はじめに
この書籍は、日本の企業が「成果主義」を導入してどうなったか、を観測し分析したものになります。
現在では当時より更に多くの企業が成果主義に移行していますが、成果主義ではなかった時代に対してどのような変化が合ったのか、どんなメリット/デメリットが言われていたかを知る良いケースかと思います。
誤解ないように!!
本書は2000年初頭(過去)の「富士通」を扱ったものです。現在の「富士通」の実状とは異なります。本書の主題は富士通ではなく成果主義の事例という点となります。
ポイント
成果主義と目標管理制度
- 1993年、バブル崩壊で単年度赤字を契機にシリコンバレーの成果主義を真似て始めた。
- 制度概要
- 部門ごとの目標作成と個人へのブレークダウン。
- 評価結果の賞与・給与への反映。10倍もらえる人もでる。
- 裁量労働性の導入。極論すれば毎日会社に出なくても良い。月の最低労働時間も定められていない。
- 管理職への導入、5年後に全社員に導入。
- スーパーパフォーマーを生み出す仕組み。
優秀な人材から離職
- 成果主義で「スーパーパフォーマー」を目指すどころか、優秀な人材ほど会社を去っていった。
- 他者からエースを引き抜くという戦略は最初はうまく言ったが、徐々に、他者をリストラされた人になっていった。
人事制度の歪み(相対評価への当てはめ)
- 人事が事前に評価の分布被率を作っていて、そこに合わせていくことが「評価委員会」という名目で行われていた。よって、上司と合意した評価結果は「評価委員会」にて一方的に変更される。そして下がった理由は通知されなかった。
- 評価委員会では、新任の部長の配下の担当者が犠牲になることが多かった。
チームから個人へ
- 制度導入後、チームで1つの成果を上げていた社員が、自分だけの目標に固執するようになった。
- 目標シートに書けない隙間業務、トラブル対応や仕様変更対応などは、誰も自分からやろうとしなくなった。
- 「富士通製品は質が良くない」と聞かれるようになった。品質チェック部門は数値的な目標がたてづらい。何も起こらないのが一番良い。しかし、無理して目標たてることになったから、「どんな小さな障害でも探し出してやる」という目的意識が失われ、「単に目標を達成する」というドライなものに変わった。
人件費の増加
- 裁量労働も人事から「節度ある運用」という通達が出て、実態として「定時出社、定時退社を守り、残業をするな」という指示だった。
- 経営側では、裁量労働制は、人件費カットが目的だった。しかし、人件費が2割増えてしまった。
- 社員は2極化し、最初から高い評価が貰えそうな少数の社員は裁量労働を選択。高い評価がもらえないと自覚している多くの社員は裁量労働をやめてダラダラ残業を増やしだした。
人事の方針変更(絶対評価)と評価のインフレーション、そしてスーパーパフォーマーが辞職
- 問題を自覚した人事は評価制度を「相対評価(=人事の分布に当てはめる)」から、「絶対評価」に変更した。
- すると、評価のインフレーションが起きた。A評価が増加したが、ボーナス平均支給額は本部毎に一律という規定があったため、A評価の価値がB評価の価値しか持たなくなっていった。
- スーパーパフォーマーが実質的に賃金・賞与が減って、辞めていく。
- 降格制度が機能していたら・・・
- 公表されない管理職の「目標」と「成果」
- 管理職が失敗の責任を部下に押し付けたり、逆に自分のものにすることを防げない。不信感が生まれる。
- 管理職は最初から絶対評価。評価のインフレーションだった。
本部長・事業部長・営業は目標達成のために自社製品を売らなくなり、負のスパイラルへ
事業部
- 皆がA評価をもらえる制度になってしまったので、目標水準も低下していった。新しいチャレンジはせず、失敗しないことを優先するようになった。
- 富士通はその数年で、愛社精神、チームワーク、優秀な人材と技術力、を失った。
書誌情報
- 書籍名:内側から見た富士通「成果主義」の崩壊
- 著者:城 繁幸
- 出版社:光文社
- ISBN:4-334-93339-4