前段
技術共有のプラットフォームで書くようなことではないとおもうのですが、Advent Calendarというイベントということと、ちょうど私自身が振り返りをしたかったので、イベントにあやかる形で記事を書かせていただきます。
エンジニアを目指そうとしたきっかけ
私がエンジニアを目指したのは割と消去法でそのときの仕事が将来的にみても稼げない仕事だったからですね。。ちゃんとしたキャリアを構築して、所帯を持つかどうかはさておき、きちんと稼いで、良い人生を送りたいと思ったからです。。
今の仕事をしてても将来の年収が低いことは職場の人を見ていたら分かったし、かと言って他の職種の経験も知識もないので何かするにしてもゼロベースで始めなければいけなかった。学歴もないし新卒でもないし顔や愛想がいいわけでもない、そんな20代後半に差し掛かっている人間でも確実に勝負ができる職種としてエンジニアを選びました。
計画
そうは言っても、いわゆる「駆け出し」のころにたいそうな計画はなかったです。けれどもエンジニアを目指し始めたときに心に決めていたのは、粘り続けて勝つこと、諦めや往生際の悪いというような印象をもたれても、生き残り続けて、きっと軌道に乗せるということでした。
この方針には理由があって、エンジニアに転職したりエンジニアとして活躍するにあたっては、一番大きな要素が技術力≒知識の量だと思っていたからです。なので特定の分野に特化しようとしたら再現がないとは言え、転職してキャリアを軌道に乗せるくらいまでのレベルであれば、しっかり時間をかけて知識をみにつけていけばいずれ辿り着けるという考えでいました。
やったこと
1.進学
1番先にやったのが大学への進学でした。
エンジニアとして目指すのに進学????ってどういうこと??って思うかもしれませんね。この発想に至ったのには3つ理由がありました。
1つ目に、エンジニアとして活躍されている方々は基本的には専門学校であったりとか、大学・大学院で情報系の知識を身に着けてから新卒で入社されているということを知っていたこと。2つ目に、私が大学を中退していて、そういった学歴も転職で足を引っ張っていたので解消したかったこと。3つ目に、2つ目の解決策としてオンラインで通える大学という選択肢を知っていたこと。
このことから基本的に独学で勉強するにしても、オンラインの大学に通うことで、大学卒業時に新卒カード(30代でも使えるんですかね笑)を利用できるし、新卒カードでなくとも独学でそうやって大学を卒業できたということで、大きいアピール材料になると思いったからです。
とはいえ巷で話題のプログラミングスクールに通うほどのお金も無いし、サイバー大学でさえ私の予算を超えていました。なので、海外のオンラインで通える大学に入学することにしました。
ここらは別記事に参考情報として記載しているので、よければ見てみてください。
https://qiita.com/Gekiteniusu_Yogi/items/50cb05363e2fe704747b
2.IT系の仕事へのジョブチェンジ
次に手を付けたのがジョブチェンジです。
ここで”転職”としていないのは所属企業を変えなかったからです。当時私は派遣社員としてコールセンターに努めていて、派遣をやっているのであればSES事業もやっているんじゃないかと思い立って調べてみると、派遣元の会社=所属企業がSES事業をやっていたんですね。そこで派遣社員から、SESのITエンジニアとして切り替えてもらえないかと派遣の営業担当に相談し、その部署に取り次いでいただき、面接などを経てからSES事業部の人となりました。
ちなみに、この時点で2で述べたSES事業部への切り替え(異動?)に伴って大学は辞めてしまいました(在籍期間は1年ほどでしたかね)。単純に、物理的に時間が足りませんでした。SES事業部へ移ったときに、幸運にもJavaを扱う案件にアサインされることになって、そのキャッチアップを事業部に移動する前から始めていたので、それで手一杯になっていたからです。
3.自分の心が腐らないように試行錯誤すること
上記の通り、幸運にもSES事業部に移ってJavaを扱う案件にアサインされることになるのですが、ちょっと変わった案件でして、開発や保守と言ったものではなかったんです。Eclipseくらいは触りましたが、業界で言う”実務経験”に該当するかと言われれば違ったものだと思います。そのとき所属していた企業の方針的には、開発の案件に参画させるような方針だったと思うのですが(所属も”開発”という分類で、他のITサポート系とは分けられていたので)、コロナと重なったからなのか、当時の営業担当がえいやで放り込んだだけで私の意向を汲み取ってくれなかったからなのかわかりませんが、その先2年ほどでしょうか、開発の案件に入ることはなかったです。
このときは結構しんどかったです。案件の切り替わりがいつになるか先が見えなかったし、何なら非ITの案件先で幸運にも先方に気に入っていただけて、色々任せて頂いてたのですぐにチェンジということもなかったからです。
自社にアピールしようとして当時自社で推進していたAWSの資格取得をしたり、Javaも腐らせたくないと思って資格を取ったりしていました。
ただ、どうしてもやる気が起きないとか、不安に押しつぶされることってあると思うんですね。なにせ自分の頑張りが認められない上に、本当に自分の意向(開発に携わりたい)が届いているのかも怪しかったですから。
そういう時期は2−3ヶ月くらいプログラミングの勉強をしていなかったときもありました。気晴らしじゃないですが、デザインだったりマネジメントだったり、マーケティングだったりと別の分野を学習することにしていました。きっとそういう周辺知識も、開発という分野に携わっていれば話に上がったりするかもしれないし、何なら開発ってサービスをスケールさせるためにやるものだと思っていたので、必要になるだろうと思っていたからです。
あとは筋トレとかやってました。エンジニアとして知識が不足気味でも、自己管理能力が高そうという印象を与えることができれば、ポテンシャルを評価してくれる企業があるんじゃないかと思ったからです。あとは単純にかっこよくなって、自己肯定感が上がれば、幸福度も上がるし、色々うまくいくんじゃないかと頑張ってましたね。
そんなこんなでやっと
ITエンジニアを目指し始めてからどれくらい経ったか、正直履歴書とか見てみないとわからないですが(たぶん4年くらい?)、アプリ開発のエンジニアとして今年(2022年)の9月からキャリアの第一歩を踏み出すことができました。
上記に書いたことは転職するまでにやったことの大雑把なまとめです。
もっと最短ルートあるよ!みたいな意見はごもっともだと思いますが、私の場合は自分と向き合ったり、仕事観を変えてみたり、そのときに必要だと感じたエンジニアリング以外のことにも色々挑戦できたので、それなりに納得しています(満足はしていません、理想主義なので…というかやっとスタート地点なので)。
それに、必要だと感じたものを欲張ってあれもこれもやってたおかげで、今の会社ではその経験や知識を活かせていてとても楽しく感じています。
あきらめないために
月並みですが、やっぱり「あきらめない」って大事だと思います。
思考の柔軟性とか、論理的思考能力とか、そこらへんのバランスも大事ですけど、スタンスとして「あきらめない」というのは大事だと思います。
「あきらめない」ために何をするか、「あきらめない」を継続するために自分をどう変えていくか、仕組化していくか。そこができれば転職も、その後のキャリアもある程度は上手くいくんじゃないでしょうか。