです。
それでは、どうしたら統計的な知識の欠如とデータを無視してしまうことによるダメージの問題を解決できるか?私達は、ファクトフルネス(ハンス・ローリングがそう呼ぶもの)を教育、ジャーナリズム、コメンタリー、政治の文化の基本にしなくてはいけません。
「人間の直感は頼りにならない」ということを、全ての教育を受けた人間の常識の一部となっているべきです。
データの出先を明確にすることなしに、注目を集めるイベントや事件に対する政策やアクティビズムを先導するのは、お告げや夢によって先導されていると同じくらい危険なことだと認識されるべきです。
以上、要訳終わり。
あとがき
本文にもあったように、現在のようなインターネットによる情報過多の時代にはよけいに注意しなくてはいけないのが、データによる根拠のない勝手な主張です。
残念ながら、大手メディアはこの件に関しては恐ろしいくらいに無責任で、データの裏付けのないニュースを、いたずらに人の感情を煽りながら、ページビューを増やすため、自分たちの利益を守るため、または敵を打ち落とすためだけに撒き散らしている状態です。
そこでわれわれ一般市民が自分たちを守り、さらに健全でよりよい社会を作っていくためにデータのリテラシーの向上が一刻も早く望まれます。
本文の中でも紹介されていた「ファクトフルネス」ですが、その日本語訳の本を前回日本に帰ったときに本屋でベストセラーになっていたのを拝見し、素晴らしい傾向だなと思いました。翻訳者の方たちが素晴らしいプロモーションを行っていたのも確かですが、やはりこういった内容の本が必要とされる土壌があったのではないかと、データの根拠のない推測をしています。(笑)
今回紹介した、スティーブン・ピンカーの書いた、「Englightenment Now」という本の中では、データとチャートを使って、いかにこの半世紀の間に世界は良くなってきたのかということを丁寧に説明していっています。
データに関わる人達には、ぜひ手にして頂きたいと思います。今見たら日本語訳の本もあるようです。
ところで、データ・リテラシーの向上には2つのステップがあると思います。最初は、直感や感情ではなくデータをもとに判断しようとするステップ。そしてその次が、データを鵜呑みにするのではなく、データから分かることと分からないことを明らかにした上で判断していこうとするステップです。
2番めのステップは一般的にはデータ・ドリブンからデータ・インフォームドへのステップと言われていますが、より多くの人がデータ・インフォームドな意思決定を行っていくことで、より健全な社会を作っていくことができればと思います。
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