死者の定義
ここでは、現実におけるプログラマが日常的に出会う死者、即ちレガシィシステムを死者と定義する
死者を蘇らせて欲しい人々
悲しいかな、世の中には死者の復活を願う人が数多く居る。
それも、主に極一部の人々で、それら死者が復活したとしても誰も喜ばない。むしろ、苦労と血反吐と狂気しか生み出さないにも関わらずだ。
なぜ、彼らはそこまで死者に復活して欲しいのだろうか。
端的に言えば、変化をしたくないからである。
死者を愛する人々は日常的に定例作業を愛する人たちである。
常に同じことを同じ時間同じように行えるのが幸せな種族なのである。
一方、死者を憎む種族(即ちプログラマ)は、常に異なること、(出来るならば)あらゆる時間帯に、(出来るならば)あらゆる事柄を行いたい種族である。
違う物を交換する
古き良きを愛する人々のほうには力(主に金)があり、新しく更に良い物を愛する人々の方には知識(技術力)がある。
そうして、両者がお互いに無いものを得ようとする時、交渉が生じ、結果として力と知恵の交換が行われる。
そこに起きる悲劇
知恵が欲しい力ある者たちは、ネット上などに掲載されている情報を鵜呑みにし、非常に簡単に自分の願望が叶えられると信じこまされる。
それは盲信に近いものだが、彼らにとってはそれは真実なのである。
(或いは事実に脳内変換される)
知識がある人々にとって、非現実の事がらが、知識がない人々にとっては現実の事柄になるのである。
これは、悲劇としか言いようがない。
救世主(メシア)の登場
いつでも、どの時代でも人々は救世主を求める。そう、スーパーエンジニアの登場だ。
どの会社にも一人や二人くらいスーパーエンジニアが存在する。略してSEだ。
彼らはあらゆるプロジェクトに突っ込まれ、神業の如き知識と知恵を振り絞って多くの問題を解決していく。
時にはノンプログラミングな方法での解決法すら提示することがある。
そして、必要があれば、死者をレガシィシステムを復活させる(或いは延命させる)
まさに、メシアなのである。
そのメシアたち(敢えて複数形)は常に思っている。
死者を蘇らせたくは無かったと。
レガシィシステムは、既にその役割を終えて、良き眠りについている時代にも関わらず、変化を望まない人々はレガシィシステムを限界を越えて扱おうとする。
それは、古き良きを愛する人々のエゴであり、そのエゴをゴリ押す為の力(資金力)なのである。
知恵ある種族は血反吐を吐きながらその力に従わざるを得ない時がある。
何故ならば、自分たちには力(主に金)が無いからだ。
歴史は繰り返す
とはいえ、そのような血反吐話は日常茶飯事の事だし、今までみんなやってきたし、これからも行い続けるのだろう。
SE(Super Engineer)は、いつまでも戦い続ける。
毎年多くのSE(System Engineer)を犠牲にして、数匹のSE(Super Engineer)が生まれている。
これは、力と知恵が微妙な釣り合いを保っているIT業界における日常の神話、いや、人話である。