"破滅は音を立ててやってこない。静かに忍び寄り、設計の盲点を貫く。"
未定義動作(Undefined Behavior)。
この言葉は、CやC++の世界で聞き慣れた警告だが、Rustにおいても油断は許されない。
なぜなら、Rustの安全は“unsafeを使わない限り安全”という契約に依存しているからだ。
しかし逆に言えば、unsafe
を使った瞬間、そのコードは“自己責任”の領域へと放り込まれる。
Rustは、その自由に対して「では、責任は構文で取れ」とは言わない。
代わりに、「実行時に検証しよう、正しさが破られていないかを」と語る。
この哲学の実装が Miri である。
本稿では、Miriというツールがなぜ特別なのか、そしてそれが開く「構文では見えない正しさ」の未来を解き明かす。
Miriとは何か?:Rustのメタ実行機械
Miri は、Rustコンパイラの一部として動作する インタプリタベースの実行検証エンジン である。
名前の由来は「Mir interpreter」──Rustの中間表現 MIR を評価する仮想的な実行器だ。
Rustコードを「**抽象構文木からコンパイル直前の中間形に変換」し、それを“解釈”する形で実行する。
このアプローチにより:
- 通常のバイナリでは検出不能な未定義動作を検出
- ポインタの二重可変借用、解放後アクセス、未初期化メモリの読み取りなど
- コンパイル後だが、構文より深く、実行より静かに動作する検証器
未定義動作とは「型では捕まえられない崩壊」
Rustは型と借用チェッカーで非常に多くの誤りを排除できる。
しかし unsafe
を使うと、その外側へ踏み出せる:
unsafe {
let mut x = 10;
let r1 = &mut x;
let r2 = &mut x; // UB:同時に2つの可変参照
}
コンパイラはこれを許す。なぜなら構文上は正しいから。
だがこれは、実行時には「何が起きるか分からない」世界=未定義動作を生み出す。
Miriはこのような「型では制御できない時間的構造の破綻」を検出する。
“構文では見えない構造”を、仮想的に実行して照らす
Miriのすごさは、Rustのコードをそのまま仮想的に“逐語的に解釈”するという点にある。
- メモリの初期化状態をすべて追跡
- ポインタごとの借用状態を記憶し続ける
- スタック上の寿命・ライフタイムを型情報よりも精密にトレース
これはもはや単なるテストではない。
“意味を構文から切り離し、実行の文脈で再検証する”動的静的検証なのだ。
Miriを使うとは、“責任を確認する行為”である
使い方は簡単だ:
cargo +nightly miri test
これは、「#[test]
に書かれた全ての関数を、未定義動作がないか仮想実行しよう」という命令である。
実際に破綻があれば、次のような明確なエラーメッセージが出る:
error: Undefined Behavior: multiple mutable references exist
--> src/lib.rs:10:5
これは、構文ではなく、“構造そのものが崩壊していた”という証明だ。
unsafeコードが開く“闇”を、Miriが照らす
Rustは unsafe
によって次のような力を開発者に与える:
- 生ポインタの操作
- グローバル変数の変更
- メモリの手動割当・解放
しかしその代償として、「このコードはコンパイラの保証対象外である」。
Miriはこの領域に対して、「**では、実行時の意味として正しいか?」**を問い直す。
これはまさに、設計の自由に対する、実行時保証の再配置である。
Miriの限界と未来:完全検証への欲望
Miriは強力だが万能ではない:
- 実行時間が遅い(インタプリタ方式)
- 一部のライブラリ呼び出しに非対応
- グローバルに副作用のあるコードは制限される
だがそれでも、Miriの存在はRustに“言語では拾いきれない破綻を拾う文化”を根付かせた。
そして将来的には、以下が期待されている:
- コンパイラ統合による逐次検証
- IDEへの統合支援(保存時チェック)
-
unsafe
ブロックの定期スキャン
結語:Miriは“意味の継続検査装置”である
Rustは型で安全を担保する。
だが型では扱えない「時間の中で起こる崩壊」がある。
Miriは、その崩壊を構文ではなく仮想的構造の実行によって可視化する検証器である。
それは単なる静的解析ではない。
また単なる実行でもない。
それは、設計された意味の内側を、構造として照らす倫理的な装置である。
"意味の崩壊は構文では止められない。だが、その崩壊を見つめ、言語の未来へ還元することはできる。Miriは、そのための眼だ。"