熱の移動の3形態
むかし、小学校か中学校のとき、「熱の移動の3形態」というのを教わったと思う。うろ覚えだがたぶん教わった。
それによると、熱の移動は「放射」「伝導」「対流」の3つのいずれかの形をとるという。
「放射」とは、物体から輻射電磁波としてエネルギーが放出され、別の物体に吸収されることだ。太陽から地球に熱が届くのは放射によっているし、焚き火の横で手をかざすと熱く感じるのも放射だ(ただし焚き火の上に手をかざして熱いのは対流と伝導だ)。これはよくわかる。
「伝導」とは、接触している物体の境界を通して(物質の移動を伴わず)エネルギーが移動することだ。熱い物体に直接触ると熱いのも、フライパンの上で肉が焼けるのも伝導だ。これはわかるとかわからないとかという問題じゃない。そうに決まっている。
最後の「対流」というのは、これは記憶が曖昧ではあるのだが、お風呂の水や部屋の空気などが、温められて軽くなったものが上昇し冷やされて重くなったものが下降することによって上が熱く、下が冷たくなること…と習ったと思うのだ。こいつは…これはなんか変じゃないだろうか?
「熱の移動の」3形態という言い方は、物体Aの持っている熱が物体Bにどうやって移るかという方法というか経路というか、変な言い方をすれば熱の「乗り物」は何か、を聞いているように思える。実際、「放射」と「伝導」の説明はそういう説明になっている。
しかし「対流」の説明は、これだけ異質だ。これはお風呂の水が熱い部分と冷たい部分に分かれる話をしているのであって、たとえば風呂釜から水に熱が移る経路を言ってはいない。
それに、この説明だけ動きが双方向なのがしっくりこない感を与える。たしかに、対流の説明も熱いお湯が動くわけだから、熱が移動しているという意味では「熱の移動の形態」だし、風呂釜から水面上の空気への熱の移動の経路と考えれば僕の不満も解消しそうである。だが、それでも、熱いお湯が上へ動くと同時に冷たい水が下へ動くいう説明がセットでついてくることに違和感が拭えないのである。
風呂釜から空気へ熱が渡る原理としての説明であれば、熱の乗り物は上へ行く熱いお湯であって、冷たい水が下へ行くのはそれとは別の現象(お湯が上へ行くと元あった場所に真空ができそうになるからそれは困るので冷たい水が入ってくるとか)として切り離すべきだろう。
それにこの説明によると対流は「閉じ込められた」「流体による」「鉛直方向の」熱の移動だけに関わる現象ということになる。放射・伝導の説明に比べて一般性がなさすぎる。これを3つ並列に並べて「熱の移動の3形態」はありえないのじゃないだろうか。対流の説明は物理的な原理の叙述ではないと感じられて仕方ないのである。
初めてこれを習った(それとも本で読んだのだったか)ときからずっとこの疑問が離れなかった。
教員になって、中学校の授業で熱の移動の3形態に触れたこともあるけど、やはりこの疑問があって、心の中でちょっと罪悪感を感じていた。
radiation, conduction, convection
大学でなんかの授業のときに先生が「日本語では『対流』と読んで「対の流れ」という現象と理解されますけど、元の英語 convection にはそういう意味はありません」と言ったのを聞いた…ような気がする。残念ながらこれもうろ覚え、自分の妄想かもしれないのである。だがなんとなく「なるほど、納得がいった!」とそれを聞いて気持ちよく感じたような気がしている。
なんとなくこんな気がしているので、教員として熱を教えるときに英語の辞書で調べてみたこともあるのだが、
convection
伝達、伝送
《物理》対流、還流
《気象》対流、上昇気流
《地学》〔マントルの〕対流
という感じで、はっきりしなかった。
他の教員に疑問をぶつけてみたりもしたが、結局よくわからなかった。
マクスウェルの「熱の理論」
今、実は、熱力学第0法則の本当の意味を知りたい! という理由からマクスウェルの「熱の理論」という本を呼んでいる。今日、その中に偶然、対流の疑問に大いに関係する記述を見つけた。長年の疑問についに答えが出たように感じてスッキリした気持ちになったので、備忘のためを兼ねてここに書いておこうと思う。
Three processes of diffusion of heat are commonly recognised
—Conduction, Convection, and Radiation.
Conduction is the flow of heat through an unequally heated
body from places of higher to places of lower temperature.
Convection is the motion of the hot body itself carrying its
heat with it. If by this motion it is brought near bodies colder
than itself it will warm them faster than if it had not been
moved nearer to them. The term convection is applied to
those processes by which the diffusion of heat is rendered
more rapid by the motion of the hot substance from one
place to another, though the ultimate transfer of heat may
still take place by conduction.
In Radiation, the hotter body loses heat, and the colder
body receives heat by means of a process occurring in some
intervening medium which does not itself become thereby hot.
