「市場なんてクソくらえ!」
自分が学習することにおいて、どこがホットな領域か、何がトレンドか、という市場を考え、そこに対してマーケティングすることは無意味である。
自分が学習することにおいて、一番マーケティングすべき対象は自分である。
そして、日々の学習の上で、持っておくべきマインドセットは4つある。
4つのマインドセット
- collector's fallacyに陥らない
- syntopical readingをする
- この世のカオスに対して寛容であれ
- 歴史の風雪に任せる
collector's fallacyに陥らない
Elaborationなしに集めようとするな。
ただ収集してもゴミの山にしかならない。
動きが激しい領域だから、ベストプラクティスを、金言を、最先端を、データを、単語を、数式を…と求めて、とにかくたくさん集めようとすることはあろう。
もちろん知っていることは悪くはないが、骨を折らずに得たようなデータは情報にはなっても知識にはならないだろう。
学習者は、知識を獲得しなければならず、さらに知恵を身につけなければならない。そのためには、Elaborationを必ず伴う。
syntopical readingをする
「この本が話題だから、この本が一番有名だから、これを読む」、ということをやりがちである。そして、その本に関する他の書籍を読まない。
勿体無い!
一冊読んだら、それに関する知識がたまり、理解が進む。別の同じ領域の本を読んだら、もっと素早く、もっと深く、もっと鋭く、読むことができる。
そして、それぞれの著者の意見の違いを見つけ、自分の意見や考えを作ることができる。
この世のカオスに対して寛容であれ
この世はシンプルではない。
単一の基準や、非合理性の入る余地のないフレームワーク、これらを採用すると、この世はシンプルに映る。
しかし、それは世界を曲解しているのであって、事実ではないし、真理には至らず、価値を創出することからも遠ざかる。
カオスをカオスとして、寛容に受け入れるべきである。
シンプルなフレームワークやアイデアが出てきた時には眉唾物である。syntopical readingをすることで、相反する事実を見つけることをこころがけるべきである。
歴史の風雪に任せる
自分をマーケティングの対象とすることは、圧倒的なブルーオーシャンである。ブルーオーシャンであるが、しかし、誰も生息できないような深海であるかもしれない。
自分の興味と自分のやりたい仕事のために、syntopical readingをやり、elaborationをかかさずやり、カオスに向き合っていくこと、これのコスパは見合うのだろうか?
それは歴史の風雪に任せるべきである。
他人になんと言われようとも、その時限りである。歴史の風雪の方が圧倒的に強く、信頼できる。
そして、存在するかどうかわからない集団のマーケティングの結果よりも、自分という確固たる存在をマーケティングした結果の方が、歴史の風雪に耐え、リターンが来る確率は高いだろう。
まとめ
「市場なんてクソくらえ!」
自分をマーケティングして、自分の興味をつきつめろ。ゴミの山を作るな。
最後は歴史の風雪がなんとかしてくれる。