未来の不確実な残酷さ
今回のアドカレンダーに向けた記事は当初、エンジニアになりたてということもあり、とんでもなく尖がった記事を書く予定でした。
今回の記事に備えて事前に本10冊くらいを購入し、シリコンバレーを駆動させるカリフォルニアンイデオロギーと、その2大潮流であるプラットフォーム+AIの思想と、コンピューターの思想を批判的に検討し、日本的サブカルチャーの想像力との接続について研究していました。
しかし恐るべきことが今日の朝突如起こったのです。なんと12/8の朝に投稿しようと書き上げた原稿のデータが消えてしまいました。3週間くらい研究して書き溜めた原稿が、保存もせず書いていたところに、パソコンがクラッシュしてものの見事に消えていたのです。
正直言って年の瀬にこんなことが起こるなんてと、世の中全てを呪いました。この年になって、世の中には報われない努力があるのだと知りました。
もしも前日の僕が未来を予見することができたなら、事前にしっかり保存して今日は悠々自適な一日を過ごしていたことでしょう。
しかし残念ながら人間は、そんなに簡単に未来を想像することができません。未来を想像できない人間に、未来はいつだって残酷です。
もし未来を想像できたなら、2000年代初期にビットコインを購入し、Appleに投資をして、今頃大富豪になっていたかもしれませんが、そうならなかったことが未来を想像する難しさを証明しているかと思います。
未来は丸い手の中
しかしこんなことで僕はへこたれません。今後同じミスを起こさない為に、未来を予見できる想像力をどうにか手に入れ、次回こそは保存忘れを未然に防ぎたいです。
そこで僕は1970年代後半に、I Phoneと類似するプロダクトを思いついた人物、ジョブズが発表する約20年前に未来を想像していた人物について考えようと思います。
あなたはその人物を詳しくは知らないかもしれません。
そのアイディアを思いついた人物をよく知らなくても、彼が考えた、ずん胴で、まん丸い顔をした、まん丸い手をした、ネコ型のロボットのキャラクターは知っているはずです。
そう、そのキャラクターとはドラえもんです。そしてI phoneに類似するアイディアとは、ドラえもんの未来の道具の一つです。
ドラえもんの想像力の秘密
その未来の道具とは、1970年代後半に登場した「オコノミボックス」のことです。オコノミボックスは、「カメラになあれと」言えばカメラになり、「プレイヤーになあれと」言えば音楽再生プレイヤーになり、「テレビになあれと」言えばテレビになります。
オコノミボックスで描かれた体験は、僕たちの手の中に握りしめられているI phoneによって実現しています。
そして実現したドラえもんの未来の道具はこれだけにとどまりません。どんな言葉にも翻訳してくれるほんやくコンニャクは、Deep Lと言った自動翻訳ソフトとして、すでに世界に実装されてますし、現在は同時通訳のデバイスも実装し始めています。
しかし問題は、なぜドラえもん=藤子F不二雄は約20年前にこれだけのアイディアを思いつくことができたのかということです。
この点について評論家の宇野常寛氏は、ドラえもんはのび太の成長にではなく、欲望に応え続けたことで、その発想を勝ち得たと指摘しています。
藤子・F・不二雄の想像力はあのジョブズのそれを20年以上先取りしていたのだ。そして、このような想像力の豊かさを育んでいたのは、のび太が「成長しない」からだった。成長せず、毎回同じように欲望を、夢を追求していたからだ。ドラえもんが、のび太の人生を改善するという使命を半ば忘れ、彼の欲望に応え続けていたからだ。僕たちはあのドラえもんの、半永久的に反復されていたのび太の欲望とその秘密道具による実現に、想像力を刺激され、夢を見ていたはずだ。
のび太の欲望とは何なのか
成長に応えず、欲望に応え続けるとはどういうことなのでしょうか。
のび太はご存知の通り、頭が悪く、運動神経も悪く、顔もたいして良くなく、気が弱い、一人では何もできない男の子です。
仮にのび太の成長に応えるとは、頭が良くなるように勉強させたり、スポーツが得意になるように練習させることです。
しかしドラえもんはそのようなことを、のび太に強要しません。そしてのび太も決して自分が向上する方向に行こうとはしません。
むしろドラえもんは、のび太自身の状態を維持したまま、課題を解決するために、未来の道具を半月型の白いポケットから取り出します。頭が悪くてもいい点数がとりたい、その欲望に対してドラえもんは、暗記パンで解決しようと試みます。
のび太は、頭が悪いまま、テストでいい点を取りたい、運動神経が悪いままスポーツが上手くなりたいと欲し、ドラえもんに泣きつきます。