In each of these three processes of diffusion of heat the
temperatures of the bodies between which the process takes
place tend to become equal. We shall not at present discuss
the convection of heat, because it is not a purely thermal
phenomenon, since it depends on a hot substance being
carried from one place to another, either by human effort,
as when a hot iron is taken out of the fire and put into the
tea-urn, or by some natural property of the heated substance,
as when water, heated by contact with the bottom of a
kettle placed on the fire, expands as it becomes warmed,
and forms an ascending current, making way for colder and
therefore denser water to descend and take its place. In
every such case of convection the ultimate and only direct
transfer of heat is due to conduction, and the only effect of
the motion of the hot substance is to bring the unequally
heated portions nearer to each other, so as to facilitate the
exchange of heat. We shall accept the conduction of heat
as a fact, without at present attempting to form any theory
of the details of the process by which it takes place. We
do not even assert that in the diffusion of heat by conduction
the transfer of heat is entirely from the hotter to the
colder body. All that we assert is, that the amount of heat
transferred from the hotter to the colder body is invariably
greater than the amount, if any, transferred from the colder
to the hotter.
ざっくり日本語訳するとこんな感じ。
(細部は意訳。おかしなところがあればコメントお願いします!)
熱の拡散には3つの過程が存在するとされている。
すなわち、 conduction 、 convection 、 radiation である。
conduction は不均等に温められた物体の高温部分から低温部分への熱の流れである。
convection は熱い物体自身の運動による熱の運搬である。
この運動により物体がそれ自身よりも冷たい物体の近くに移動すれば、
物体は、近くへ移動しない場合よりも速く冷たい物体を温めるであろう。
convection の語は熱い物体のある場所から別の場所への運動によって
熱の拡散がより速く行われるような過程を指すために使われるのであり、
最終的には物体間の熱のやりとりは伝導によって行われることになる。
radiation は、熱い物体が熱を失い冷たい物体が熱を受け取るのに、
間にそれ自身は熱くならないような別の媒質が介在して行われるような過程である。
これら3つの熱の拡散の過程のいずれにおいても、
過程にかかわる物体の温度は等しくなろうとする。
ここでは熱の convection については議論しない。
なぜなら convection は、ある場所から別の場所へ運ばれる熱い物体に依存するので
純粋に熱的な現象とは言えないからである。
つまり、たとえば、
人の手によって熱い鉄が火から取り出され
tea urn (訳注:お茶用に大量の熱湯を入れておくためのつぼ型または円筒型の金属容器)に入れられるとか、
熱せられた物体の自然な性質のために火にかけたやかんの底に触れて温められた水が膨張し
上昇する水流を形成して、冷たくて密度の高い水が代わりに下降して同じ場所に移るとか、
といったことだからである。
そのような convection のどのような場合においても、
最終的な、唯一の直接的な熱の移動は conduction によっているのであり、
熱い物体の運動による効果はただ、
不均等に温められた部分を互いに近づけるように動かして熱の交換を助けるだけに過ぎないのである。
我々は、ここではどのようにして起こるかという過程の詳細までの理論を求めず、
熱の conduction を事実として認めよう。
我々は conduction による熱の拡散において
熱の輸送が完全に熱い物体から冷たい物体へ向かうと断言することすらしない。
我々が確実に認めるのは、熱い物体から冷たい物体へと運ばれる熱の量が、
冷たい物体から熱い物体へと運ばれる熱の量よりも、いかなる場合においても必ず大きいということである。
このマクスウェルの説明によれば、 convection は明らかに今で言う「対流」だけを指す言葉ではない。確かに今で言う「対流」のことも間違いなく含めているが、「火で熱した鉄を人が運ぶ」場合も明確に含むと述べられている。そうであれば、僕が「こうであるべき」と思っていた「熱の移動の3形態」の概念と合う。
つまり convection は「対流」ではなく、「物質の移動によって物質に蓄えられている熱として移動すること」が本来の意味ということになる。
どうだ見たか。俺の思ったとおりだったろ。
実際、今はどう言われてるんだろ?
