思えば、この国の企業というものは、常に「新しきもの」に飛びつく習性がある。デジタル変革という黒船来航のようなフレーズが世に広まるや否や、経営層は顧問先のSIerやITコンサル、ベンダーの甘い言葉に耳を傾け、「これさえ導入すれば我が社も一流のデジタル企業に!」と気勢を上げた。
しかも、こうした「ノーコード万能論」「DXツール絶対論」の背後には、得体のしれない渦が蠢いている。SIer、ITコンサルティングファーム、ベンダーの営業部隊──彼らは虎視眈々と企業の膝元を狙い、自らのツールを「唯一の解答」として売り込んできた。提案書は美辞麗句に彩られ、要件定義から要員派遣、運用保守まで一括請負。経営層は「これなら間違いない」と思考を放棄し、結局はベンダーの切り売り合戦に巻き込まれてしまったのだ。
かくして企業内部では、自ら探求し判断する力が失われた。新たなツールやプラットフォームが登場するたびに、「とにかく導入してみよう」という無反省な流れが繰り返される。結果、「DX推進」という錦の御旗のもと、常に“誰かが売りたいもの”を買わされ続け、深い検討もなく標準化・共通化を急ぎ、気がつけば自らの足下をベンダー依存に固めていたのである。
筆者の勤める非IT企業でも、この波に乗り遅れまいと、三年前にPower BIやPower Appsが導入された。営業部の田中氏が簡易レポートを生み出し、経理の佐藤氏が申請フォームを自作する光景を目の当たりにし、経営陣は「これぞDXの勝利」とばかりに胸を張った。
だが理想は、水面が静かな湖のように美しくても、その下はさまざまな障害に満ちている。Power Appsを突き詰めようとすれば、やはりPowerFxの習得が不可欠となり、DAXもまた避けて通れぬ礎石と化す。外部APIとの連携を試みれば、結局JavaScriptやC#の知識が要り、もはや「ノーコード」とは名ばかりの「別言語コーディング」ではないか。
そうして「やはりIT部門に丸投げ」という声が各所から上がり、筆者は半年に渡ってPower Appsのマクロと格闘せねばならなかった。あまつさえ、本来の業務そっちのけである。これを本末転倒と呼ばずして何と呼ぶべきか。
ところが、昨今の技術は劇的転換を迎えた。生成AIの到来である。ChatGPTをはじめとするモデルが、実務レベルのコード生成を可能にし、まさに技術史における大波が押し寄せた。
先月である。営業部から「顧客データ分析と売上予測システムを作りたい」との要請が舞い込んだ。従来なら「Power BIで検討します」と返すところであったが、思い切ってChatGPTに要件を投げてみた。日本語で「こういう機能が欲しい」と伝えれば、Python+Pandasでのデータ処理、Streamlitによるダッシュボード、さらにDockerでのデプロイ設定までもが、わずか三十分でそろい踏みする。
PoCとしては文句なし。営業部は「これで十分」と満面の笑みを浮かべた。だが、ここからが地獄の始まりである。
情報システム部長は言った。「素晴らしい。では本番はPower BIで再構築しよう」。つまり、AIが十数行でまとめてくれたロジックを、今度はDAXに翻訳せよというのだ。Pythonなら一行で済んだ機械学習処理は、Power BIでは断片的機能に分解され、精度もパフォーマンスも大幅に劣化する。
この現象を、筆者は「PoC逆ザヤ問題」と呼ぶ。生成AIによって数十分で作れるものを、DXツール適用の名のもとに数日から一週間かけて劣化版に移し替える――本来DXが志向した「迅速な価値創出」とは、まさに逆行である。
この問題は、企業のあらゆる現場で再現されている。開発部門では、AIで作った機能美あふれるプロトタイプをPower Appsに移植するため、インターフェイスは大幅に簡素化される。人事部では、PythonとFlaskで実装した勤怠管理システムを、Power Platformの制限に合わせて必要最小限の機能だけ残すことを余儀なくされる。
経営層は未だ気づかない。「DXツールを導入したから、うちは最先端だ」と。しかし、現場では、AIで五分で作れるものを五日かけているのである。このどこがデジタル変革なのか。
結論を急ごう。ノーコード・ローコードツールはあくまで過渡期の策であった。生成AIが実用の域に達した今、「コードを書けぬ者にもアプリを作らせる」という価値提案は、「AIがコードを書いてくれる」に取って代わられたのである。
ゆえにDX担当者に必要なのは、Power Appsの操作技術ではない。AIに適切な指示を行う「プロンプト設計力」と、生成されたコードの品質を厳しく見極める「コードレビュー力」である。
提言する。DXを再定義せよ。「ノーコード推進」から「AIコード生成活用」へ。PoCから本番運用までAIを一気通貫で活用する開発プロセスを整備し、セキュリティとガバナンスの新基準を策定せよ。KPIも「ツール導入数」ではなく「価値実現までのリードタイム」で測るべきである。
われわれは今、技術史の大転換期に立っている。ノーコードの時代は終わりを告げ、AIコード生成の世が始まろうとしている。DXを撤回せよとは言わぬ。しかし、DXを進化させる時は来たのだ。
さもなければ、筆者は今日もまた、生成AIが十数行で書き上げたものを、Power Appsで何日もかけて劣化移植する不毛な旅路を歩み続けることになる──それこそ、歴史と技術の進歩をないがしろにする愚行というべきであろう。