問題を語れ、とある場所でその言葉に出会った。
以前、本業とは別に数人のチームでWebサービスを作る役割を担っていた時だ。
集団の中でコンセンサスを得るのは難しい、特に知り合って間もない場合は。
いつしか自分達が見知った情報で、自分たちの持てる技術で解決できる仮説を立てていた。
根源的な問題を語る障壁となるのはなんだろう、
それは自分達の弱みを晒すのを拒む無意識の心理的圧力もあるのかもしれない。
もしくはそもそもの問題を日常で感じずに済むことで思いつかないこともあるだろう。
生活、仕事、恋愛、家族、地域や人間関係、好奇心や人には言えない事、
息を悶えるような葛藤の中で問題を語り尽くし、
それに何重にも新たな層を重ねていく。
新たな層とは多様な観点での意見から生まれる。
その後ようやく解決法、そして事業継続性であったり、
或いは新規性といったある種の制約やバイアスを加えていく。
そしてリーンに市場の評価に晒された時に、それらはなんらかの指標としての結果を返す。
結果からその層を補正もしくは、方向転換していく。
そういったことを小刻みに進めることを見知った。
残念ながら、そのチームのサービスは凡庸でサービスといえないものになった。
出発点、割いた労力、またおそらく自分含め問題を語るには素直でなかった。
以上、日々の業務とは別にそういったことを忘れずにいたいなと思ったので、
文章にしてみました。