…と心の中だけで調子に乗るが、そもそも勝ち誇る相手が自分の妄想かもしれない昔の記憶なので、実際、僕がそう習ったと思い込んでいるような説明が現在なされているんだろうか。
ググってみた。
「熱の移動の方式」で検索すると…
対流(たいりゅう)とは、熱が、温度差によって生じた流体(液体や気体)の移動によって、運ばれる現象のことです。
液体や気体は、温度が上昇すると膨張し密度が小さくなり軽くなるため上昇していきます。そこへ、周囲の低温の密度が大きく重い部分が流れ込むことで循環が生じます。
お風呂を沸かした時に混ぜないでおくと、始めは上が暖かく下が冷たいままで、次第に均一に暖かくなるという現象も対流によるものです。
また、エアコンは、温風または冷風を作り出し、部屋の中で強制的に対流させることで温度調節を行っています。
余談ですが、宇宙の様な無重力状態では、流体の動きがなくなるため、対流は起こりません。
熱伝導と対流の違い
熱伝導と対流は、どちらも物質が熱の運び屋としてはたらいていますが、熱伝導が物質の移動を伴わないのに対して、対流は物質(流体)の移動を伴うという違いがあります。
語の定義にあたる1行目の部分は「物質の移動によって運ばれる」と言うだけでいわゆる対流の意味を含めていない。
後半のほうではいわゆる対流を前提にしているが。
空気が動くことで、その空気の熱が伝わる現象です。
なんだ、ちゃんとマクスウェル的な説明になっているじゃないか。
(マクスウェルは空気とか流体とも限定していなかったが。)
気体や液体のような流体が熱せられると、膨張し軽くなって上へ移動し、冷たい部分が下降し入れ換わるように熱が動くことをいいます。温度が高くなれば、分子の運動範囲は広くなり、体積は膨張して密度は小さくなります。つまり、軽くなって重力と反対方向にあるいは圧力に押される方向に移動します。
ここは完全にいわゆる対流だ。
対流は、温められた気体や液体が移動して、他の物質に熱を伝えることです。
具体的には、熱を加えられた液体や気体が膨張し軽くなり、上へ移動します。
すると、冷たい部分が下降し、入れ替わるようにしながら熱を移動させていくのです。
たとえば、お風呂がわかりやすい例になります。
沸いたお風呂に入ったら、上だけ熱かったという経験はないでしょうか。
これは、温まったお湯が上へ移動し、冷たい水が下降しているためです。
対流を利用した冷暖房機器では、エアコンがわかりやすいでしょう。
エアコンは、空気を対流させて部屋を温めたり冷やしたりしています。
いろいろ見ると、 convection とは? の定義の部分ではいわゆる対流を前提としない言い方をするのが比較的ふつうだけど、実態としては結局いわゆる対流のことだけを考える、というのが一般的みたいだなぁ。
というかこういうことを書くのってほとんど空調機器とかを作ってる会社とかなのね。
小中学校の教科書にも「熱の移動の形態」の項目があるのか、あるとしたらどう記述されているのか、それが気になるけど、確認していない。
学術的な文章などは?
Wikipedia は?
対流(たいりゅう、英語: convection)とは、流体において温度や表面張力などが原因により不均質性が生ずるため、その内部で重力によって引き起こされる流動が生ずる現象である。
学術的には、対流という用語は完全にそういう分野の用語なんだね。
たしかに、気象学の世界だったら、大気の循環的な運動が熱を地表から上空へ運ぶという現象を基本的要素とみなしていいだろうし、「閉じ込めた流体の熱力学」という限定された分野でなら循環流を基本的な熱輸送の形態と呼ぶのもよくわかる。
こんな論文も見つけた。
この論文の冒頭には 伝導・放射とともに熱(エネルギー)を伝える基本的な物理過程である「対流」は,地球流体力学の根幹をなす概念である.
とあり、地球科学の人たちもやはり 伝導・放射・対流 を熱の移動の3形態と捉えるのだと窺える。
この論文には次のように書かれている。
伝導・放射とともに熱(エネルギー)を伝える基本
的な物理過程である「対流」は,地球流体力学の根幹
をなす概念である.ほとんどの研究者は,広義には「擾
乱・攪乱」(木村 1983),狭義には「鉛直の気流と輸
送」(浅井 1983)を対流と呼ぶなど,本来の概念を正
しく理解した使い分けを行っている.一方,対流とい
う日本語訳に囚われ過ぎると,多くの啓蒙書の図にあ
るように,あたかも異なった向きの流れがペア(対)
に存在しているような勘違いを起こす.
これによると、実は地球科学の世界でも、 convection の厳密な定義はいわゆる対流、対の流れではないらしい。一方向でも構わない単に流体の流れによる熱の輸送という概念なのだろうか。やはり「対流」という語の字面が、いろいろな意味で誤解を呼びやすいのだろう。翻訳の問題は大きそうだ。
これも含め、マクスウェルの叙述と一致する記述をしている文章は見つからない。もちろんさっきも言ったように特定の分野では convection は正式にいわゆる対流を指す語なのだということはあると思うし、全然おかしくもまずくもないだろう。
まとめ
結局
- 「熱の移動の3形態」というまとめ方は、マクスウェルの1871年の教科書に現れる。
- マクスウェルによれば convection とは「物質の移動による熱の移動」。流体に限定しないし、いわゆる対流の意味ではない。
- 現在、気象学や地球科学、流体力学などの多くの分野では、ほぼ正式に convection という語がいわゆる対流を指す。(藤吉氏によれば、本当に正式なのはいわゆる対流ではなく、対である必要のない、流体の流れによる熱輸送。)
- それらの分野では放射・伝導・対流を熱(エネルギー)を伝える基本的な物理過程と位置づけている。
- 一般的な学術的でない文章は、気象学や地球科学、流体力学における熱輸送の基本3過程の概念に沿って書かれている。
ということだ。
個人的な意見としては、各分野でそうなっているのはそれが現実だからいいし、熱の輸送の概念が主に気象学的な目的で活用されるものであるならそれを教えられることがあってもいい。ただ、物理学の分野ではマクスウェルの概念もあることは知られていいと思うし、物理として「熱の移動の3形態」と言うなら(その必要や意味があるのかどうかわからないが)、物理としてはマクスウェルの convection が適切だと思う。