このできないままの状態、弱いままの状態を維持したまま、課題を解決しようとする時に、欲望が生まれるのです。
欲望に応えるとは?福祉をもとに考える。
ではなぜこの成長でなく欲望に応答しつづけること=弱さを維持した課題解決が、新たな想像力を生み出す土壌となりえるのでしょうか。
そのヒントを、自身も身体に脳性麻痺を抱えながら、障害を取り巻く環境を研究している東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎准教授の研究から得ながら考えようと思います。
一般的にある人が障害を抱えていると考えるのはどんな時でしょうか。おそらくはこんな状況を目撃した時ではないでしょうか。
エレベーターがない駅の階段の登り口で、車椅子に乗っている人がいる。その人はホームに行くことができずに困っている。遠巻きからこの状況を眺めていたあなたは、 「あの人には足に障害があるんだ」とおそらく考えるのではないでしょうか。
熊谷氏は、このような「ある人の身体の中に障害が存在している」とする考え方を医療モデルと呼びます。一般的に広まっているこの考え方は、実は障害に対する1980年代以前の捉え方になります。
熊谷氏はこの医療モデルは障害を捉え損なう可能性があるとし、これと反対の障害に対する考え方を広く社会に広めようとされています。
そのもう一つの障害に対する考え方は社会モデルと呼ばれます。
先ほどの例で言えば、駅の階段で立ち往生している人を目撃した際に、障害がその人の身体に存在するのではなく、足が悪い人が昇れないようにしている駅の構造やサービスそれ自体に、つまり「社会環境の中に障害が存在している」と考える捉え方です。
そして重要なのは、この社会モデルの捉え方であると熊谷氏は指摘します。
医療モデルの考え方に従えば、障害が存在するのはあくまで個人の中であるため、障がいを持つ人は、あくまで自分の障がいを解決することを強いられます。
このような医療モデルが支持されていた1980年代に幼少期を過ごした熊谷氏は、根本的に治療することができない身体を無理矢理リハビリし続けて、大変辛かったと当時を振り返っています。
反対に社会モデルの考え方が普及し始めて以降は、解決すべき障害は社会環境に存在するため、それを解決するためのイノベーションが生まれ非常に助かったとも述べています。
これは、階段をスロープにしたり、エレベーターを設置したりはもとより、自動運転の車椅子や、階段を上り下りできる車椅子の開発に繋がっていることからも理解ができると思います。
弱さがイノベーションにつながる
つまりこの社会モデルの捉え方が示すように、弱さを弱さのままで課題を解決しようとした時に、イノベーションが必要になるのです。
弱さを弱さのまま課題を解決する発想は、身近な例で言えば、視力が悪いままでも遠くが見えるようにする眼鏡にもつながっていると思います。
そしてここで思い出して欲しいのは、この社会モデル的アプローチが、ドラえもんののび太に対する態度と同じということです。
体の不自由さをそのままに、課題を解決する社会モデルと、のび太の弱さをそのままに、その欲望に応えようとする態度は同じ構造と言えるでしょう。
そしてこの態度こそが、ドラえもん=藤子F不二雄が、現在まで届く射程の長い想像力を持ちえた一つの理由ではないでしょうか。
そしてこのドラえもん的想像力にこそ、テクノロジーの本質に迫る想像力があります。
ジーズアカデミーのファウンダーである児玉先生は、以前会話の中で、人類の歴史は、力が弱い人、身体が弱い人、社会的地位が低い人が弱いままでも社会に参加できるようにしてきた歴史だと言われていました。
そしてその歴史を支えてきたのが、テクノロジーの発展であると。
ということは、ドラえもん的想像力を駆使すること、欲望=弱さに応答しつづけることが、テクノロジーの本質に近づくことではないかと考えられます。
欲望=弱さに応えるハッカソンやるよ!
だからこそ、その第一歩として、在学中に学んだ「作りたいものを作る」という精神=自分の欲望に応えることが非常に重要になってくるのではないでしょうか。
僕は去年の1月にジーズアカデミーを卒業しました。そしてエンジニアとして働いている今だからこそ、この精神をより一層深めていきたいと考えています。
そこで明日12/9に、作りたいものを作って欲望に応えるハッカソン-Jackasson-を有志と共にキックオフすることにしました。よかったらぜひ見に来てください。たぶんたくさん見に来てくれるのではいか、そんな未来を想像してます。賢明なみなさんはお気づきでしょう、そうこれはハッカソンの告知だったのです。最後まで読んでいただきありがとうございました。