電荷分離動力学における補助元素
Caの役割についての興味深い実験事実が存在する. それは電荷分離動力学におけるCaの補助元素としての役割である.
MnクラスターでのCaの重要性
光合成タンパクPSⅡ中のMnクラスターで水分解反応と電荷分離が行われる. このPSⅡにおける水分解サイクルの過程で, Mnクラスターが酸化数や構造が異なる複数の状態を経ることは前節で述べた通りである. このMnクラスターからCa原子を除去すると, Mnクラスターの$S_{2}$状態から$S_{3}$状態への転移が妨げられ, 水分解サイクルが阻害されるという実験結果が報告されている.
この実験事実はCaがMnクラスターの構造変化, ひいてはPSⅡでの水分解サイクルにおいて構造的に重要な役割を果たしていることを意味する. さらに, PSⅡ中のMnクラスターのCa原子を他の金属原子と置換し, 同様に水分解サイクルが行われるかが様々な実験研究で検証された. それらの数多くの実験研究において, Caと置換して同様に機能する金属種はSrのみであることが確認された. 実際, Caと同じ2族元素に属するMg原子への置換を行ってもPSⅡの水分解能を修復することはできなかった.
このようにPSⅡにおいて水分解反応が駆動されるためにはMnクラスター中にCaが必要であり, Caと代替して同様にPSⅡ中で機能する元素はSrのみであるということが実験研究から明らかになっている.
一方, このCaの重要性について議論されているが, 対象とするMn酸化物の種類によってその役割が異なる. 単核Mn酸化物の系ではCaが電荷分離の再結合を抑制し, 効率を高めることが明らかにされている. 一方, 二核以上のMn酸化物ではCaが存在しない状態でも水分解サイクルが駆動されることが理論研究により明らかにされた. この研究結果から, 実際のMnクラスターにおいてはCaは電荷分離動力学の駆動に直接には寄与していないのではないかと推定される. しかし, MnクラスターでのCaの役割に関する問題はこの推定ほど単純ではない. CaがMnクラスターにおいて構造的な役割を果たしている可能性が高いことも指摘されているが, 水分解サイクルのそのメカニズムの複雑さからMnクラスターにおけるCaの役割に関しては完全には解明されていない謎が多い. よって, Mnクラスターの電荷分離動力学へCaが寄与していないとは断定できない.
電荷分離動力学における補助元素としてのCaの役割
Mn酸化物での電荷分離動力学を主題とした先行研究の成果は我々にPSⅡにおけるMnクラスターの進化の過程を示唆する. 太陽光のエネルギーを電荷分離という形で電気エネルギーに高効率に変換するためにOECの構成元素としてMnが選ばれた. Mnは0から+Ⅶまでの幅広い範囲の酸化数を取ることが可能でかつ, 地球上に豊富に存在するという特徴を持つため, 水分解反応を駆動する光触媒として最適であった. そして, PSⅡの進化の初期にはMnクラスターは単核Mn酸化物の形に形成されたと予想できる. ここで, 先行研究が示すように単核Mn酸化物単体では高効率な電荷分離を生じさせることが困難であった. そのため, 現在のPSⅡ中に含まれるCaのような電荷分離を促進する補助元素が必要であったと推測できる. そこでMnと同様に地殻中に豊富に存在するCaが原初のMnクラスターに取り込まれて高効率の電荷分離を実現し, 周囲のタンパク質との電子のやり取りも併せて原始的な光合成反応を行っていたと考えられる. もちろん当時の太陽光の波長や大気の組成は現代とは異なるが, 研究結果からCaが補助元素として初期のPSⅡ中の電荷分離に寄与していたと容易に推測できる.
PSⅡのMnクラスターは初期の単核Mn酸化物の形から徐々にMn原子数を増やす方向で発展し, 現在の$Mn_{4}CaO_{5}$クラスターに形成されたのだと考えられる. しかし, このMn原子数を増やす過程において複核Mn酸化物単体で十分な効率の電荷分離が生じ, 水分解サイクルが駆動されることが理論的なアプローチで解明されている\cite{mn5-7}\cite{mn5-8}. ここで一見電荷分離動力学においてCaは不要に考えられるかもしれないが現在のPS\ajRoman{2}中でCaが担う役割には未だ多くの謎が存在する. よって, Mnクラスターの発展の過程において様々な理由でCaに水分解サイクルで不可欠な理由があったために現在まで残り続けたのだと考えられる.
PSⅡのOECの構成元素には, 幅広い範囲の酸化数をとり, 酸化力を柔軟に変化させて触媒サイクルを駆動させる能力が必要である. 人工の酸素発生型光触媒の構成元素の設計では, Mnの他に同じ特性を持つFe, Ru, Reが用いられることが多い. 実際, これらの元素は以下のようにMnと同様に高い酸化状態を取ることが可能で, 酸化数の変化の制御や化学修飾のよって酸素発生型光触媒の構成元素として利用されている.
現代の光触媒における化学修飾の重要性
このようにCaの機能性は, 光合成の枠組みを越えて光触媒における補助元素の重要性を我々に示している. 実際, 光触媒の開発において補助元素の存在によって触媒活性の向上が見られた例が多く存在する. その1つが光触媒$Ta_{2}O_{5}(N-Ta_{2}O_{5}$)である. 半導体$Ta_{2}O_{5}$に窒素をドープした$Ta_{2}O_{5}(N-Ta_{2}O_{5}$)は窒化物イオンと窒素原子の2p軌道の寄与に寄ってp型半導体と類似した光応答挙動を示し, 波長500 nmまでの可視光を吸収するようになる. これと他の金属触媒との組み合わせて炭酸溶液中に投入すると, 可視光照射によって光触媒として働き, 酸化還元反応によって酸素や一酸化炭素, ギ酸が生じることが報告されている. このように半導体$Ta_{2}O_{5}$に補助元素として窒素をドープすることで以上のような光触媒活性を持つことが昨今の研究成果によって知られている. ただし, この例はあくまで半導体の光触媒のものであり, 単核Mn酸化物の系とはメカニズムが大きく異なることも留意しなければならない.
半導体だけでなく分子触媒においても補助元素などの化学修飾は重要である. 分子触媒は分子レベルで触媒反応を制御可能であるため, 近年は金属錯体が光触媒として注目され, 補助元素や置換基の導入という化学修飾によって光触媒反応の制御に関する研究が数多く行われている. 実際, RuやOs, Ir, Re, Fe, Mnに置換基や補助元素のドープという化学修飾を行うことで触媒活性をもたらしている例が数多く存在する.
このように光合成の応用に限らず, 光触媒反応における補助元素や置換基の働きはより高効率な光触媒や電気素子の開発に向けて重要である. Mnを用いた系での高効率な電荷分離の実現のため, 原子のドープや置換基導入などの組み合わせが重要となる可能性があることは以上の内容から明らかである.
参考文献
杉浦美羽, 伊藤繁, 南後守, "光合成のエネルギー変換と物質変換" 化学同人, (2015)