アジャイルやデザイン思考は、イノベーションに向いているように見えますが、実は向いておらず、実は改善に向いている…という話をしたいと思います。但し、抽象化された本質的な論理を展開するのではなく、様々なところを決め打ちで論じますので、あくまでも一つの考え方としてお読みいただけますと幸いです。
「アジャイル×デザイン思考=イノベーション」という式は、「新規事業はセンミツ(3/1000の成功率)であり、正解は誰にも分からないのだから、ユーザー起点でアイデアを思いついたら、さっさとMVPをプロトタイプして、ユーザーに聞きながら、改良を繰り返していくのが良い方法なのだ」というロジックで成立していると思います。本当にそうでしょうか?
このロジックは「ユーザーは正解を知っている、もしくはユーザーは正しい判断ができる」ことを前提として成立します。確かにユーザーの想像力が及ぶ世界においてはその通りでしょう。しかしユーザーの想像力が及ばない世界においてはどうでしょうか?
ウォーターフォール開発とアジャイル開発の違いを説明するとき、しばしば車のMVPの例が用いられます。ウォーターフォールでは、最初にタイヤを作るけど、アジャイルではスケートボードを作るという説明です。我々は車を知っているのでこの例は正しいように思えます。しかし車が無かった時代に、一般人にスケートボードを見せて何が得られるでしょうか?もしかすると機関車が存在していれば、スケートボードを見せてそれなりに説明すれば伝わったかもしれませんが、では蒸気機関すら無かった時代ならばどうでしょうか?
アジャイル×デザイン思考は、ユーザーがイメージ出来る世界においてのみ有効であり、つまりは、既存事業や既存プロダクトの改善において非常に有効な手段と言えます。イノベーションは、ユーザーがイメージ出来ない世界を作り出すものですので、ここにおいては決して適切な手段ではない。
故スティーブ・ジョブズ氏は「ユーザーは答えを知らない」という主旨の言葉を残されています。故松下幸之助氏も故盛田昭夫氏も、故イ・ゴンヒ氏も、稀代のイノベーター達は、同じ主旨の発言や逸話を残されています。
ユーザー評価重視は、自分ではなく他人に判断をゆだねる行為とも言えます。
失われた30年を40年にしないためにも、「ユーザーは正解を知っているや」「よいアイデアは現場から生まれる」などの前提を疑ってみることが、今の日本に一番必要なことだと思います。