概要
著者自身に関する振り返りをしている内容です。言語化が苦手だから改善のための方法とかを知りたいなどのニーズにはお答えできない内容です。
私が所属している会社は、評価観点として "学び"や"工夫"が重要視されていると感じます(あくまでも感覚)。
しかし、私は学びや工夫を言語化することが非常に苦手です。なぜ自分が苦手なのかを考える機会があったのでメモとして残します(自分と似たような境遇の方がいれば参考になったら幸いです)。
結論、基準線の認識ができていなかった。
それ(学びや工夫)を実現した、と自分が認識するにあたっての基準を自分自身で認識できていなかったのだと考えています。
- "学び"
- PJ前に自分が習慣的に事前学習しまくっており、PJ中に新規で学びを感覚を得づらい("予習済みだから授業で新しく学ぶことが少なく、"学び"の感覚を得づらいという状況に似てるかもしれません)
- "工夫"
- 達成困難なことを工夫にとって達成できるようにした、というのが私なりの"工夫"の定義ですが、自分が達成させてしまった時点で、「最初から達成可能なレベルの問題だったのだから工夫とは言えない」と認識してしまう
"学び"の言語化が苦手な理由
結論、「私が臆病すぎるが故に、意識的にしろ無意識的にしろ事前準備してしまっている」ことが原因だと考えています。
私が直面している事象は、自分でもわからないけど、知っていたことだから"学んだ"という感覚が持てず、言語化を促されても「いやとくに...ないけど...」となってしまいがちなことが多いです。
そういうことが起きてしまう原因の仮説ですが、2つあります。
- 後知恵バイアス
- 乱暴に言えば、本当は知らなかったけど、答えを知らされた時に「あぁそれ知ってたわ」となること。
- どこかで見聞きした内容であるが、それを思い出せない
後知恵バイアスは厄介なことに、自分で認識することが難しいため、考えを深めるのが難しいです。
今回は、後者についてさらに深堀って考えてみます。
自分は、そこそこ知的欲求が強い人間です。また、かなり臆病なタイプです。そのため、初めてやる仕事、これから必要になりそうな知識や経験があれば、事前に勉強してしまうことが多いです。
例えば、SQLを使った分析プロジェクトに参加することが決まったら、SQLを事前に勉強しておきます。いずれはマネージメントレイヤーで働こうと思っているため、学生時代は経営学の本やマネジメント系の本を読み漁っていました。
また、デザインやイラスト、古生物学、脳科学、歴史への関心が強いため、自然とそういった領域のニュースや本、webページをよく見ます。
それらの知識が無意識的に脳に蓄積されているため、実務において(特にPJ期間中に)得られた"学び"を問われても、「いやとくに...ないけど...」となってしまうのだと気づきました。
"工夫"の言語化が苦手な理由
結論、上述の通り、私がアクションして達成してしまった時点で、「達成可能なことを私が達成した」という感覚になってしまい、それは「工夫した」とは言えない感覚になってしまうことが原因だと考えています。
直面している事象としては、「工夫したことと言われても、やるべきことをやっただけだから工夫とかない」という感覚になってしまうこと。
原因の仮説ですが、
- 問題を解決することに夢中だから(解決するまでは苦しみを感じていても、解決した時点でスッキリしてしまい忘れてしまう)
- 「解決できない事柄を、解決しきれずとも ほぼ解決 できることをすることが"工夫"」と考えており、自分が問題を解決してしまったらその時点で、解決困難な問題ではない(解決可能な問題)という認識となってしまう
特に後者は例えるなら、カレーを作りたいときにカレールーが無いことに気づいたとします。問題はカレーを作るのに、ルーが無いことです。このとき取り得るアクションは3つです。
- ①カレー以外の料理に切り替える
- ②カレールーを買ってくる(調達してくる)
- ③カレールーを自作する
①はカレーではなくなってしまいますが、「美味しいものを食べたい」というニーズを満たすものが作れれば、問題を解決したこととなるので、私の中では工夫したことという認識ではなくなってしまいます。
②も③もカレーを作ることはできたので、問題を解決できてしまっています。この場合も私の認識は工夫した、とは言えなくなってしまいます。
まとめ
- 言語化できない自分に関する分析をして、言語化できない理由を言語化してみました。
- 共通することとして、「それをできた」と自分が認識するための基準線を自分自身が認識しておらず、学びや工夫があっても、それを認識できておらず言語化できていないのだろう、という結論になりました。
- もし、私と同じように言語化が苦手な方がいれば、私と同じように、自分にとってそれができたと思える基準線を認識できていないことが原因かもしれません。